14

 雪はチラホラしただけで、翌日は快晴だった。麗奈れなとは大学の最寄り駅で待ち合わせている。


 ライトベージュのコートに、白と赤を基調にしたノルディック柄のマフラーをゆったりと巻いた麗奈は、懐空かいあを見つけると駆け寄ってきて、にっこりと笑顔を見せた。


 やっぱり可愛い……懐空も思わず笑顔を返す。可愛い、と思いながら、ニット帽の先についているファーはウサギの尻尾しっぽみたいだ、と懐空は思った。ウサギより何倍も何十倍も、いやそれ以上、何よりも誰よりも麗奈可愛い、と思った。


 動物園に向かう電車の中で、麗奈は始終、他愛のない話をし、懐空はときどきあいづちを打って聞いていた。話しの合間に微笑みあい、懐空の肩に頭をもたれさせる麗奈の肩を懐空が抱き寄せたりもした。


 きっと周囲は間違いなく、僕と麗奈を恋人同士だと思うだろう。そうだよ、麗奈は僕の彼女、恋人だ、懐空はそう思った。胸が熱くなるのを感じ、これが幸せってものか、と実感した。


 動物園はカップルが多く、さすがはクリスマスイブだ、と懐空を感心させた。ふと気が付くと麗奈が重そうな荷物を持っていて、聞くとお弁当を作ってきたという。早く言えばいいのに、と懐空は弁当の包みを受け取った。


 弁当の包みはずっしりと重く、もっと早く気付いてあげればよかったと懐空は思った。


 園内を回り、コアラを見、カンガルーをながめている頃、昼時になった。休憩きゅうけい用のテーブルが並ぶ広場に入っていくと、タイミングよく目の前のテーブルがいた。


 麗奈が用意したのは、おにぎりと、唐揚げや卵焼きと、ありふれたものばかりだったが、食べやすい物を選んで作って来たんだな、と懐空は思っていた。


 保温マグカップに入れたお茶もあって、これじゃあ重いと思ったけれど、コンビニで買ったペットボトルはとっくに冷めきっている。やっぱり麗奈は気が利く。


「懐空の家の卵焼きって、塩味? それとも甘いの?」

「ん? その日の気分で塩だったり砂糖だったり出汁巻だしまきだったり……」

「お母さん、気紛きまぐれなんだ?」

「いや、他のオカズとのバランスなんじゃないかな? しょっぱいオカズの時には甘くしたり」

「お母さん、お料理上手?」

「どうだろう、たまに失敗したって騒いでる。見ると焦げちゃったりしててね。でも、そんな時以外は、味はいいと思うよ」

「味はいい?」

「うん、見た目は酷いってこともないけど、麗奈が作ってくれるように、見るからに美味しそう、って感じじゃないんだ。たまぁに、手の込んだの作るけど、そんな時以外はね」

「そっかぁ……働いてたらそうなっちゃうかもね」


 普段の母が手抜きをしている、と言われた気分がしたが、懐空は口に出さず、顔にも出ないように気を付けた。


 確かに手抜きだったんだろう。正社員として働いて、懐空が小学生の高学年になってからは、それまでしなかった残業も結構していた。そんな日は買って来たお惣菜で済ますこともあったが、みそ汁くらいは作ってくれた。


 中学生の頃から、洗い物は懐空がしたし、高校生になるころには、ちょっとした料理なら懐空もできるようになっていて、残業が長時間の時や、どうしようもなく疲れた時は、母に頼まれて懐空が夕飯を作ることもあった。懐空が夕飯を作るのはだったから、普段から少しは手抜きしなければ、時間が足りなかったんだと思う。でも、それを麗奈に、他人に指摘されるのは面白くなかった。


 幸い麗奈はそんな懐空に気が付かなかったようで、食べたら次はライオンバスに乗ろう、なんて、動物園の案内図を見ながら楽しそうだ。せっかく楽しんでいるのに水を差しちゃいけないと、懐空も笑顔を麗奈に向けていた。


 動物園のあとはモノレールで、国営の大きな公園にイルミネーションを見に行った。ここもカップルでいっぱいで、物陰で抱き合ってキスしている姿もちらほら見えた。麗奈と寄り添って、美しいイルミネーションを眺めながら、今日も麗奈は部屋に来いと言うだろうか、と懐空は考えていた。もし誘われたら、今夜は麗奈と一緒にいてもいい、と思い始めていた。


「麗奈、これ……」

 イルミネーションで色付く麗奈の顔を見詰めながら、懐空はプレゼントを麗奈に渡した。

「嬉しい……なんだろう? 開けてもいい?」

懐空が頷くと、麗奈は丁寧に包装をがして、バッグに仕舞っていく。そして箱を開けると、

「綺麗……」

と懐空の顔を見上げた。ペンダントはイルミネーションを受けて光り輝いた。ジルコニアがキラキラときらめいている。それ以上に麗奈の瞳が輝いていると、懐空は感じた。


「つけて……」

 麗奈がペンダントを箱から出して懐空に渡す。腕を麗奈の後ろに回し、やっとの事で懐空は留め具を止めた。ペンダントの留め具がどうなっているかなんて、この時まで知らなかった。真面目な顔で試行錯誤する懐空の顔に、麗奈は笑いをこらえていた。


「似合うよ……麗奈、とっても綺麗きれいだ」

 懐空はささやいて麗奈を抱きしめて口づけた。ペンダントが綺麗なんじゃなくって、麗奈が綺麗なんだって、言い直そうかと思ったけれど、キスをやめたくなくて懐空はそのままにした。今夜は、今夜こそは、麗奈の部屋に行こう、そう思った。


「ありがとう……これは懐空に」

 麗奈からのプレゼントはマフラーだった。やっぱり庄司しょうじさんといたのは麗奈だったのかもしれない。きっと、いつもおしゃれな庄司さんに相談して、このマフラーを決めたんだ、と懐空は思った。


 していたマフラーをリュックに仕舞い、貰ったマフラーを首に巻くと、

「こうするの」

と、笑いながら麗奈が巻き直してくれた。フワッと暖かいマフラーは、麗奈の心と同じだと懐空は感じていた。


 夕飯は駅前の繁華街で食べようか、と相談しているとき、懐空の携帯が鳴った。尚弥なおやだった。


「懐空か? 大変だぞ!」

 半ば怒鳴るように尚弥が言う。


「うちの母ちゃんから電話があって、懐空の母ちゃんが倒れたって」

「え?」


 何度も電話したと言われ確認すると、確かに着信履歴が残っている。街にあふれるクリスマスソングや雑踏に紛れ、気が付かなかったのだろう。

「俺、明日帰るつもりだったけど、今夜、帰る事にした。懐空、送ってくよ。母ちゃんからもそうしろって言われた」


 懐空の慌てる様子を心配そうに見ていた麗奈に事情を話すと、

「早く行ってあげて」

と、麗奈も顔色を変える。

「うん、送っていけなくてごめん」


 アパートの最寄り駅までは一緒に帰った。懐空が降りる駅に近づくと、しっかりするのよ、と麗奈は懐空に寄り添った。その麗奈を抱き締めてキスし、そしてまた抱き締めた。そして電車のドアが開き、懐空はホームに降りた。そして麗奈にうなずいてから改札に向かって走り去っていった。


 他人目ひとめがあるところでのキスはもちろん、抱き合うのも初めてだった。なんでこんな時に、と懐空は思ったが、深く考えている余裕はなかった。早く母のところに行かなくちゃ……心はどんどん焦るばかりだ。


 尚弥は懐空のアパートに迎えに来ると言っていた。約束の時間まで、あと僅かだ。早くアパートに帰り、身の回りのもの ―― 何日か分の着替えを用意しなくちゃならない。


 鍵を開けているところで、隣のドアから愛実あいみが顔を見せた。

「デートじゃなかった? 今日は帰らないかと思ってたのに」

「母が倒れたって連絡があって。急いで実家に帰るんです。先輩がもうすぐ迎えにくるんで、急いでます」

それだけ言うと、懐空は愛実を外廊下に残して部屋に入った。

「……そりゃデートどころじゃないね」

ドアの外で置き去りにされた愛実の声が消えていく。


 支度したくができた頃、クラクションが聞こえた。尚弥だ。慌てて靴を履き、ドアを開ける。と、またも隣のドアが開く。

「カイア、これ持ってって、サンドイッチ。それと、ペットボトルのお茶。買う余裕ないかもって。先輩の分もあるから」

「いや……」


 懐空に遠慮する暇も与えず、愛実は強引に渡してくる。

「気を付けてね。落ち着いていくんだよ」

「うん……」

ゆったりと愛実が微笑み、腕をパンと叩く。うん、そうだ、僕が慌てちゃいけないんだ。


 愛実に会えてよかった、グッと落ち着けた。懐空はそう思いながら、尚弥の車へと急いだ。

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