推定年齢88

oxygendes

第1話

 人の手の入らぬ針葉樹林が広がる山地を縫うように走る州道は、緩やかに流れる大河のほとりで様相を変えた。かつて砂金目当ての開拓者によって作られた小さな村が現れたのだ。だが、その村も今では十軒ほどのログハウスと二軒の商店が間を置いて立ち並んでいるだけだった。村名を示す看板も長年の雨風で文字が読み取りにくくなっている。


 一台の車が州道を外れ、村の中に入ってきた。黄色いミニバスで車体のあちこちに様々な形のアンテナが付いている。ミニバスは村の中をゆっくり進み、食料品店の前で動きを止めた。ゼリービーンズや麻袋に入ったジャガイモなど様々な食品が並ぶ店の庭先には、木製のテーブルとベンチが並べられ、数人の高齢のご婦人が腰を据え、くつろいでお茶を飲んでいた。ご婦人方はミニバスを物珍しそうに眺める。


 ミニバスから五六人の男性が降りてきた。ウエスタンシャツやジーンズといったカジュアルな服装だ。その中の一人、金髪をオールバックにした三十代くらいの男性が老婦人たちに話しかける。

「突然おじゃまして申し訳ないです。少しばかりお時間をいただけたらありがたいのですが」

 女性たちの一人、両手の指にたくさんの指輪をはめた老婦人が応じる。

「全然かまいませんよ、お若いお方。何かお困りごとですか?」

「実は……」

 金髪の男性は神妙な表情になった。

「人を探していまして。このあたりに住んでいるらしいのですが……」

「何という方ですか?」

「名前はわかりません。年齢は88歳くらい、ずば抜けた射撃の技量を持つ人でして」

「おやまあ、雲をつかむような話ですね」

「1963年時点で29歳だったと思われるのです」

 黒髪を短髪に刈り上げた男性が口をはさむ。

「1963年! ケネディ大統領が暗殺された年よ」

 指輪の女性の隣で、丸メガネをかけた老婦人が叫び声を上げた。

「リジー! この人たちはFBIの捜査員よ。大統領暗殺の真犯人を捕まえに来たんだわ」

 その言葉に男性たちは顔を見合わせて笑った。

「残念ながら私たちはACBテレビの取材クルーです。そんな大事件ではなく、とある人物の昔のプライベートなエピソードについて取材に来たのですよ」

 金髪の男性の説明に丸メガネの老婦人はがっかりした表情になった。

「ほかに手掛かりはないの?」

 リジーと呼ばれた女性の言葉に金髪の男性は首をひねった。

「そうですね、以前住んでいた住居は四方を広く見渡せて、なおかつ近づくには少し手間取るような場所だったそうです。もしかしたら同じような場所に住んでいるかもしれません」

「それだったらジョーンズさんよ!」

 きれいな白髪の老婦人が発言した。

「ほら、ここからも見えるあそこの山の頂上……」

 村の背後に聳える山を指さす。

「くすんだ灰色に塗られているのがジョーンズさんの家よ。周りの木は刈られているから見晴らしはいいはずよ。登って行く道も車が通れるのは途中までだから、たどり着くのは大変よ」

「でも、ジョーンズさんは銃の腕はからっきしよ」

 丸メガネの老婦人が口をはさむ。

「この間なんか十メートル先の灰色熊を外したのよ。熊が銃声にびっくりして逃げたからよかったようなものの、そうでなきゃこの世とおさらばしてたところよ」

 彼女の言葉に老婦人たちは声をあげて笑った。

「なるほど」

 金髪の男性は頷いた。

「それは条件とは異なりますね。でも念のため、一応行ってみようと思います。貴重な情報をありがとうございました」

「どういたしまして。そうだ、よかったらこれを皆さんでお召し上がりになって。ジェシカの焼いた自慢のアップルパイですのよ」

 リジーと呼ばれた女性から贈られたアップルパイを持ち、男性たちはミニバスで出発した。


 山へと向かう車中で、運転する短髪の男性が隣に座る金髪の男性に話しかけた。

「間違いないですね、チーフ」

「ああ、彼だ。失敗が許されない任務だ。皆、気を引き締めてかかれ」

 車内は緊縛した空気に一変した。


 蛇行しながら山を上って行く道路は途中で丸太を組んだバリケードで遮られていて、そこから先は斜面に作られた石段を登って行くしかなかった。男性たちはそれぞれ小さなアタッシュケースだけを持って登って行く。

 二十分ほどかかり頂上にたどり着いた。切り開かれ、平らに均された二百平方メートルほどの頂上に灰色に塗られた住居が建ち、その前は裸地になっていた。


 住居の扉の前に白髪の老人が立ち、男性たちを待ち構えていた。その眼は鷹のように鋭かった。右手に丸いものを握っている。男性たちは老人の十メートルほど前で立ち止まった。荷物を置いて両手を掲げ、何も持っていないことを示してから金髪の男性が話し始めた。

「はじめてお目にかかります。伝説のスナイパー、AAAトリプルエース様とお見受けします」

「ふん、その名前を知っていると言うことはお前たちもまともな稼業のものでないな」

 老人はそっけない口調で応えた。

「すまじき宮仕えの身です。任務によりここに参りました」

「まず言っておく。この村に来たと言うことは、あの方から話を聞いたのだろう。もしそれが強制によるものなら、お前たちの組織の上から三人はこの世から消えることになる」

「承知しています。あのお方には状況を説明しご理解いただいたところです」

「それは確認させてもらうさ。で、用件は?」

「はい」

 金髪の男性は一歩前に進み出た。

「我が国は今、未曽有の危機に直面しています。この危機を乗り越えるには伝説のスナイパー、八百メートル先のテニスボールを一発で射貫くことができ、ケネディ大統領暗殺やベルリンの壁崩壊、アラブの春など、数々の歴史の転換点に人知れず関与しそれを左右して来たあなたにお願いするしかないと判断した次第です」

「この老人にまだ何かできると?」

「はい、あなたは世界を変えることができます」

「ふうむ」

 老人は右手を体の前に掲げた。手の中にあったのは赤い林檎だった。

「この安逸な生活は気に入っていたのだけどな」

「それでは、引き受けていただけると……」

「そんなことは言っていない」

 老人は林檎を持ったまま右手を伸ばし、遥かに見えるふもとの村を指さした。先ほどまでいた食料品店の前に数人の人影が見える。

「あそこからここではちょうど八百メートルだ。ほら、銃を構えているのが見えるだろう」

 老人の言葉に男たちは振り返って目を凝らした。人影の中の一人が細長い物の一端を肩に押し当て、こちらに向けているのが見える。その距離では顔までは判別できなかった。

 ビー、ビー、ビー……

 金髪の男性のポケットで着信音が鳴り始めた。

「お呼びだぜ、出たらどうだね」

 老人の言葉に、金髪の男性は通信端末を取り出し、耳に当てた。

「ハロー、坊やたち。こっちは見えているかしら?」

 それは先ほどの老婦人の声だった。

「どうしてこの周波数が……」

「蛇の道は蛇よ。ついでにみんなに聞こえるようにしてあげるわ。ほら、」

 通信端末の音量が上がり皆に声が聞こえるようになった。

「あいにくだけど、現役復帰する気はないわ。面倒ごとはもうたくさん」

「え……」

 金髪の男性は言葉を失った。

「先輩としてアドバイスしてあげる。どんな事態だって知恵と力を振り絞れば道は開けるものよ。あなたたちでなんとかしなさい。じゃあ、ジョーンズさん、お願い」

「あいよ」

 老人は林檎を顔の横に掲げた。

「テニスボールと林檎、大きさに差は無いと言うことだ」

 キラリ、人影の中で何かが光り、

 ドンッ、破裂音とともに老人の手の中の林檎が爆発した。老人の背後の壁に小さな弾痕が出現している。

「八百メートル先のテニスボールを一発で射貫くことができる者は二人といない。よってAAAはわしではなく、彼女なのさ。わしはお邪魔虫が来た時に本人が逃げる時間を稼ぐための替え玉さ。ここで暮らすだけで結構な金がもらえるいい仕事だったのだがな。こうなってはそれもお終い、残念なことだ」

 男性たちがあわてて見つめる中、ふもとの村から数台の車が走り去り、ポンッという音と共に村の家屋から一斉に炎が上がった。

「ところでどうしてあんたらはAAAが男と思い込んでいたんだい?」

 老人は濡れた右手を自分の服の袖で拭き、呵々かかと大笑した。


             終わり

 

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