Sideアレク:アレクとルドルフ・1

 夢を見た。

 教会にいた頃は、貴族に成り済ますために、徹底的に教育を施されて、終わったら泥のように眠っていたから、夢なんて見ている暇はなかったのに。

 このところは、平和に暮らしているせいなのか、一番幸せだった頃の夢ばかり見る。

 ──絶対に忘れるなと、言わんばかりに。


「ほら、走れ!」


 村ではラテン語も世界史も無意味だった。

 算数さえできたら、あとは乗馬や力仕事ができるほうが、よっぽど重宝されていた。

 それは男女問わずにだ。

 私は馬に跨り、よく走っていた。

 馬のたてがみに掴まり、必死でしがみついて、丘まで駆け上がる。

 丘から見る麦畑はきらめいていて、そこだけ見ると、自慢の村に思えた。

 いつかは私もお見合いをして婿を取り、妹の嫁入り先を見繕う日が来るんだろう。そんなことを漠然と思っていた。


「スカートで馬に乗って一番速いなんて! 本当、アレクサンドリアには敵わないよなあ」

「ふふっ、うちは私が仕切らないと駄目だから、強くならないとねえ」


 一緒に乗馬した男友達も、私たちが乗馬しているのを見送ってくれた大人も、父さんも、母さんも……大事なあの子も。もういない。

 あの綺麗な黄金色こがねいろの麦畑は、もうどこにもない。

 忘れろと、もう終わったことなのだから戻ってこないと、割り切れと言われても、私はそれを認められない。

 だから私は。

 妹が自慢にしてくれた髪にはさみを入れて、男の服に身を包み。

 ──ローゼンクロイツと戦うと決めたのだから。


****


 目が開いたとき、高くて白い天井が目に入った。

 私が宛がわれた部屋だ。本来、どこの寮にも最低でもひとりは家からの使用人を入れることが認められているのだけれど、ただでさえ私は身分を詐称している立場。私の素性がばれたら、芋づる式にローゼンクロイツに教会の考えが露見してしまうし、最悪社交界を牛耳る人たちに教会の人たちが始末されてしまう。

 そうなったら、私みたいに孤児で、切り捨てやすい人間ひとりのほうが楽だった。

 私ひとりで、もう何人もの命を背負うのは嫌だから、今のほうが不便でも息がしやすい。

 ひとりで昨日の食堂の食事からこっそり取っておいた硬くなったパンをかじり、葡萄酒で流し込むと、今日の予定を考える。

 昨日はルドルフと出会った。彼はグローセ・ベーアの中でも一番発言力のある人で……社交界でも発言力の高いオーフェルベック家の嫡男だ。

 彼に印象付けるセリフを投げつけたけれど、それだけだとまだ足りない。

 ……彼を通して、他のグローセ・ベーアにも私のことを印象付けたい。

 運動神経は自前のものがある。成績は教会でさんざん叩きこまれた。でもそれだけでは、私の知名度なんてたかが知れている。

 今日は倶楽部見学だったけれど、そこで彼らに私の存在を知らしめたい。

 それが、ローゼンクロイツに宣戦布告するための一歩なのだから。

 そこまで考えてから、私は葡萄酒を喉に流し込んだ。

 講堂に向かい、授業説明会を受けに行く途中、ちょうどルドルフと出会った。

 彼は銀色の睫毛を伏せて、なにやら真剣に読んでいる。

 ここで彼に変にちょっかいをかけて、怪しまれても困るけれど、どうしよう。少し考えてから、私は勇気を出して声をかけた。


「おはようございます。ルドルフ」

「……君は。たしかアレク、だったね?」


 彼は少しだけ笑う。社交辞令を心得ている人だ。私は頷いた。


「はい。覚えてくださり恐縮です。こんなところで、勉強ですか?」

「いや? 家からちょっと送られてきてね、気になったことがあったから目を通していただけさ。寮だと、使用人たちが早く学校に行けと急かすからね」

「大変ですね……」


 彼はただでさえ、この学問所の特待生なだけでなく、社交界で権力闘争を演じなければいけない嫡男だ。卒業を控えている今の内に学ばないといけないことも多いのだろう。

 ルドルフはふっと切れ長のエメラルドの瞳を緩ませる。


「大変なのも仕事の内だからね。君は? もう倶楽部は決めたかい? どの倶楽部でも大いに結構だ。学友以外と語らう場というのは貴重だからね」

「そうかもしれませんね。そういえば、あなたはフェンシング倶楽部の主将だとお伺いしましたが」

「ふうん? フェンシングの嗜みがあると?」


 それに私は頷いた。

 フェンシング自体は、教会で叩き込まれた。運動神経には自信があったけれど、レイピアを操ることは初めてで、最初は苦戦ばかりしていたけれど、今はそれなりに様になっていると思う。

 彼は私をじっと見つめてきた。それは、いきなりグローセ・ベーアに気安く話すなれなれしい後輩と思ったのか、フェンシングの腕前を探るものなのかは、私にはよくわからなかったけれど。

 やがて、彼は目を通していた紙束を全て抱えると、ベンチから立ち上がった。そして振り返って私に言う。


「体育館の地下が、フェンシング倶楽部の練習場だ。今日は模擬戦もするから、途中参加も歓迎だ」


 そのまま彼は立ち去って行った。

 私は背を真っ直ぐに伸ばす。

 まずはこの人と手合わせしよう。彼に私のことを売り込みながら、私も彼のことを知れると嬉しい。

 何故か彼のことを、私は好ましく思っていた。

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