一章⑤

    ***


 約束のフレンチフルコースを食べに行く日。

 普段は着ないような、レースがかわいらしい淡いピンク色のフォーマルなワンピースを着て、メイクも髪もれいに整えた華が、ご機嫌な様子で鏡の前で最終チェックをしていた。

 こういうフェミニンな服はどちらかというと葉月の方が似合うのだが、似た顔立ちだけあって華もそれなりに見栄えがよくてご満悦だ。

 それをムスッとした顔で見ている葵には、椿が幸せそうな顔で張りついている。

「ダァリ~ン。今度は私達もデートしようねぇ」

「するか! 俺もついてくぞ、主!」

「駄目だよぉ、ダーリンは椿とお留守番だもん。ご主人様からも今日は一日ダーリンにくっついてろって命令されてるし~」

「はーなーせー」

 葵の動きを、とりもちのように張りついた椿が封じる。

『あるじ様、あずはもお留守番?』

 やはりというか、ついて行こうとする葵に加え、あずはも華の周りをヒラヒラと飛びながら、舌っ足らずなかわいらしい声で問う。

「ごめんね、あずは。あずは達は連れてくるなって朔が言うのよ」

「主は俺達とフルコースとどっちを取るんだ?」

 どこかねた様子の葵の問いかけに、華は即答できずに視線を彷徨さまよわせた。

 葵達は大事だがフルコースも捨てられない。

 そんな華の心の声が聞こえたのか、葵がじとっとした視線を向けてくる。

「主……」

 華は葵を直視できないまま乾いた笑いを浮かべる。

「あはは……。もちろん葵達の方が大事に決まってるじゃない」

「でも、フルコースも大事って顔してるぞ」

「いや、まあ……」

 否定できないでいる華を見かねたのか、ため息を吐いて雅が口を挟む。

「葵、それぐらいにしなさい」

「だってよー」

「今回のお食事は主様が頑張ってようを倒したご褒美なのですから、ここは我慢してお見送りしましょう」

「うぐっ」

 葵も理解はしているのだ。

 それでも置いていかれるのが不満なだけ。

「分かったよ」

 葵は渋々といった様子で、最終的には納得してくれたようだ。

「ありがと、雅。葵もね」

 華はよしよしと葵の頭をでてから、かばんを持った。

「じゃあ、行ってくるから大人しくしてるのよ」

「いってらっしゃいませ、主様」

『いってらっしゃい、あるじ様』

 微笑む雅と、ヒラヒラと飛ぶあずは。

 そして、ムスッとしたままの葵と、そんな葵に抱きつきながらニコニコ顔で手を振る椿に見送られ部屋を出た。

 残念ながら嵐はこの場におらず反応は見られない。

 最近なにをしているのか分からないが、ちょくちょく出かけているようだ。

 嵐は華の式神なので力のつながりがあるため捜そうと思えば捜せるのだが、嵐の行動を制限するつもりはないので、自由にさせている。

 玄関では朔がすでに待っていた。

 朔も黒いスラックスに青いジャケットというフォーマルな装いをしている。

「お待たせ」

「遅いぞ」

「葵がゴネちゃってね」

「やっぱりか」

 想定内だったからこそ、椿を借りたのだ。

「ちゃんと言い聞かせてきたんだろうな?」

「うん。たぶん大丈夫」

「なら、行くぞ」

「はーい」

 待ちに待った高級フレンチを食べられるとあって、華の機嫌は最高潮にいい。

 ウキウキとした様子で車に乗り込んだ。

 そして訪れたのは、一ノ宮グループ系列の五つ星高級ホテル内にあるレストラン。

 個室に案内され、ウェルカムドリンクが提供される。

 朔はシャンパンのようだが、まだ十八歳の華にはりんの炭酸ジュースだった。

 見た目だけなら朔が飲んでいるシャンパンと変わらない。

「よーし、カンパーイ」

 テンションの高い声でグラスを持ち上げたのは華でも朔でもなく、何故ここにいるのか分からない雪笹である。

「なんであなたがここにいるのよ!」

 華は目をり上げてビシッと指差した。

「えー、だってこの間のおびって聞いたからさ、俺も関係者だし必要だろ?」

「いらないから帰れ!」

 完全に雪笹を警戒対象と認識している華はそう怒鳴りつけるが、雪笹は変わらずヘラヘラ笑っている。

「朔、なんとかしてよ。せっかくのフルコースが不味まずくなる!」

「そこまで言わなくてもよくね? さすがの俺も傷つくぞ」

 などと雪笹は言ってはいるが、その余裕の笑みを浮かべた表情ではまったく説得力にかける。

 むしろこの状況を楽しんでいるようにしか見えない。

「そもそも、お前はどうやって俺達が今日ここに来ることを知ったんだ?」

 朔があきれたように問うと、雪笹はシャンパンを飲みながらニヤリと笑った。

「そりゃあ、これでも三光楼の次期当主だからな。情報源はいろいろ持ってるさ」

 朔はあきらめたように深くため息を吐く。

「せっかく邪魔な式神達を留守番させてきたのに、害虫がくっついてくるとは……」

「害虫呼ばわりってひどくね?」

「その通りだろ。夫婦のデートの時間に割り込むお邪魔虫め」

 ポンポン言い返すそのやり取りは、二人の親密さを感じさせるが、華にとって今はそんなことはどうでもいい。

「朔ってば、早く追い出してよ」

「言って聞くような奴じゃないから諦めるしかない」

「えー」

 途端に華から不満げな声が出る。

 表情からしてものすごく嫌そうだ。

 けれど、空気を読まない雪笹は、ちゃっかりシャンパンをおかわりしている。

「いいじゃんいいじゃん。朔の嫁なら俺の身内みたいなもんだし。お兄ちゃんと呼んでくれてもいいんだぞ?」

「ノーサンキュー!」

「馬鹿が。調子に乗るなよ」

 華と朔から冷たい言葉とまなしを浴びせられても動じない雪笹は、はっはっはっと陽気に笑っている。

 まさかもう酔っているなんてことはないだろうなと心配になるほどだ。

「笑ってないで、とっとと帰れ! せっかく楽しみにしてたのに、台なしじゃないのよ」

 雪笹の顔を見ながら食事するなんて楽しめるわけがない。

 まだ妖魔の一件を忘れたわけではないのだ。

 華は根に持つタイプであった。

 すると、雪笹はジャケットの内ポケットからチケットのようなものを取り出す。

「これやるから許してくれよ」

「なにそれ?」

「三光楼が経営しているホテルのカフェで、半永久的に無料で使い放題の特別なチケットだ。席も少人数なら常に空けておくようにしたから、友達とか好きな時に連れて行けるぞ。ここの店のアフタヌーンティーはテレビでも紹介されててめちゃくちゃ人気なんだ」

「そのカフェって……」

 ピシャーンと雷に打たれたように華に衝撃が走る。

 華も知っている。人気すぎて予約が取れないと噂のカフェである。

 季節ごとに内容が変わる、見た目も味も一級品のアフタヌーンティーは、一度は行ってみたいねと友人のすずと話していたものだ。

「それくれるの?」

「同席を許してくれるならな」

「いくらでもどうぞ~」

 ニコニコ顔で声もびるように高くなる。ころりと態度を変えた華に、朔も呆れている。

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