Sideアレク:アレクとルドルフ・2
夢を見た。
このところ、毎晩夢を見ている。まるで私が私を見張っているかのように。忘れるなと言うように、一番幸せだった頃の夢ばかりを繰り返し見ている。
いや、少し違うのかもしれない、と私は少しだけ振り返る。
私がずっとあの頃の夢ばかり見ているのは、彼女に出会ったせいだろう。
私の一番大切な子。大事な妹そっくりの子に出会ったからだろう。
同い年だし、妹は彼女ほど綺麗な顔立ちも、絹糸のように美しい金色の髪でも、巻けるほども髪の量もなかったけれど、妹が農民ではなく商家の娘として大切に育てられていたら、きっとこうなっていただろうと想像できるような子。
だからこそ、私は迷っているのかもしれない。
──彼女は、ローゼンクロイツの一番太いパイプの家柄の娘だ。パトロンとして、ローゼンクロイツの持ち合わせている技術や栄光と引き換えに、金を好きなだけ提供している家。爵位だって、名誉だって、全て金で得てきた家柄。
教会から、彼女の家柄については既に聞いている。黒に限りなく近いグレーの家柄だとも。
彼女の実家の不正の証拠を押さえてしまえば、学問所から追い出せてしまうし、彼女の実家の悪事を教会を通して皇帝に伝え没落させれば、ローゼンクロイツに与えられる打撃は計り知れない。
でも。私はそれを行うことを、未だに迷っている。
私は、彼女の高飛車な態度も、威勢のよさも、妹と重ねてしまっている。妹に似た彼女を、自分の手で失うことを恐れているのかもしれない。
「姉さん……! 祭りのための服を縫ったの。ちゃんと着られている?」
「大丈夫大丈夫。村で一番の器量よしなんだから、堂々としていればいいよ」
「もう、姉さんってば。ちゃんと姉さんの服だって縫っているのよ? 集会だけにかまけてないで、ちゃんと祭りのほうにも参加なさいよ?」
「わかっているよ」
村祭りで、誰よりも垢抜けた格好をして、村の若い男たちが彼女の踊りの相手になりたいと、我先にと手を挙げているのが、私にとっては誇りだった。
赤々と燃える広場の中央を、私は集会場から、にこにこと笑って眺めていた。
でも。
記憶がだんだんと混濁していく。
私が、買い出しに出かけて、馬車に乗って村の外に出て、町から大量に買い物を終えた頃には、すっかりと夕方になっていた。
朝一番から出ていたのに、こんなに遅くなってしまったと、慌てて馬車を走らせているとき。村のほうからやけに香ばしいにおいがすることに気が付いた。
胸がざわついた。そのにおいはよく覚えている。
祭りの季節でもないのに、段組みをした木のにおいがする訳がない。私は必死で馬車を急がせた。
もっと早く。
もっともっと早く。
でも。
村はすっかりと火に包まれていたし。
人影ひとつない、無人の村と化しているのを、私は愕然として、見ていたのだ。
****
目が覚めたとき、ひどく喉が渇いていた。
汲み置きの水だけじゃ足りず、葡萄酒をがばがばと飲んでもまだ足りず、麦酒を無理矢理飲んだところで、ようやく渇きが癒えた。
あのときの光景を見たときの衝撃。村の燃えるにおい。煮えくり返った胃。むかむかする喉奥。そして広がった虚しさ。なにもかもを、終わったことにできてはいなかった。
だからこそ、過去と今を天秤にかけて、私はずっとぐらついている。
麦酒が喉を通っていったとき、ようやく私の混濁していた記憶が、ひとまとまりした。
……落ち着け。私はまだなにも成してはいない。
なにも成していないのに、焦ってどうする。
「……お前みたいな人は、もう出さないから」
さっさと制服に着替えて、首にかけている赤いペンダントに囁く。
もう今はない故郷から持って帰れたのは、これだけだったのだから。
授業は幸いというべきか、アデリナと一緒になることが多かった。彼女は爵位のある人間でなければ興味がないのか、私が近付くとあからさまに嫌がっていたけれど、私は元気がいいとしか思えなかった。
彼女を妹と重ねるのは、申し訳ないとは思いながらも、なかなかそれを意識から外すことができなかった。
専門カリキュラムで、ようやく他のグローセ・ベーアの皆と一緒になった。
ルドルフには、フェンシング倶楽部にも招かれ、私も遠慮なくそこに参加してからは、彼にはなにかとこの学問所のことを教えてもらっている。
私がルドルフの斜め後ろの席に座ったとき、彼は鼻を動かして、少しだけ顔をしかめた。
「アレク、君大丈夫かい?」
「なんでしょうか。私は別に、元気なのですが」
「……別に飲酒を禁じてはいないし、社交界に出るんだったら飲めるほうがいいけれど。でも飲み過ぎはよくない。君、昨日といい今日といい、飲み過ぎじゃないかい?」
ルドルフの指摘に、私は少しだけ目を丸くした。
たしかに昨日も今日も、結構ガブガブと飲んではいた。でも体臭に染みつくほども飲んじゃいないし、酒を飲んだ分だけ水も飲んでいたから、顔に出るほど酔ってもいない。
そもそも私のにおいに指摘した人は、今までいなかったんだけれど。私は自分のにおいを嗅いでいると、ルドルフは言い重ねる。
「……目が少しだけ充血している。他の者はあまり気付かなかったのかもしれないけどね。気を付けたほうがいい」
「ああ……ルドルフ、すごいですね。そんなところ、誰も気付きませんでしたのに」
「家柄上、そんな人をよく見ていたから……そんなに酒を飲まなきゃいけないような悩みがあるんだったら、吐き出せないかい?」
「それは、学問所のグローセ・ベーアとしての使命? 生徒ひとりひとりの悩みに向き合うって」
「からかうなよ、単純に後輩として、同じフェンシング倶楽部の仲間として、そしてひとりの友人として、君が心配になっただけだ。君からしてみれば、入学したばかりでなれなれしいと思うかもしれないけどね。そんなの無視してずかずかいかなかったら手遅れになるってこともあるんだよ」
私は少しだけ、目を細めた。
この人は、決してグローセ・ベーアだってことも、誇り高い身分のことも決して笠に着ない。実力も家柄も申し分ないだけ、高潔なんだ。だから正々堂々とできる。自分の正義を正義だと貫ける。
それがあまりにも綺麗で、なんだか私自身がみすぼらしく思えてしまうような人が、ルドルフという人なんだと思う。
「……心配かけて申し訳ありません。でもありがとうございます。ただ、このところ、夢見が悪いだけなんです。だから、どうして飲んでしまう」
「あまり溜め込むなよ」
「ありがとうございます」
この好ましい人に、少しだけ聞いてみたいと思った。
ローゼンクロイツのことを。社交界の腐敗のことを。でも、まだ早いと私は首を振る。
半年後の試験。そこで結果を出したら、私はグローセ・ベーアに入れるはずだ。そのときにでも、遅くはないはずだ。
でも……。
私はふと特別棟の窓を眺める。中庭を歩いている、小柄な金髪の巻き毛が見えた。この間のオペレッタで見かけた、金髪の青年と連れ立って歩いているアデリナが見えた。
彼女の家を潰せば、ローゼンクロイツに大打撃を与えられる。わかってはいるのに、私は未だに証拠集めに動けてはいない。
私は教会で体を苛め抜いても、性別も姓も偽っていてもなお、甘さを捨てきれてはいない。
奪われる側から、奪う側に回る覚悟が、まだ足りないのだ。
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