一章①

 一瀬家では、はなづきもいなくなった屋敷で、両親がいらちを隠せずにいた。

 屋敷の使用人はとばっちりを食らいたくないとばかりに、二人がいる部屋には近付かないようにしていたため、周囲はしんと静まり返っている。

 しかし、二人の知らぬところでは葉月が出ていったことが広まり、使用人達は口々に噂していた。

「とうとう葉月様が家を出たらしいわよ」

「うっそ、本当に? でも仕方ないわよね。むしろやっとかって感じ」

「葉月様に対するなさりようは、教育というより虐待だったものね。そりゃあ、葉月様も嫌になるわよ。だん様達ももう少し葉月様に寄り添っていればよかったのに、追い詰めるばかりだったもの」

「しっ! 旦那様達に聞かれたらまずいわよ」

 使用人達がそんな話をしているとは知らぬ父親は、じっと座っていられないのかグルグルと部屋の中を練り歩き、母親は爪をんで冷静さを取り戻そうとしているようだった。

 親不孝な華が突然やって来たので、とうとう一ノ宮から追い出されたのかと思ったら、葉月を連れて出ていってしまった。

 葉月はこれまで親の言うことを聞く自慢の娘だったというのに、あろうことか、苦労してやっと話をつけた結婚をしたくないなどと言い出した。

 これまで親に逆らったことのない葉月の反逆とも取れる行動に、両親は怒り心頭に発した。

 きっと華の悪い影響を受けたに違いないと、確信している。

 そこに葉月を心配する気持ちがわずかばかりでもあればいいが、両親の中に葉月をおもんぱかる心はじんもなかった。

 ただただ葉月が自分達に逆らったことが信じられず、そして不満でならない。

 葉月はどうやら本家にいるらしい。

 何故両親が知っているかというと、当主である朔の母親のから、今後は葉月を一ノ宮の屋敷で住まわせると報告があったからだ。

 有無を言わせない事後承諾。

 はなから両親の意見など必要ないというように、用件だけを述べて電話は切られた。

 そんな一瀬を軽んじる美桜の対応についても彼らは憤慨していた。

「きっと華にそそのかされたに違いない。そうだ、それ以外にあの葉月が私達にたてく理由があるはずがないんだ」

「ええ、そうですとも」

 どこまでも己を顧みない自分勝手な両親は、自分達に原因があるなどと思いもしない。

 使用人にすら葉月が出ていった原因がどこにあるかは明白だったというのに。

「華の奴め。どこまで一瀬家の邪魔をすればいいんだ! やはりとっとと養子に出しておくべきだったんだ。葉月がどうしてもと駄々をこねるから置いてやったのに、恩をあだで返して、なんて娘だ!」

 両親の不満は華へと注がれていた。

「本家に苦情を入れましょう! 華が当主の妻だというなら、越権行為がすぎると訴えることもできます。葉月は一瀬の人間なのですから」

「あ、いや、しかし……。相手は本家だ。本家の不興を買うわけには……」

 先ほどまでの勢いはどこへやら、途端に口ごもる父親に、母親は目をつり上げた。

「あなた! そんな弱気でどうするのですか。このままでは葉月が奪われてしまいますよ!」

「そんなことは分かっている!」

 そんな怒りがくすぶる部屋に突如声が響く。

「失礼します」

 そう声をかけて入ってきたのは、ここ数日間仕事で家を空けていた、華と葉月の兄であるやなぎだ。

 柳は入ってすぐのふすまの側に座った。

 最年少で瑠璃色を手にした才能のある柳は、家の再興を夢見ている両親にとったら希望であるはずなのに、葉月に対する熱の入れようから考えるとひどく冷たくされている。

 そもそも一瀬を成り上がらせたいというなら、とっとと柳に家長の座を明け渡すのが最良なのだ。

 柳は当主である朔からの覚えもめでたく、朔がよく柳を頼って仕事を与えているのは誰もが知るところなのだから。

 しかし、父親はそうしない。

 いまだその地位にしがみついている。

 そんな父親は、親とは思えない冷めたまなしを柳へと向けた。

「ああ、お前か。今は忙しい。なんの用事だ?」

「葉月が家を出たようですね」

 柳はただ問いかけただけだったが、その冷静さが父親のかんに障った。

「それがなんだ! 私のせいだとでも言いたいのか!?」

「……ただの確認です」

 いまいましそうに鼻を鳴らした父親は、はっとする。

「そうだ、柳! お前は普段から本家に出入りしているじゃないか。朔様にも気に入られているし、お前が本家に行って葉月を説得してこい。なんとしても葉月を連れ帰るんだ!」

 名案だと言わんばかりの父親に、柳は動揺するでも荒ぶるでもない静かなひとみを向ける。

「それはできません」

「何故だ! この私が命じているんだ。お前は私の言う通りに動けばいい!」

 父親の言葉とは思えないごうまんさが表れた言葉の前でも、柳はいだ海のように感情を揺らすことなく答える。

「葉月がこの家を出たのは己の意思です」

「それは華のせいでっ!」

「葉月はもう成人。そして葉月の後見人に朔様が立たれました。葉月が望み、一ノ宮の当主が受け入れた以上、しがない分家になにができますか?」

 落ちぶれた一瀬ごときに。という副音声が聞こえてきそうだ。

「お前は本家に出入りできるのだから、葉月を引っ張ってでも無理やり連れ帰ればいいだろうが!」

 それがどんなに愚かな行動か分かっているのだろうか。いや、分かっていないからこそ、このように愚かな言葉を吐くのだ。

「そんなことをして、本家を怒らせるつもりですか? 一ノ宮に仕える者として俺は断らせていただきます。たとえ仕えていなくとも、一ノ宮を敵に回すなど愚策です。考え直してください」

 怒りをあらわにする父親を前にしても、どこまでも冷静に、父親をいさめるように言葉を紡ぐ。

 だが父親にこれ以上愚かな行動をさせないためにと気を遣った言葉は、父親をさらに感情的にさせる。

「お前はいつもそうだ。妹がいなくなったというのに顔色一つ変えない。その顔の裏で私をあざわらっているのだろう! 馬鹿にしているのだ! 父上に選ばれたと優越感に浸っているのだろう? だが、残念だったな。一瀬の今の家長は私だ! 父上でもお前でもない! この、私だ!」

 叫び終え、はあはあと息を切らす父親は、柳をにらみつける。

 母親はオロオロとしているが、父親を止める様子はない。

 こうなってしまった父親をなだめるのは至難の業だと、一瀬の家の者なら誰もが知っている。

 優秀でありながら柳は父親から嫌われている。ねたまれていると言う方が正しいだろうか。

 これまでは華という存在がいたために隠れていたが、華と葉月が生まれるまでは、父親の厳しい眼差しは柳に向いていた。

 それを母親も止めはしない。

 柳の心の中に浮かぶのは、両親へのあきれとあきらめ。

 父親は今なお劣等感にさいなまれているのだと再確認する。

「あなたが俺のことをどう思おうと関係はありません。ですが、これ以上葉月や華の邪魔はしないでください」

「邪魔とはなんだ! 俺は父親として当然の──」

 父親は言い終える前に言葉を止めた。

 座る柳の視線にされたからだ。

 柳がなにかをしたわけではないが、その眼差しは鋭く父親をけんせいしている。

「あの子達は自分で自分の道を選びました。それを邪魔するというなら私にも考えがあります」

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