授業開始(カリキュラム選択につき)

 一応アンドレーエ学問所は、社交界デビューを控えている貴族子息子女に最後の仕上げで最高の教育をというお題目が存在する。

 つまり一般教養に加えて、礼儀作法、社交界の常識、ダンス、外国語を習うのだ。

 社交界デビューだけ考えているんだったら、本当に最低限のカリキュラムだけ取って一定成績を修めて卒業すればいいんだけれど、ここで特待生のグローセ・ベーアになるとなったら、難易度は格段に跳ね上がる。

 一般教養だけでなく、前世で言うところの大学レベルの専門教養の授業カリキュラムを選択し、そこで高水準の成績を修めなければならないんだから。

 ちなみに私は、家庭教師から逃げ回る程度には、勉強はお世辞にもできるほうとは言えない。ジュゼッペはそこそこ家庭教師からの覚えもいいくらいの成績を修めていたはずだけれど、私は本当に駄目だった。

 グローセ・ベーアさえ狙わなかったら、授業はそこまで考えずに取ればいいんだけれど。

 私は「うーうーうーうー……」と、授業カリキュラムの表を見て考え込んでいた。

 専門カリキュラムは、学年共通なのだ。つまりは、学年の違うグローセ・ベーアとも交流できる。

 アレクは間違いなく専門カリキュラムを取る以上、ここで目を離している内に、アレクに差を付けられて、他のグローセ・ベーアを落とされてしまったら、半年で学問所は潰れるし、実家は没落する。

 私がそこに行くとしても、自分の頭の悪さで一定成績を取れなかったら、当然ながら留年する……グローセ・ベーア落とす落とさない以前に、私の人生が終わる。

 さんざん悩んだ末に、他の専門カリキュラムは無理ということで、世界史だけは取ることにした。前世の記憶を頼れそうなカリキュラムはそこしかなかったし、他のは自分の頭の悪さが災いして、落としてしまう可能性があるから。

 他の一般教養の部分の内容を読みながら、私はごろんごろんとベッドで転がる。

 本当に、乙女ゲームやっているときは、授業カリキュラムを選んでしまったら、あとは運に任せてパラメーター上下を見守ればよかったんだから、楽だったんだ。

 でも、今はその楽さに身を任せることもできない。

 父様から、手紙の返事はまだ届かない。

 本当に、前世はいろいろと恵まれていたんだなと思いながら、私は目を閉じた。明日から授業だ。


****


 食事を食べたあと、いよいよ授業に向かう。

 それぞれ取った授業ごとに、教室を移動しないといけないので、校舎の間で延々と迷子になるので、そのたびに先輩たちに聞いて案内してもらわないといけない。

 男女で取るカリキュラムが違うこともあれば、それぞれ取った選択カリキュラムが違うこともあるので、同級生と一緒に行けばいいというものでもない。

 私が外国語で選んだラテン語のクラスが見つからず、特別棟の中をずっとうろうろしている。


「ここは違いますが?」

「す、すみません! 失礼します!」


 何度目かの会話で、私は本当に途方に暮れていた。

 初日にドジ踏んだせいで、すっかりと嫌われた私は、同学年の令嬢たちからあからさまな嫌がらせはされていないものの、遠巻きにされてしまって、輪に入れなくなってしまっている。

 せめてジュゼッペやニーヴィンズと同じ授業だったらよかったのに、ジュゼッペは相変わらず行方不明だし、ニーヴィンズには申し訳なさそうに謝られてしまった。選んだ言語が違った以上はしょうだないんだけど。

 あぁん、もう!

 私がドリル……じゃない、巻き毛を掻きむしっているところで。


「ラテン語かな?」


 声をかけられて、思わず逃げ腰になる。

 アレクがひとりで教科書と筆記用具を持って歩いていたのだ。


「あ、なたが……どうして……」

「私も一緒の授業だったのだけれど? ここは本当に迷子になりそうなほど、教室が多いね」


 私が動揺を抑えきれないでいるけれど、アレクは平然としている。

 なんなんだ、本当にこの人は。普通に歩いているだけでも光り輝いて見えるし、都合よく窓から入ってくる光が照らし出しているし、おまけに無茶苦茶いい匂いだし。

 アレクはのんびりと言う。


「どうも授業を取った生徒は少ないみたいだしね。一緒に行こうか」

「ひ、ひとりで、行けますわ!」


 私がふんすと叫ぶと、アレクはきょとんと碧い瞳を瞬かせる。


「でも、迷子だろう?」

「ち、違いますわ! ただ、ひとりで歩いてなかったら、爵位のある方とふたりっきりで歩けないでしょう!?」


 支離滅裂だとは思いながらも、どうにかアレクから距離を取りたかった。

 お願いだから、妹をかまうような体で寄ってこないで! あなたのことは好きだけれど、あなたに攻略されたら一巻の終わりなんだってば!

 アレクは「ふむ」と唸ると、また口を開く。


「でも、このままだとふたりとも遅刻だ。最初から講師に赤点にされるのも癪だろう? さっき先輩から教室の場所を聞いてきたから、一緒に行こう」


 そのままさっさと私の腕を取って、速足で歩きはじめた。

 わ、私とコンパスが違うから、アレクの早歩きは、私の小走りなんですけどぉ!?

 ずるずる引かれる形で、アレクと一緒に教室に辿り着くと、本当に少ない人数が席に座っていた。

 渋々アレクと隣同士に座ると、アレクは少しばかりにこにこしながら、教科書を広げる。

 ……これは、いったいどういう風に取ればいいんだろう。私はアレクのことがちっともわからんと思いながら、おじいちゃん先生の眠たくなりそうな授業を受けることとなった。


****


 こ、これは……。

 悪役令嬢補正だ。絶対に悪役令嬢補正だ……。

 私はようやく放課後になり、科学倶楽部室でぐったりとしながら、今日一日を振り返った。

 既に授業を終えて、研究に没頭していたシュタイナーは私のぐったり具合に声をかけてきた。


「ずいぶんと疲れた様子だね」

「つ、疲れますわ……今日一日で、いったいどれだけ遭遇したのか」

「不思議な確率だな。打ち合わせもなしに、選択科目が全部被ることなど、そうそうないのに。我とウィルスも、そこまで授業が被ることなどないのだが」


 そりゃそうか。シュタイナーは専門カリキュラムは専ら科学方面ばかり選択しているし、ウィルスは宗教学のあれこれを選択している。

 他のグローセ・ベーアだって、専門カリキュラムが被っている人なんてほとんどいないのに。

 ……だというのに、どうして私とアレクは選択科目が丸被りなんだ。いったいどういう確率なんだ。

 そうは思っても、頭に浮かぶのは、『ローゼンクロイツの筺庭』の設定だ。

 アレクが攻略すると選んだ相手は、絶対にアデリナが邪魔をするシステムになっている。パラメーター管理に失敗すれば、アデリナに媚薬を盛られてかすめ取られてしまうから、彼女に邪魔されない内に、罠に嵌めて学問所から追い出すというゲーム内容になっている。

 昨日までは、ゲーム内の共通シナリオにすらなってない話だったし、いきなりウィリスに私が錬金術と関係しているって通報されるところだったから、手段を選んでいる余裕もなく、媚薬を盛らざるを得なかった。

 でも今日からは、ゲームで描かれる日で、当然ながらゲームのシステムに組み込まれていてもおかしくはないんだ。

 私からしてみれば、アレクに目を付けられないように、こそこそグローセ・ベーアを落とそうと思っていたのに、授業がほとんど一緒で、かろうじて倶楽部だけ違う状態ってまずくないか?

 アレクに嫌われたら敵認識されて、学問所追放されかねないけれど、好かれたらアレクの攻略の邪魔ができない。

 遊びに来ていたウィリスが、ハーブティーを淹れてくれつつ、心配そうな顔をしてくる。


「悩みがありましたら、僕たちが聞きますからね。ただ、グローセ・ベーアの肩書は大きいですが、その分だけ余計なものが付きますから。グローセ・ベーアだからとそれだけに甘えないでくださいね?」


 それ、多分。グローセ・ベーアのファンの令嬢たちだよねえ……もう既に充分やっかみ受けているからの、総スカン状態なんですが。

 私は力なく「ハーブティーありがとうございます……」と言いながら、それを飲んだ。

 まるい味のするはずのカモミールティーが、今はやけに渋く感じた。

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