ローゼンクロイツへの誘い(どう考えても罠につき)

 ふたりに気付かれないうちに、私は柱を離れて、人気のない廊下を歩いていた。

 頭がぐるぐるする。

 アレクの言っている意味がわからなかった。ジュゼッペが私を利用しているって。あいつは私の幼馴染で、毎回毎回こちらを振り回してきて……なんだかんだ言って、一番私を助けてくれている奴だ。

 それがどこをどう間違って、私を利用しているになるのよ。

 でもジュゼッペ・バルサーモは存在していないって……。あったまが痛い。いったいなにがどうなっているっていうのよ。

 私が頭を抱えて、激痛に耐えていると。


「アデリナ」


 凜とした声で、私は振り返った。レイピアはちゃんと鞘に納めたアレクだった。


「……アレク。いったいどうしましたの」

「すまない。君のいないところで勝手に話をして」

「なんのことですの」

「でも私は、君に危ない真似をしてほしくなかった。奴は危険だ。君はいったいどう思い込まされているのかはわからないけれど、あいつだけは絶対に認められなかった」

「だから、なにもわかりませんわ。最初から最後まで、全て説明してくれませんと、なにもわからなくてよ」


 そもそも、言葉の端々を着飾るな。要点で話せ。乙女ゲームのテキストが脚色過多なのはよく知っているけれど、こちとらその世界で生きているんだから、要点を一から十まで説明してもらわないと困る。察して感じては通用しないのだから。

 私の言葉に「ああ……」とアレクはうな垂れると、胸元に手を入れた。彼女の首に、赤いペンダントがぶら下がっているのが見え、私はそれを凝視した。

 男装を解いてルドルフと踊っているときも、肌身離さず持っていたものだ。


「……なんですの」

「君は実家がパトロンをしているローゼンクロイツのことは知っているね?」

「……ええ」


 そもそも、うちの実家と利権関係でずぶずぶになっているからこそ、ローゼンクロイツを解体されては困るのだから。

 でも、アレクは違う。アレクにとってはローゼンクロイツは故郷を滅ぼした敵なのだから、絶対に許せるはずがない。そのペンダントだってそうだ。

 あまりにも透明度が高くて、ルビーやガーネットを思わせるその赤い石は見入ってしまうけれど。アレクはきっとそんなことをした相手は許せないだろう。


「あれは自分たちの利益のためならば、他者を家畜のように扱う危険な組織だ。この石だってそうだ」

「……その石は?」

「……私の故郷の……結晶だ。教会で神官様に診てもらった。この石は……錬金術でできた、赤い水の……人の命の結晶体だと。賢者の石、とも呼ばれている」


 アレクは先程ジュゼッペに見せたものとは違う表情を滲ませていた。歯を食いしばって、必死に憎悪を押し殺している顔だ。

 ……知っていた。アレクの故郷がローゼンクロイツに滅ぼされたことは。でも……人の命をなんだと思っているのか。この赤い石を見せられたら、ローゼンクロイツを滅ぼされたら困ると息巻いた剣幕も霧散してしまうし、むしろあそこをこれ以上野放しにしていたらまずいんじゃないかって思えてしまう。

 やっと赤い石のペンダントを胸元にしまい込んだアレクは続ける。


「君がどうして、ジュゼッペを……ううん、カリオストロ。ローゼンクロイツの幹部だ……あれを幼馴染と思っているのかはわからないけれど、どうかあれに気を許さないで欲しい。あいつは、自分の欲望に赴くままにしか行動しない。あいつは危険なんだから」


 そう必死に訴えられて、私はうな垂れる。アレクがどうしてここまで私を心配してくれるのかはわからない。わざわざ赤い石の正体まで教えてまで、必死で訴えてくれているのは理解できるけれど。でも。


「……気持ちはわからなくもなくてよ。その石、あなたの大事な人の命だったのでしょう?」


 私は彼女の胸板をトン、と指で突いた。アレクはエメラルドの瞳を驚いて見開く。私は続ける。


「でも、あの幼馴染がなにを考えているのかなんて、こっちだってなにもわかりませんわ。あいつ、私に気を許しているようでちっとも許していませんもの」

「……これ以上彼と一緒にいるのは危険だ。今だったら、教会で君を保護することもできる」

「ご忠告どうも。でも、お断りしますわ。私にも守りたいものがありますの」


 そもそも、父様の手紙の返信がまだ来ない。母様と弟の安全は保証できない。その時点でひとりだけ教会に逃げ込むなんていうのはなしだ。

 アレク、あなただって守りたかったもののために戦っているんだから、守りたいもののために戦うこちらの気持ちだってわかるはずでしょうが。

 私はスカートを翻した。


「ご機嫌よう。私は私の守るべきもののために、あなたはあなたの守るべきもののために立ち振る舞いましょう」


 アレクはなにか言いたげにこちらを見てきたけれど、無視した。

 ……今はそう。ジュゼッペをとっ捕まえて、話を聞き出さないといけない。


****


 廊下をしばらく歩く。予鈴が鳴ったけれど教室に入る気にはなれなかった。何時間分さぼったんだっけな。覚えてない。

 私がうろうろとする。


「ジュゼッペ、どこですの。ジュゼッペ」

「やあ、フロイライン」


 いきなり廊下にかけられたシャンデリアにぶら下がって出てきたけれど、普段のオーバーリアクションをする気にもなれず、上をきつく睨んで見上げた。

 ジュゼッペはふっと笑って、一回転して着地した。十点満点。って、そうじゃない。


「あなた、本当にいつでもどこでも現れますのね」

「やあやあやあやあ、フロイライン。僕は君に呼ばれればいつだって駆けつけるさ。で、話はなんだい?」

「じゃあ単刀直入に聞くけれど。あなたって、結局何物なの?」

「おやあ? ずいぶんと抽象的だねえ?」


 相変わらず、いちいち勘に障る言葉ばかりを選んでくるけれど、もうその手には載ってやんない。意地でも口を割らせる。

 私は続ける。


「じゃあ直接的に尋ねるけれど。あなた、この間私を助けてくれたカリオストロ伯爵な訳?」


 これでどうだ。私が尋ねると、ジュゼッペはくすくすと喉を鳴らして、とうとう笑いはじめた。


「あはははははは、アデリナ、君もずいぶんと面白いことを言うもんだねえ! 僕をローゼンクロイツのお偉いさんにして、そんなに楽しいのかい?」


 こいつ本当に人を食ったような物言いしかしないな!?

 殴ってやりたいと思いながら、私がジュゼッペを睨み返したら、ようやく彼は「そうだねえ……」と言う。


「まあ、冗談はさておいて。よく僕がそうだというところまで辿り着けたねえ、憐れなフロイライン?」


 そう言って、こちらのドリル……じゃなくって巻き毛に指を突っ込んで、くるくると指で絡めてくる。だから、なんでそうからかってくるのか、こっちは真剣に話を聞いているっていうのに。


「だから、あなた人と話をするときは真面目にって習いませんでしたの? で、あなたがカリオストロ伯爵で、私と幼馴染ではないってことでよろしくて?」

「半分は合っているけれど、半分は合ってなあい。何分私もあちこちから命を狙われる身でねえ。名前も姿も何十種類も持っている。ジュゼッペ・バルザーモもその内のひとつさ」


 ジュゼッペはそう言ってくるりと乗馬服に似た制服姿で回ったと思ったら、急にタキシードを着た青年姿に早変わりする……それこそ、前に私を抱えて歩いたカリオストロ伯爵の姿に。

 私が固まっていると、カリオストロはこちらの顎に手を当ててくる。

 近いっ! だから、なんでいちいち乙女ゲームのようなことをしてくるの。乙女ゲームの世界だけれど、そういうのはアレクにしろ、私にするな。


「君の幼い頃から、君の愚かしさも面白さもさんざん見てきた。うんうん、実に面白い娘だったよ。愚かでいて小賢しく、人を駒のように思っている格好の駒とね」


 それ全然褒めてないな!? いや、本来のアデリナはカリオストロにここまでけちょんけちょんに言われてもしょうがないキャラだったと思うけど。まさか今の私にまで言ってないだろうな。

 私がジト目で睨むと、カリオストロは薄く微笑む。


「突然君が知恵の実を与えられて、実家没落に抗おうとし出したときは驚いたけどね。てっきりそのまま、本能の赴くままに破滅するのかとばかり思っていたけれど」

「だ、誰が本能の赴くままですか。破滅なんてお断りですわ」

「ああ、そう。君のそういう小賢しいところが、僕は我慢ならないんだよ」


 可愛いと言ったり我慢ならないと言ったり、細か過ぎて伝わらないって言われたりしません? 私がだんだん不機嫌になって頬を膨らませてくると、カリオストロは「まあ、いいか」とだけのたまった。


「可愛いアデリナ、ローゼンクロイツの幹部にならないかい?」


 …………。


「はあ? はあ…………?」

「君はいきなり現れた教会からの信者とも上手く立ち回れているじゃないか。もし君がローゼンクロイツに入ってくれたのなら、私も願ったり叶ったりなのだけれど」


 なにを言っているんだ。こいつ本当にいい加減なことしか言わないな!?

 私はもう、ツッコミが追いつかなくって今にも倒れそうです。

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