一章③


    ***


 葉月が一瀬の家に帰ってしまい、華は元の生活に戻った。

 寂しく思うものの、葉月が決めたのなら仕方ないと自分を納得させたが、華以上に望がたいそう落ち込んでいた。

 葉月が過ごしていた部屋を見て深いため息を吐いているのを何度か目にしている。

 望はどうせクラスが一緒なのだから学校でいくらでも会えるだろうに。

 クラスが違い、会う時間が限られている華に比べたら全然いいではないか。

 しかし、あまりにも悲愴感を漂わせるので、さすがにかわいそうになり、おちょくったりはせずに見なかったことにしてあげている。

 多少の名残り惜しさを感じつつ、一ノ宮では変わらぬ時間が流れていった。

 華は夕食終わりにおに入った後、タンクトップに短パンというラフな姿で、鏡を見ながら顔に化粧水を塗っている。

 そんな華の背後では、ドライヤーとくしを手に華の髪を乾かしているみやびがいた。

 髪を乾かしながら目に入った華の背中に、雅はわずかにまゆをひそめる。

あるじ様のお背中、だいぶアザが消えてきましたね」

「本当? よかった」

「このようなアザを作られて、素直によかったと喜べませんけどね」

 両親を失脚させられたのはいいのだが、そのために強いようと戦わされた華は、その時に体を壁に激しく打ちつけた。

 その結果、背中に大きなアザができてしまったのである。

 アザができるほどの負傷だ。もちろん、痛みもそれなりにあったが思ったより早く引き、アザだけが痛々しく残っていた。

 それが雅には我慢がならないようで、華の背中を見る度、華以上に怒る始末。

 華はあおいあらしの前ではタンクトップのような肌を見せる服のままではいないので、アザの様子を分かっているのは雅とあずはだけだ。

 葵の場合は式神といえども男性の姿なので恥ずかしいから。

 嵐の場合はたたり神になった彼を救う時に残った傷跡を見せることで、罪悪感を与えないためである。

「あのボンボンめ。さんこうろうの次期当主だかなんだか知りませんが、主様にこんな傷を負わせるとは。私も一発かましておくのでした」

 不穏な言葉を漏らす雅は、怒り心頭に発した様子で、ドライヤーを握りしめている。

 壊しかねないほどの力で握りしめており、ドライヤーから悲鳴が聞こえてきそうだ。

 ギリギリとみしている雅が怒りを感じている相手は、三光楼ゆきざさ

 五家の一つ、三光楼の次期当主に指名されている人物で、朔の黒曜学校時代の同級生だ。

 華が負傷する原因となった妖魔は、本来なら雪笹が倒さねばならなかったものなのだ。

 それを一瀬の両親を失脚させるのに協力する代わりに、華に押しつけた。

 それは朔の承諾もあってのことだったので、雅や葵は朔にも怒りを感じている。

 朔が母親であるに𠮟られた時には、それはもう機嫌よさげにざまあみろという顔をしていた。

 ちなみに、美桜に詳細な経緯をチクったのはあずはである。

「次にもし同じことをしようものなら、目にもの見せてやります」

「まあ、程々にね」

 華は雪笹に一発食らわし、多少スッキリしていたので他人ひとごとだ。

 化粧水の次に乳液を塗り終えると、雅の方も髪を乾かし終えたようでドライヤーの電源を切った。

 その時、脱衣所の扉が急に開けられた。

 入ってきたのは朔である。

「あっ、脱衣所のかぎ閉めるの忘れてた。ギリギリセーフ」

「主様……。お気をつけください。主様の裸体をらちものに見られたらどうなさるのです」

「てっきり閉めたと思ってたんだもの」

 タイミングを間違えたら危うく着替えを見られているところだった。

 ほっとする華とは逆にまゆを寄せた朔は舌打ちする。

「ちっ」

「なに舌打ちしてるのよ」

「鍵をちゃんとしておけ。入浴中に望が間違って入って来たらどうするんだ。俺すらまだ一緒に入っていないのに」

「このエロ親父が。一緒に入ることなんて一生ないわよ!」

 じとーっとしたまなしを向けるが、朔はそれぐらいのことを気にするような人間ではなかった。

「妻の裸を見られるのは夫の特権だぞ」

 キリッとした真顔で発言する内容ではない。

「その格好も十分露出が多い! 俺以外の男の前では絶対にするなよ」

 なにに対して怒っているのかとあきれると同時に、着衣しているものの、タンクトップに短パンという肌の露出の多い姿をじっくりと見られれば、急に恥ずかしくなる。

「見ないでよ、馬鹿! セクハラで訴えて、当主の名声を地に落としてやるわよ」

「やれるものならやってみろ。一ノ宮の権力で握りつぶしてやる」

 はたから見たら犬も食わない夫婦のけんにしか思われないだろう。

 逆に恥をさらしそうだ。

 毛を逆立てて威嚇する猫のように、朔をにらんでいる華の肩にパーカーがかけられる。

「主様、いつまでもそんな格好では風邪をめされますよ」

「ありがとう、雅」

 なんと気が利く式神だろうか。

 首元が隠れるぐらいチャックを閉めて、ようやくほっとする。

「別に俺の前でならそのままでも全然構わないんだがな」

「うるさい」

 ギロリと睨むが、朔は意地が悪そうに口角を上げるだけ。

 そんな朔は思い出したように口を開いた。

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