居酒屋で焼き鳥を貪る彼女が会社のあの子のワケがない

霜弐谷鴇

他人の空似であってほしい

 週末は必ずここ『焼き鳥居酒屋〜縁〜』に来て、1週間の疲労を癒すためにビール片手に焼き鳥を頬張ることにしている。


 古い木製の引き戸を開き、景気のいい掛け声を聞きつつ、流れるようにカウンター席の最奥に陣取る。


 いつもの若い店員にビールと串8種盛りを注文する。私はたれ派である。この注文を済ませた後の、待つ時間もまた癒しのひと時だ。


 日中は部下に度々手を止めさせられ、相談・確認・承認の嵐。自分の仕事に集中し続ける時間はあまり長くは取れず、ぶつ切りの時間の中で過ごす。


 だからこそ、このただ待つだけの時間が尊いものに感じられた。雑然としたこの空間で、2度と会わないであろう人々の雑談をBGMに腹を空かせて待つ。なんと心地の良い時間か。


 ビールは早々に運ばれてきたが、焼き鳥を待つ。立ち込める匂いに腹はおおいに刺激された。


「らっしゃい!!」


 景気のいい掛け声が聞こえ、入口を横目に見る。女性のひとり客か。じろじろと見るのは同じひとり客としての私の美学に反するゆえ、明瞭には見えないが女性だということはわかった。


 私の席とは反対側へ歩いてゆき、角のテーブル席に着く。ひとり客でもテーブル席に座る権利はあるというのが私の美学だ、気にすることではない。ほぼ後ろ姿しか見えない席にその女性が着く、と同時に店員を呼ぶ。


 ……待て。待て待て待て。一瞬見えたあの横顔は、雛菊さんか? あの社内でほんわか美人と大人気の雛菊さんか?


 ーーまぁ、そんなこともあるか。ほんわか美人さんだって、週末に寂れた居酒屋でひとりで呑みたくなることもあるさ。それに茶々を入れるのは私の美学に反する。


 そう自分で納得し、丁度よく運ばれてきた焼き鳥を頬張る。旨い。柔らかくじゅわりと肉汁が染み出るモモ肉。カリカリとした食感のあとに独特の弾力と旨味を感じさせる鶏皮。コリコリとした食感がやみつきになる砂肝。どれも最高だ。


 それらをビールで流し込む。至福の時とはこのこ……いや待って、あのとんでもない大皿はどこに?


 数十本の焼き鳥が盛られた大皿は、先ほどの彼女の元に運ばれた。そしてビールがピッチャーで出され、グラスも共に添えられる。嘘だろう?


 後ろ姿の彼女は両手を合わせると、焼き鳥に貪りつく。なんとも異様な光景だ。品なんてない、欲望に身を任せた食欲の権化が如き姿だ。


 あれは、きっと別人だ。あの雛菊さんではない。横を通り過ぎたときに柔らかな良い香りがする、花が咲いたような笑顔を見せる彼女なわけがない。


 まるで餓鬼のような、執念さえ感じさせる食べっぷりでその女性は次々に串を積み上げていく。


 雛菊さんじゃ、ないよな? 私の心に好奇心が湧き上がる。顔をハッキリ見たわけではないから確信がもてない。私の美学には反するが、なんとかして確かめたい。


 いつのまにやら焼き鳥は食べきってしまっていたため、次の注文をする。来るのを待つ間に……よし、トイレに行こう。幸いトイレは彼女の席のすぐ横にある。そこまで近づけばわかるはずだ。


 私は立ち上がりトイレへと向かう。彼女の後ろ姿が迫る。じろじろ見るのは美学に反する、横目だ、横目で見るんだ。


 通り過ぎる瞬間に全神経を集中させ、横目で見る。


 見えない。ダメだ振り返らないと見えない。しかしそれでは気づかれてしまうかもしれない。戻る時だ、トイレから出て戻る時に確認しよう。最悪気づかれてもそれならきっと許される。


 トイレに入り、少し時間を潰す。動悸が激しくなっているのを感じる。浮気調査をする探偵などは、こんな気持ちなのだろうかと訳のわからないことを考えてしまう。


 そろそろ良いか、とごくりと喉を鳴らしつつドアを開けてトイレを出る。前髪を直すふりで顔に手を被せて彼女を見る。


 ーー携帯を見ている。体をこれでもかと捻って壁側を向いて。当然顔なんて全く見えない。なぜこのタイミングでそんな姿勢で……。鞄から携帯を出したところだったのか? 顔を見たい、が立ち止まるわけにはいかない。

 良心の呵責に耐えきれずその場を通り過ぎ、元のカウンター席に戻る。


 すでに注文した品は置かれ、少し冷えていた。

 私はなにをやっているんだ。癒しの時間を反故にして、美学に反してまで人様のプライバシーを侵害しようとするなんて。


 私は並べられた品を次々に口の中に放り込みビールで流し込む。

 きっと他人の空似だ。きっとそうだ。そうであってほしいとすら思う。らしくないことはやめて、今日はお開きにしよう。


 私は残さず平らげると、普段なら食後に一息つくところだが、今日はすぐに帰り支度をして財布と伝票を手にレジへと向かう。


 会計を済ませて「ご馳走様」と一声かけ、木製の引き戸を開ける。外の空気が流れ込み身震いする。

 まだ寒い季節が続くな、と心の中で独りごちて戸を閉め、暗い道を歩く。


 少し歩いてから財布をレジ前のカウンターに置きっぱなしだったことに気が付いた。ビール一杯で酔ってしまったかと自嘲して急ぎ足で店へと戻り戸を開く。


 意図せず、戸の前にいた女性と目が合った。


「ーーあ」

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居酒屋で焼き鳥を貪る彼女が会社のあの子のワケがない 霜弐谷鴇 @toki_shimoniya

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