フェンシング倶楽部(本日は偵察につき)
次の日、授業の説明会に倶楽部見学だ。
私は寮で実家から連れてきた使用人たちに食事の世話をされてから、聞くだけ聞いてみる。
「あのう、実家に送ったお手紙、もう届いたかしら?」
「お嬢様。お手紙は一日や二日で届くものではございませんよ」
「まあ、そうですか。それは失礼しました」
そりゃそうだ。この世界じゃまだ車はないみたいだし、飛行機だってない。手紙が一日で父様の元に届く訳ではないのだ。
もし手紙が届いて、父様がローゼンクロイツから手を引いてくれたら。これ以上媚薬を使って大立ち回りをする必要もなくなるんだけれど。とにかく手紙がどれだけの速さで届くかわからないけれど、できるだけ早く届いてと、そう祈らずにはいられなかった。
寮を出て、通学路を歩く。
案の定、昨日の今日ですっかりと私に悪評が蔓延している。
「アレク様を見下していたのはあの方?」
「でもあの方の爵位は……」
「表だって言っては駄目よ、可哀想だわ。お金がなかったら爵位を買えないなんて」
おい、聞こえてるぞ。
これ見よがしな声に、私はイラリとする。
端から見たら、爵位にうつつを抜かす成金にしか思えないもんねえ。実際、ゲームのアデリナは爵位の高い男以外には全く媚びなかったし、爵位ある男には無茶苦茶媚びまくった上に、媚薬盛る凶行に及んだんだから、当然かあ。
傍から見たら、アレクは新興貴族とはいえど気品はあるし、礼儀正しいし、金でギラついているアデリナよりも好ましく見えるもんねえ。なによりイケメンだし。いや、女だけれど。
これから一年、針のむしろなのも考え物ねえ。でも、下手に目立ち過ぎてアレクに目を付けられたらジ・エンドだしなあ。
そう考えていたところで。
「おはよう、ええっと。アデリナさんだったよね」
ほんわかした声をかけられ、私は振り返る。
茶色い癖毛に、茶色い瞳。この国だと取り立てて珍しい色合いじゃないし、顔の造形も取り立てていいところがない。普通。
でもこの学問所では煌びやかな貴族の子息令嬢ばかりだから、この普通さがたまらなく見えるのだ。
昨日ちょうどグローセ・ベーアの会議にかけられ、めでたくグローセ・ベーアに選ばれたニーヴィンズだった。そういえば、同じクラスだったわね。
「ご機嫌よう、ニーヴィンズ様。他のグローセ・ベーアの方とはご一緒しなくてよろしいの?」
「他の先輩たちなんて……恐れ多いよ。僕だって未だに実感が湧かないんだから。グローセ・ベーアに選ばれたなんて。僕が話しかけられそうなのって、君くらいしかいないから……」
そう言って、困ったように頬を引っ掻く。
こ・の。少女漫画の脇役みたいなあっさり目の顔付きにプラスして、控えめな押しつけがましくない性格!
本当に性格美人ってこういうこと言うんだわあと、乙女ゲームの際だった個性の人々と初っ端からやり合ってきた私は、普通のよさを噛みしめていた。
当のニーヴィンズはきょとんとした顔で「アデリナさん?」と聞くので、「なんでもありませんわ!」と口元に手を当てて誤魔化した。
「それにしても、ニーヴィンズ様はどちらの倶楽部に所属予定ですの?」
「グローセ・ベーアに選ばれた以上は、文武両道がいいからね。フェンシング倶楽部か馬術倶楽部の見学に行こうと思うんだ。アデリナさんは」
「私は……まだ考え中ですわ。ひと通り見学してから所属を決めようと思いますの」
一応、ゲーム内では、倶楽部活動はそれぞれの攻略対象と仲良くなる近道な上に、パラメーター管理の肝になってくるから、攻略対象に寄って入る倶楽部を変えるとかあるし、一年以内に何度も倶楽部活動を辞めるっていうのも、理論上はありだ。
ただ、隠しパラメーターが存在し、倶楽部を何度も退部と入部を繰り返すと、グローセ・ベーアの条件の文武両道のチェックに引っ掛かるのは、ヘビープレイヤーが全倶楽部を一年かけて入退部繰り返して入るプレイで確認されている。
多分、何度も入退部繰り返してたら、人間性に問題ありって判定されるんだろうな。
おそらくアレクはグローセ・ベーアを狙うために、一番人から評価されやすいフェンシング倶楽部か馬術倶楽部に入部すると思うし、ゲーム内みたいにばんばん入退部を繰り返すような真似はしないと思う。
私の入部は、アレクがどの倶楽部に入ったか確認してから決めたほうがよさそうだな。下手に同じ倶楽部になって、アレクに目を付けられたら嫌だもの。
私の言葉に、ニーヴィンズは「そうだよねえ」とのんびりと言った。
「アレクさんみたいにすごい人がいるのに、どうして僕が選ばれたんだろうって思うもの……」
そうぽつんと言うニーヴィンズに、私は言葉を失った。
……はっきり言って、どうして貴族のニーヴィンズが、金で爵位を買った商家出身の私に声をかけてきているかというと。
ニーヴィンズからしてみれば、私を似た者同士だって思っているからなんだろうな。だってニーヴィンズは、貴族のお手つきから生まれた子で、流行病が原因で跡継ぎが軒並みいなくなったから、急遽貴族邸に招かれた一般人出身だもの。
彼がグローセ・ベーアになるほど、文武両道で品行方正だとしても。元の生まれは絶対に変えられない。
アレクは新興貴族だと言われていても、貴族って表向きにはなっているから、ニーヴィンズからしてみれば複雑なんだろうなあ。アレクだって身分も性も出身も偽っていること、今のところ知っているのは私くらいだし。
どう答えたものかと考えた結果、私は両手を腰に当てた。
「関係ありませんわ。あなた、グローセ・ベーアに認められたんでしょう? アレク様がどれだけすごい人であろうとも、今選ばれたのはあなただわ。それはもっと誇りに思うべきではなくて?」
「アデリナさん……」
「ついでに私にもちょーっとだけでも、お相伴させてくださったら嬉しいんですけど、あなたにその気がないんでしたら、仕方がありませんわね」
ニーヴィンズはぽかーんとしたあと、すぐに破顔した。
「アデリナさんは、面白いね」
「まあ、面白がらせるために言った覚えはありませんわよ?」
「うん、アデリナさんは面白い」
「ちょっとー!」
さんざんニーヴィンズに笑われてしまった。うう、妹が面白いこと言って、お兄ちゃんむっちゃ面白いって顔されてしまった。まあ……妹扱いされているほうが、下手に修羅場にならなくってもいいか。
さて。行動でこれまた面白くない授業説明会と、教科書配布が済んだあとは、いよいよ今日のメインイベント。倶楽部見学会だ。
****
フェンシング倶楽部のある体育館は、他にも室内スポーツをしているせいで、ひとつの体育館の中が何個にも区切られているという不可思議な形をしている。
体育館の地下一階がフェンシング倶楽部の活動場所で、上の階から見学者が集まって見下ろしていた。
フェンシング倶楽部の生徒たちは、皆フェンシング用のジャケットにマスクを付け、レイピアを持っている。たしかに、騎士道という言葉が大昔のものになった今でも、この美しい姿を見たいって人たちはいくらでも見学に来るわと、それを眺めていたら。
マスクを持っているルドルフが、「ジャケットの着方はわかるかい?」と後輩たちに指導しているのが見えた。
ジャケットは防具だから、ちゃんと着てなかったら危ないんだっけ。前世の知識を思い返すけれど、オリンピックの観戦以外でフェンシングのことについて真剣に考えたことはなかったから、どこまでも知識は付け焼き刃だ。
「アレク様ー!」
「ジャケット姿もお美しいです、アレク様!」
ルドルフもいるのに、既にすっかり女子生徒のファンをつくってしまっているアレクもまた、ジャケット姿になり、マスクを手に持っていた。
「それじゃあ、一戦交えるにあたり、先輩たちが胸を貸そう。時間は砂時計が落ちるまで。その間に突きを入れられたほうが勝ち」
「よろしくお願いします!」
試合がはじまる前に、互いにレイピアを構えて、一礼する。そのまま試合がはじまった。
元々が剣の時代から騎士道精神を学ぶためにはじまったとされるそれは、その突きのスピードは驚くほどに速い。こりゃジャケットとマスクがなかったら試合をしちゃいけないというはずだ。
ルドルフとアレクもまた、マスクを付けると、レイピアをかまえて一礼する。
途端に、ふたりのレイピアは火花を散らした。
さっきから先輩たちが電光石火の試合を行っているけれど、このふたりの試合はどうだろう。ルドルフは最初はアレクをいなすつもりだったんだろうけれど、アレクのスピードははっきり言って先輩たちと遜色なく速いのだ。
アレクの迷いのない剣さばきが、ルドルフめがけて打ち放たれる。それをルドルフは寸でのところで躱し、形勢を立て直そうとするも、アレクがさらに攻め立てる。
最初は防戦一方だったルドルフも、手加減を止めたらしい。わずかにアレクの突きが離れたタイミングを見計らってレイピアを構え直すと、アレクのレイピアに向かって、激しく突き入れた。
皆、声援を送ることもなく、ただ息を飲んで見守っている。
もう室内スポーツなんて和やかなことを言っている暇はない。下手に気をやったら死人が出てもおかしくない、試合内容だったのだ。
「……すごいね。今日、見学会のはずだよ。これ、ただの模擬試合じゃなくって、決闘そのものじゃない」
ぽつんとニーヴィンズが言うのを、私は大きく頷いた。
なによりも、私が驚きを禁じ得ないのは。アレクは騎士なんかじゃない一般人なはずなのに、なんでこんなに剣さばきが上手いのかってことだ。
彼女は教会にいた頃のことは、ゲーム中でもなにひとつ語られていない。でも、この試合を見ていたらわかる。
彼女は、間違いなく転覆させる気なんだ。彼女の身に起こった理不尽を。
……私は、そんな彼女の本気と、戦わなくちゃいけないんだ。
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