一章②

 父親は顔を真っ赤にして体を震わせる。

 上手うまく言葉が出てこないようで口をパクパクとさせていたが、めていた言葉を吐き出すようにえた。

「な、な、何様だ!」

 怒りを爆発させる父親を冷めた眼差しで見る柳。

 そこには親への情は感じられない。

 だがそれは父親にも同じことが言えるだろう。

「あなたの劣等感にあの子達を巻き込まないでください」

「なんだと!?」

「虫の式神……」

 すっと静かな視線を向けると、父親はたじろいだ。

 その様子を見て、柳は立ち上がる。

「なにも言わずともあなたが一番よく分かっているでしょう? あなたの吹けば飛ぶような小さなきように付き合わされてきた華も葉月ももういません。今後のことはよく考えて行動してください。あなたの大好きな一瀬のためにも」

 それだけ告げると、柳は背を向けて部屋を出るべく動く。

「ふ、ふざけるな! 待て、柳! 待てぇ!」

 父親の声を無視して部屋を出れば、閉じた襖の向こうで父親がなにかを投げつけた音が聞こえた。

 しかし、柳にはどうでもよかった。

 葉月のように父親の顔色をうかがう時期はとうの昔に過ぎているのだ。

 父親がどんなに怒っていようが柳には関係ない。

 気になっているのはただ一つ。

「あの子達に余計な真似をしなければいいのだが……」

 柳はここから逃げていった二人の妹のことを思い浮かべるのだった。


    ***


 晴れて一ノ宮で暮らすことになった葉月は、落ち着かない様子で屋敷の廊下を歩いていた。

 これまで葉月がこの一ノ宮の屋敷に来たのは、朔の襲名披露宴と朔と華との結婚式の二度だけなのだから、緊張するのも無理はない。

 華は肩の力を抜かせるべく話しかける。

「葉月、大丈夫?」

「え、ええ」

「そんなかたひじ張らなくてもいいのに。これからここで暮らすんだから、そんな調子じゃ疲れるわよ」

 そういう華は緊張などじんも感じていない。

 この屋敷で過ごしてだいぶ経つというのもあるが、そもそも最初からあまり緊張感はなかった。

 一ノ宮の人間から歓迎されていなくても、それがどうしたと言わんばかりだった。

 そんな図太いところが朔に好まれたのだろうが、思ったより早くに一ノ宮の人間に華の力が周知された上、朔の不在時に屋敷を取り仕切る女主人であった美桜に認められたのも大きい。

 もしいまだ華が落ちこぼれのままでいたなら、一ノ宮での扱いはまた違ったものとなっていただろう。

 今のようにヘラヘラと笑っていられないかもしれない。

 しかし、華ならそれならそれで好き勝手やっていたような気もする。

 同じ細胞を分けた双子でありながら繊細な葉月に、華と同じように振る舞えというのはかなり難しく、葉月は困ったようにまゆじりを下げた。

「無理言わないでよ。ここをどこだと思ってるの? 本家なのよ」

 葉月にとっては滅多なことでは足を踏み入れられない神聖な場所と言ってもいい。

 恐れ多くて身が縮む思いなのだろう。

「それに……」

 葉月がおそるおそる視線を向ける先には、華と葉月の前を歩く朔の姿。

 腕を組んで堂々と歩く様子は、さすが屋敷の主人である。

 無駄に偉そうとも言える。

「朔が気になるの? どうせ仕事で家にいないことの方が多いんだから、朔のことなんか気にしなくていいって。偉そうにしてるだけで精神年齢は私達より低いから平気平気」

 あはははと笑う華。当主に対してあまりに無礼な言いように、葉月はぎょっとする。

「は、華! ご当主様に聞こえちゃう!」

 遠慮の欠片かけらもない華に驚く葉月は、朔からお𠮟りを受けないかと気が気でない。

 そんなことはお構いなしに笑う華。その前を歩く朔のこめかみに青筋が浮かぶ。

「怒ったって怖くないって~」

 すると、ヘラヘラとしている華の脳天目がけて朔のチョップが命中した。

 力加減はされていたが、そんな問題ではない。

「なにすんのよ! 暴力反対!」

「なにが暴力反対だ。お前が言うなという言葉をくれてやる」

 普段から口より手が出る方が早い華である。

 しかし、それでいうと朔もたいがいだった。

「馬鹿朔~!」

 ねたように唇を突き出す華の頰を朔が片手でつかむ。

 むぎゅっと頰を押さえられ、必然とタコのような口になった華に、朔は怖いほどの笑顔を見せる。

「誰のおかげでお前の姉があの家を出られたと思ってるんだ?」

「ひょれは私が協力したお礼でひょ」

「後見人になるとは言ったが、ここで暮らすように手配したのはオプションだ」

「ケチー!」

「文句があるなら放り出すぞ」

 不敵に笑う朔。意地悪なことを言いつつ、なんだかんだで葉月を受け入れてくれているのには感謝だが、その乱暴な言い方には不満が残る。

 華は頰を摑む手を振り払い、朔のすねをしたたかにりつけた。

「いった!」

 痛みにもだえる朔をふふんと見下ろす華は、朔を放置して葉月の手を引いた。

「ほら、葉月。さっさとお様にあいさつしよう。お義母様は怒らせると朔なんかよりずっと怖いんだから」

「え、でも……」

 葉月は心配そうに朔を見ていたが、華は我関せずと引っ張っていく。

 その後を朔がため息を吐きながらやれやれとついてくるのを見て、葉月は困惑しながらも華に従う。

 着いたのは、普段華達が食事を取る部屋。

 ちょうどお昼時とあって、昼食を取るために着席している美桜の姿があった。

 美桜にはあらかじめ事情を話し、葉月をこの家で預かりたい旨を伝えている。

 その後で一瀬の家になにやら電話していたようだが、なにを話したかまでは華は知らない。

 ただ、「なにごとも筋は通すべきですからね」と、美桜はツンとした様子で言っていた。

 一見すると怒っているようにも見える美桜の様子だが、ツンデレな彼女のことなので、華と葉月のために一瀬の両親をけんせいしてくれたのかもしれない。

 決して言葉で伝えはしないところがツンデレのツンデレたるゆえんだ。

 しかし、初対面の葉月に美桜のツンデレが伝わるはずもなく、値踏みするような鋭い眼光の美桜にづいている。

 おびえる葉月を美桜の前に座らせて、華が紹介する。

「お義母様。姉の葉月です。今日からよろしくお願いします」

 美桜にギロリとにらまれ葉月はビクリとするが、これが通常運転だ。

「華さんから話は聞いています。本来なら嫁でもない分家の者を受け入れるなど反対だったのだけど、朔がどうしてもというから仕方ありません。一ノ宮で暮らすからには一ノ宮のルールにのつとり、節度を守った行動を心がけなさい」

「は、はい。お世話になります」

 葉月はこわったままの顔でその場で深々と頭を下げた。

 あまり歓迎していないように思える美桜の言葉。

 裏の事情を知る華と朔があきれた顔で美桜を見ていると、二人の言葉を代弁するように、お茶を持ってきたが口を開く。

「反対だったとおっしゃいますが、葉月様の部屋を率先して整えられたのは美桜様ではございませんか。美桜様は葉月様の事情を知り、それは大層びんに思われ、一瀬のご両親に憤っておられたのですよ」

「十和っ!」

 美桜が顔を赤くして十和を𠮟りつけるが、長年一ノ宮で使用人をしている、ある種一ノ宮の陰のドンとも言える十和は、ひょうひょうと笑っている。

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