16
翌日、
保証人、と言われ、懐空をドキリとさせる。頼めるような親戚はいない。そう言えば、母の親、つまり懐空にとって祖父母の話を由紀恵から聞いた事もない。兄弟の話を由紀恵がすることもなかった。もちろん、年賀状なんかも来たためしがない。
保証人の条件を聞くと、成人で本人の承諾がある事、と言われホッとした。ならば自分でもいい
受付を離れる前に、保証金を納め、すべての書類をチェックし、不明点がない様にいろいろ質問した懐空だった。保証金は昨日、由紀恵に言われた場所から、必要な金額を持ってきていた。
面会は午後のみだったが、入院に必要な物を持ってきたと言ったら、ナースステーションに
「懐空、ありがとう。手間を掛けるわね」
病室に行くと、昨日と比べると、かなり顔色がよくなった由紀恵の笑顔に迎えられる。
「えっと……」
備え付きのロッカーに
「着替え、母さん、言わなかったから、持ってこなかったんだけど、よかったの?」
すると、由紀恵がニヤッとする。
「いいよぉ、どうせ前開きのパジャマなんか持ってないし、病院で貸してくれるのを着とくよ」
「だって、下着は?」
「売店で買えるよ……年頃の息子に頼めないって」
そうだよね、っと、内心懐空はホッとしている。洗濯はいつも由紀恵がやっていて、母親の下着なんか懐空は、洗濯干し場にしているサンルームに干してあるのを見たことがあるだけだ。それもバスタオルで
「退院の時に着る服は指定するから、母さんのクローゼットから持ってきてね」
うん、と懐空は
懐空が帰ろうとすると、そう言えば、と由紀恵が引き止める。
「カイ、アンタ、どれくらい
「バイトで、ってこと?」
「今年、1年間で」
「なんで?
「んっとね、世の中、複雑なんだ」
母の扶養家族の懐空が稼ぎ過ぎると、扶養家族でいられなくなる、と由紀恵が言った。
「そうすると、母さんの税金が高くなるし、カイはカイの名前で保険とか入らなきゃならなくなるの」
詳しい事はネットで調べて、と由紀恵は言った。
そのあと、駐車場で待っててくれた尚弥に、ハンコが欲しいというと、海沿いは渋滞してるだろうから、と、モノレールの下の道を通ってJR幹線の駅から東に少しいったショッピングセンターに連れて行ってくれた。駅の向こう側には
どうせなら、書いて持って行った方がいい、と尚弥に勧められ、ドーナツショップに入る。なるほど、病院だと立ったままだけど、ここなら座って掛ける。それだけで、随分 書きやすい。
途中で思いついてバイト先のフェリイチェに、事情を説明したうえで、今日は休む、とメールを送った。今日休めば正月明けまで休むことになる。本当に申し訳ありません、そんな懐空のメッセージに、マンマは、今はバイトよりお母さんを優先しなきゃね、気にしてはダメだよ、と答えてくれた。
病院の手続きが終わった後、由紀恵の職場に菓子折りを持って挨拶に行った。同じ菓子折りを尚弥にも用意し、帰りに持って帰ってもらった。せめてもの礼だ。その程度なら尚弥も受け取ってくれるだろう。
由紀恵の上司は由紀恵の容態を聞くと、重篤なことにならなくてよかった、ゆっくり静養してください、と胸を撫で下ろす。由紀恵さんを頼りにしている、待っていると伝えて欲しい、と懐空の手を握った。
その夕方、懐空は自宅のベランダから、眼下に広がる海を見下ろしていた。
自宅は古い戸建てで、懐空が生まれたころに母が購入したらしい。海を見下ろせる丘の上で、長い階段を昇らなければ辿り着けなかった。貯金を
波が静かで暖かい日だった。観光地のこの辺りは人出も車も多い。風も弱く天気のいい今日は、冬ではないようだ。大学のあるところは東京でも寒いほうで、きっと5℃くらいはこっちのほうが、気温が高いだろう。
実家が海の近くだと
交通は不便だし、海以外は小高い丘ばっかりだし、大学のあるところのほうが生活には数段、便利だ、と懐空は思っていた。でも、離れてみて、自分はあの地元が結構好きだったんだと思った。
『マンマにはメールした。今日から休む。フェリイチェが始まるまで、こっちにいようかな』
麗奈にメッセージを送る。いつもなら、すぐ送られてくる返事が既読になったのにこない。時間は午後2時だ。
(怒っているのかな……初詣に行きたいとか言ってたっけ)
懐空の家の最寄り駅から数駅で、初詣で有名な八幡宮がある。大学からだと電車を乗り継いで2時間、乗換を考えると2時間半はかかる。それに、メチャクチャ混む。
それでも元旦を避ければ少しはマシか。いや、それとも元旦の早い時間にするか?
初日の出を見に行くのも悪くない、と懐空は思った。電車を乗り継げば、半島の南端の海岸に行ける。夜遅く待ち合わせ、どこかで時間を潰して初日の出を見てから、戻ってきて初詣、これなら……
雨が降ったら、うちで一緒にテレビを見て、母さんにも紹介して、母さんはきっと大喜びで歓迎してくれるはずだ。眠くなったら、麗奈には僕のベッドで寝て貰って、僕はリビングのソファーベッドで寝ればいい。
『今、実家で海を眺めているんだ。麗奈にも見せたいな……都合がつくなら初日の出を見にいかないか? そのあと、八幡宮に初詣に行こう。それからこの家に来ないか? 一緒に海を見よう。雨が降ったら僕の家でテレビを見ようよ。母さんにも紹介したい』
送信してから、やっぱり
今度はすぐに返信が来た。
『うん、楽しみにしてる。約束だよ』
ハートの絵文字が一緒に送られてきたあとに、『チュッ』と書かれたスタンプが画面で踊った。
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