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 30日の天気予報では明日、大晦日おおみそかの朝から元旦にかけて大雨になっていた。


 結局、大晦日も元旦も懐空かいあは出掛けなかった。雨ならうちに来ればいいと懐空は誘ったが、麗奈れなは、退院したばかりの由紀恵に気を使わせるだけだから、私は自分の親に会いに行く、とメッセージを寄越した。


 それなら別の日に、という懐空の誘いにも、麗奈は遠すぎる、と難色を示した。

『懐空がアパートに戻って来れば、いつでも会えるよ』

と言われれば、懐空もそれ以上は誘えなかった。やっぱり、親に紹介するなんて、プレッシャーを感じさせたのかもしれないと懐空は思った。


 予定通り由紀恵は退院し、自宅に戻ってからも横になっている時間が多かったが、家事の全てを懐空がこなすのを見て、『可愛い子には旅をさせよ。カイ、一人暮らしで、随分しっかりしたね』と、微笑んだ。


 術後の経過観察で、5日に病院に行ったとき、週明けから重い荷物を持たないなどの制約はあるものの、職場復帰の許可もおりた。これで懐空も安心して大学に戻る事ができると胸を撫で下ろす。


 それでもゆっくりしか動けない母が心配で、やっぱり日曜までは実家にいる事にした。


 手術翌日には医師の指示で歩くようにしていた由紀恵は、退院して帰って来た時、自宅に続く階段を昇り切るのに15分かかっていたのが、5日には5分で登れるようになっていて、もう大丈夫だと懐空を安堵あんどさせている。


「こんなに長く、彼女を放っておいてよかったの? いるんでしょう?」

 6日土曜日に、明日、アパートに帰る、と言う懐空に由紀恵が言った。由紀恵には麗奈れなの事を話していない。


 お正月に予告なしで連れてきて、びっくりさせようと思っていた懐空だった。それが中止になり、今さら言えないと、麗奈の事を話しそびれていた。


「気が付いてたんだ?」

「母さんに隠し事は無理よ。うそついてもいつもすぐにバレてたでしょう?」

 確かに子どものころから由紀恵は懐空の嘘をすぐ見破った。きっと顔に出てしまうんだろう。


「うん。本当は家に連れて来ようと思ってたんだ、元旦に」

「あぁ……元旦、土砂降りだったからね。残念だわ」

「春休みにでも、また計画するよ」


 どんなコなの? と問われ、明るくて無邪気むじゃきで優しいコだよ、と懐空は答えた。

「そっか、いいコみたいね。大事にするのよ」


 帰ると決めた日曜日は7日で、朝、七草粥ななくさかゆを作り由紀恵と二人で食べ、片付けを終えた後、懐空はアパートに帰る事にした。


 大晦日元旦とあれほど雨が降ったのに、それ以降は快晴が続いていた。その日も快晴で、由紀恵は庭の階段口で懐空を見送った。


 数段おきに懐空が振り返るといつまでも由紀恵が立っている。風邪ひくから部屋に入れと懐空が声を張り上げると、手を振って姿を消した。一言も言わないけれど、やっぱり母は寂しいんだ、と懐空は感じていた。


 アパートに向かう途中の電車で、懐空は麗奈にメッセージを送った。早く会いたかった。イブの日に別れて以来、2週間も会っていない。土産みやげに用意したハトの形のサブレも渡したかった。


『これからアパートに帰るよ。晩ご飯、一緒に食べないか?』

すぐ既読になり、返信が来る。

『ごめん、今日は都合が悪いの』

『それじゃあ、明日、バイトの前にどこかで会おう。マンションに迎えに行こうか?』

『懐空、明日までフェリイチェ、休みだよ。成人の日だもの』


 あ……祝日なんてすっかり忘れていた。ちゃんとカレンダーを見ればよかった。恥ずかしさで懐空の顔が熱くなる。でも、それなら……


『それじゃあ、明日、どこか遊びに行こうよ』

『私、今、実家。明後日あさって、そっちに帰る予定。フェリイチェに直接行くから、バイトが終わってからゆっくりしよう』


 なんとなく、いつもの麗奈とは違う気がする。でも、『判った。楽しみにしてる』と、返事するしかなかった。


 駅からの帰り道、上り坂の途中で懐空を追い越したタクシーが、懐空の住むアパートの前で停まった。降りてきたのは愛実あいみだった。懐空に気付いてどうやら待っているようだ。


「お母さん、どうだった? その様子だと、元気になられたかな?」

 合流した懐空が愛実と並んでアパートの敷地に入る。サンドイッチのお礼を言うと愛実が懐空に母親の容体ようだいを聞いてきた。

虫垂炎ちゅうすいえんで。手術したけど、もう回復して。お陰さまで休み明けには職場復帰できるんです」

良かった、と愛実が微笑む。


「これ、お土産です。お菓子、クッキーとか好きですよね? サブレです ―― あ、サブレとクッキーって違うのかな?」

ガサゴソと荷物の中から箱を取り出して愛実に渡すと、包み紙を愛実は知っているようだ。

「あら、豊川屋? カイア、湘南ボーイなのね」

「愛実さん、よくそんな言葉知ってますね。死語ですよ。ちなみにサーフィン、やったことないです」

「そっか、死語かぁ。そうかもしれないね。私の親がよく言ってた言葉だもの。ちなみにわたし、横浜出身」

「あれ、お隣さん?」

「今もお隣さん」

二人でクスクスと笑い合った。


「仕方ないって判ってても、彼女は怒ったんじゃない?」

 心配そうに愛実が懐空をのぞき込む。

「ストレートに怒ってるとは言わないけれど。なんか、歯切れ悪いです」

「歯切れが悪いかぁ……」


 実家にいる間の麗奈とのやり取りを、懐空はかいつまんで愛実に話した。

「そっか、彼女、寂しかったんだね ―― 普段の生活に戻れば、きっと元通りになるよ」


 サブレ、ご馳走さま、と愛実は自分の部屋に入っていった。


 きっと愛実の言う通りだ、不安を感じるのは長いこと顔を見ていないからだ。

でも、本当にそれだけだろうか……


(考えても仕方ない。麗奈に会えばわかる事だ)

懐空も自分の部屋に戻っていった。

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