一章①

 いち家の屋敷は最近ピリピリとした空気に包まれていた。

 それというのも、一瀬家の次女のはなが本家である一ノ宮家の当主の妻に選ばれてしまったからである。

 これまで優秀な双子の姉づきと散々比べ、『姉のらし』『残りカス』と目も向けなかった落ちこぼれだったのに、期待を一身に背負う葉月を差し置いて当主の妻になった。

 一瀬家の両親は信じられない思いと同時に、いつの間に当主と知り合っていたのかと華に対し憎らしさが湧いた。

 なにより気に食わないのは、華が一瀬家を一切無視し続けていることだ。

 当主の妻となったのなら、その恩恵を実家に与えてもいいだろうに、当主の妻を輩出した家でありながら、一瀬家は相変わらず分家の中での地位は低いまま。

 それが両親は我慢ならなかった。

 華との接触を図ろうと一ノ宮本家に行くも、門前払いを食らう始末。

 当主であるさくにより、華との面会には制限がかけられているとかなんとか。

 自分達は華の両親だというのに、結婚が決まった時ですら口を挟む隙はなく、会うこともままならないことに憤慨したが、取り合ってはもらえない。

「あなた、華に送った手紙はどうでした?」

「封も開けられずそのまま戻ってきた」

「まあ! なんてこと」

「くそっ! 華の奴め、どうしてあんな風に育ったんだ。双子でも葉月は親の言うことを聞くいい子だというのに。やはり葉月の方が当主の妻に相応ふさわしかったんだ。それなのにあの落ちこぼれがっ!」

 これまで華をないがしろにしておきながら、あんまりな話だ。

 もしも両親が華を大切に扱っていたなら華も両親に話していただろうし、言われるまでもなく一瀬家を大事にしただろう。

 恩恵を与えられ、分家の中でも発言力を増したはずだ。

 しかし現実は真逆。

 華を顧みなかったことで、むしろ姉ばかりに目を向けていたとちようしようされる日々。

「もっと次女を可愛がっていたらよかったですな」と馬鹿にするような笑いを押し殺しながらそんなことを言ったのは、一瀬家と変わらぬ発言力の弱い分家の者だ。

 ついでに、「長女には相当教育に力を入れていたというのに無駄になりましたな」などと付け加えて、葉月を通して長女ばかりに期待を寄せていた両親をあざわらったのだ。

 プライドだけは無駄に高い両親は言い返すこともできずに歯がみした。

 そして、恨みの矛先を何故か華に向けたのだ。

 落ちこぼれであった華が悪いと。

 とはいえ、華と会えない以上、華に期待はできない。

 別の策を講じる必要があった。

 その策というのが、卓上に置かれた茶色いレザーの写真台紙である。

「家の権威を取り戻すために残された道はこれしかない」

 強い意志を持った父親の視線は写真台紙に向けられ、険しい顔をする両親のいる部屋に、呼び出された葉月がやって来た。

「失礼します。お父さん、お母さん、なにかご用ですか?」

 双子の妹である華と容姿は似ているが、華よりも華やかな顔立ちをしている葉月は、部屋の中の異様な空気に気付くも、口には出さなかった。

 しかし、なにかしらの違和感は抱いているようで、顔色は優れない。

「よく来た、葉月。そこに座りなさい」

 不必要なほどの笑みを浮かべる父親の様子を不思議に思いながら、葉月は言われるままに両親の正面に座った。

 座るやいなや父親が発したのは、葉月を褒める言葉だった。

「葉月、お前は本当に優秀だな。先日の試験も学年トップだったそうじゃないか」

「ありがとうございます」

 特別表情を変えることなく頭を下げる葉月に、さらに賛辞が向けられる。

「幼い頃からお前は優秀で、私達はいつも鼻高々だった。人型の式神まで生み出して、お前は自慢の娘だ」

「どうしたんですか、お父さん? 突然そんなこと」

 普段言わないことを口にする父親に、葉月は困惑気味だ。

「いや、お前が私達の期待通りに育ってくれて、うれしいと改めて思ったのだよ」

 父親はそう言うと、葉月の前に茶色の写真台紙を置く。

「中を見てみなさい」

「えっ、はい……」

 葉月が言われるままに閉じられたそれを開くと、男性の写真が貼られていた。

 話をしたことはないが、葉月も顔だけは知る人物だった。

「お父さん、この写真は?」

 問いながら葉月は嫌な予感がしてならなかった。

 何故なら、それはまるでお見合い写真のようだったから。

 そんなはずはないと葉月は自分に言い聞かせていたが、父親から返ってきたのは残酷な言葉だった。

「葉月、お前の結婚相手を決めてきてやったぞ」

「先方からも色よい返事をもらっているのよ。良かったわね、葉月」

 娘が喜ぶことを疑わない両親の態度に、葉月は反射的に言い返した。

「待ってください! この方は確か四十代だったはずです。私とは歳が離れすぎてます。それに……!」

 まだ続けようとする葉月の言葉を遮るように父親が厳しく𠮟る。

「それがなんだというんだ。年齢などまつなことではないか。必要なのは家のためになるかというその一点のみだ」

「……っ」

 葉月は反論することができずに唇を引き結ぶ。

 家のためと言い出した時の両親が葉月の話を聞かないのは今に始まったことではないから、すぐに葉月から言葉を奪ってしまう。

「まさか好いているとかいないとか、お前はそんなつまらないことを言う子ではないだろう? なあ、葉月?」

「……はい。お父さん」

 葉月が肯定すれば、途端に父親は笑顔になる。

「この結婚は我が一瀬家のためになる大事なものだ。葉月もよく理解しておきなさい」

「はい……」

「まったく、華がもっとうまく立ち回っていたら、この私が頭を下げて懇願する必要はなかったというのに、どうしようもない娘だ。同じ双子でどうしてこうも違うのか。しかし、葉月は親の期待にこたえてくれる優秀な子で私達は助かったよ」

「…………」

 葉月は無理やり笑みを浮かべたが、ひざに置かれた手は耐えるようにぐっと強くこぶしを握っていた。

 機嫌のいい両親はそれに気付きもしない。

「顔合わせは少し先になるだろう。それまで一瀬の者として恥ずかしくない行動を心掛けなさい。まあ、葉月には今さら忠告するようなことではないだろうが」

「そうですよ、あなた。葉月は華のように親に逆らうような馬鹿な行動はしません。つつましやかで大人しい、まさに大和やまとなでしのような子なんですから」

 にこやかに笑いながら華をさげすみ、葉月を持ちあげる両親は、自分達の発言に問題があるとは思っていないようだ。

 華と比べることで葉月を褒めているように見せかけて、葉月の行動をけんせいしていることに気付いているのだろうか。

 親の言うことを聞く子は善で、逆らう子は悪とする両親の考え方に反感を覚えていないわけではない。

 華の名を出されるたびに、比べられるたびに、葉月は両親の理想の娘を背負わされているのを感じる。

 自分の半身。大事な片割れ。

 いつから道をたがえてしまったのだろうか。

 両親が華を無能と蔑むたびに葉月が悲しんでいることを誰も知らない。それはきっと華も。

 華の分も自分が頑張れば両親は機嫌をよくして華を悪く言うことはなくなる。

 自分が優秀でありさえすれば……。

 そうして両親に従順にしてきたのに、いつからかそれが当たり前となり逆らうことができなくなってしまった。

 周囲の評価を気にするあまり優等生を演じ続けた。

 それを息苦しいと感じていたのに、口に出せなくなっていった。

 昔、まだ仲が良かった頃はよく華に愚痴を言っては困らせていたのに、その華といつの間にか距離ができてしまったことがなにより悲しくつらい。

 最初は華のためだったはずなのに、葉月の行いは華との距離を作ってしまう原因となるだけだった。

 どうしてこうなってしまったのだろうか。

 葉月にはもう分からなくなってきた。

 葉月のしてきたことはすべてが裏目に出てしまい、守りたかったはずの華すら側からいなくなり、葉月にはもう誰もいない。

『誰か助けて』

 それは決して葉月が口にできない心の叫びだった。

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