13

 街がクリスマスのイルミネーションでいろどられ始める頃、お正月に旅行に行こうと麗奈れなが言いだした。

「一泊でいいから、温泉にでも行こうよ」

「うーーーん、今から予約、取れるのかな? それにお正月は、家に帰らなきゃ」


 やっぱり懐空かいあは気が乗らない。

「懐空、孝行息子だもんね」

麗奈の言葉には皮肉がこもっているように感じた。

「わたしなんか親に甘えてばかり。家賃も親に払ってもらってるし」

「僕だってそうだよ、家賃とか光熱費とか」

「でも、生活費が足りなくなって、親に借りたりしてないでしょ? 貸してって言って、返さないんだけどね」

「なんだ、麗奈はフェリイチェのバイト代じゃ足りない?」

「足りない、足りない。懐空は足りてるの?」


 少しなら貯金できるくらいだ、と思ったが、そうは言えない懐空だった。

「まぁ、贅沢ぜいたくしないから」

「わたし、贅沢してるかな?」


 贅沢とまでは言わないけれど、倹約とは言いがたい、と懐空は思った。

「女の子は洋服とか化粧品とか、そう言うのにかかるから大変だよね」

「そうなのよ! 懐空、判ってるね」


 着飾る事はないけれど、麗奈の服や持ち物は安物には見えない。懐空から見ると、それらを麗奈は頻繁ひんぱんに購入しているように見える。女の子だから、きっとそれが普通なんだ、と懐空は思った。女の子だから、なんて言ったら、セクハラって言われるのかな? とも同時に思った。


 結局、旅行に行くのはやめたけれど、クリスマスイブには二人で出かける事にした。はっきりとは言わなかったけれど、麗奈はプレゼントを用意することを匂わせていた。

(わたしにもちょうだい、ってことだな)

懐空は心の中で微笑んでいた。いつもはっきりものを言うくせに、こんな時だけは口に出せない麗奈を可愛いと思った。


 忠司ただししばらく『もう彼女なんか作らない』と言っていたが、バイト先に新しく入ってきたコと仲良くなったらしく、デートに誘うかどうか迷っているらしい。


「世の中はもうすぐクリスマスだ。これを利用しない手はない」

 忠司はそう言うが、自分を彼女をどこか思い切れていないように懐空は感じた。


 それでも前に進もうと、無理をしているように懐空には見えた。でもきっと、そんな事は忠司が一番 判っている、と懐空は黙って話を聞くだけにした。それに、一所ひとところとどまらず、動き出すのは悪いことじゃない、とも思った。


 それじゃあ、僕は? 麗奈との仲を進めるのも悪いことじゃないんじゃないのか? 付き合い始めて8ヶ月、初めてキスしてからどれくらいだったっけ? いい加減、麗奈の求めに応じたっていいんじゃないのか?


「なんだ、旅行、断っちゃったんだ?」

「うん、でもクリスマスイブにはデートする」

「そっか。イブはラブホむぞ」

「おいっ!」


 懐空を揶揄からかうのがさも楽しいと言ったふうの忠司だ。

「でも、懐空たちなら、麗奈ちゃんのマンションでいいもんな。わざわざラブホを使う事もない」

「……忠司は使ったことあるんだ?」

「ん? 実家住みだと、さすがにね」


 失敗した……忠司に別れた彼女を思い出させるようなことを言っちゃった。懐空はあわてて話題を変える。

「クリスマスにデートするなら、やっぱりプレゼント、必要だよね?」

「当り前のこと聞くなって。よし、決めた。俺もクリスマスデートにこぎつける。今日、申し込む ―― 懐空、プレゼント、一緒に買いに行こうぜ」


 用事があるからと、麗奈が先に大学を出た日、懐空も少し早めに大学を出て、最寄り駅の駅ビルに寄った。


 プレゼントは忠司と一緒に買いに行く約束をしていたけれど、下見をしておかないと、わけも判らず忠司に勧められた物を買ってしまいそうだ。


 何をあげたら喜んでくれるかな、やっぱりアクセサリーかな、そんな事を考えながら、ショーケースをのぞく。リング、ペンダント、ブローチ……リングを贈るのは抵抗がある。ペンダントかブローチか。


「彼女さんにクリスマスプレゼントですか?」

 急に声をかけてきたのは店員だった。ショーケースを見るのに夢中になって、近づいてきたのに気が付かなかった。

「えぇ……」

「学生さん?」

店員はにこやかに聞いてくる。店員とやり取りするなんて、慣れない懐空は戸惑ってしまう。ただでさえ、初対面は苦手なのに……


「だったら……こんなペンダントはいかが? 彼女も学生さんでしょ? これならさり気なく胸元を飾って、若い人向けですよ」

 まだ若そうな店員さんがそう言う。きっと懐空たちとそれほど変わらない年齢だ。


「人気なのは、イニシャルデザインのペンダント。ピンクゴールドにジルコニアをあしらっています。お値段もお手頃ですよ」

 ピンクゴールドだのジルコニアだの言われても懐空にはよく判らない。チェーンや台がピンクゴールドで、め込まれた石がジルコニアなのだろう。でも……


「R、有りますか?」

「はい……こちらです」

 ショーケースから、出して見せてくれる。そして裏返された値札を返して見えやすいようにしてくれた。予算通りの値段だ。

(これなら喜んでもらえる……)


 そんな予感があった。でも、今日は手持ちがない。

「取り置きってして貰えますか? 今日は手持ちがなくて」

「もちろん。いつご来店されますか?」

忠司と約束した日時を告げると、伝票を書かされ、控えをくれた。

「お約束の翌日までに連絡もなくいらっしゃらない場合、キャンセルさせていただきますので。ご都合がつかなかったらご連絡くださいね」

お待ちしております、店員はニッコリ笑顔を見せて懐空を見送った。


 改札に向かう途中、バイト先で一緒の庄司しょうじさんを見かけた。マフラーを選んでいるようだ。隣にいる女の子に何か話しかけている。

(麗奈?)


 一瞬、その女の子を麗奈かと思う。でも後ろ姿しか見えない。気のせいだ、と懐空はバイト先に急いだ。麗奈が庄司と二人で会っているとは思えなかった。


 麗奈は、懐空より10分程度遅れてフェリイチェに来た。もちろん一人だった。庄司はその日はシフトに入っていない。やっぱり見間違えだ、と懐空は思った。


 忠司はバイト先のコに断られたらしい。

「俺は買わないが、一緒に選んでやるよ」

と言うので、実はもう決めた、と懐空は白状した。


「へぇ……懐空にしては上出来。そんなの選べるんだ。うん、いいと思う、麗奈ちゃん、きっと喜ぶよ」

 俺はまた、懐空の事だから、実用的なものを選ぶんじゃないかと心配してたんだ、と忠司が笑う。


「実用的な物、って?」

「いいところで、洒落しゃれた弁当箱、もしくはぬいぐるみ。下手へたすりゃ……洗剤とか?」

何かの景品じゃあるまいし、さすがの僕も洗剤はない、と懐空が苦情を言い、二人で大笑いした。


 大学が冬季休みに入った。そして明日はクリスマスイブだ。


 その年のクリスマスイブは日曜日でバイトは休みだった。フェリイチェの年内営業は25日が最後、明けて7日まで正月休みだ。


 麗奈へのプレゼントも取りに行った。クリスマス用の包装にしますね、とニコニコ顔の店員さんが出してくれた細長い箱は、キラキラ輝くリボンが飾られていた。

「素敵なクリスマスを」

店員の笑顔に見送られる懐空は、自分がどれほど嬉しそうな顔をしているか、自分では気が付いていなかった。


「あら……雪?」

 部屋で本を読んでいた懐空の耳に愛実あいみの声が聞こえた。窓を開けて見下ろすと、桜の木の下に愛実がいるのが見えた。


 桜はすっかり葉を落とし枝だらけで、桜だと知らなければ何の木か、懐空には判らなかっただろう。愛実の言う通り、雪の結晶がチラホラと灰色の空から落ちてきている。


「カイア、降りてきて一緒に雪、見ようよ」

 窓が開く音で気が付いたのか、愛実が下から声をかけてくる。

「愛実さん、寒くないんですか?」

「寒いって言うより、冷たいよぉ」

愛実はすっかりご機嫌なようだ。子どもみたいにはしゃいでいる。


 愛実につられて懐空もなんだか愉快になり、ダウンジャケットを着こんで外に出た。

「うーーー寒い。よくこんな時、外に出る気になりますね」

自分だって、のこのこ出てきたくせに懐空が言う。愛実は気にする様子もなくクスクス笑っているだけだ。


「カイア、明日デートでしょ?」

「また、顔に書いてありますか?」

「ううん、クリスマスイブだから、そうかなって」

「そっかぁ……プレゼント、用意したんです」

「わっ! いいね、リングとか? ピアス?」

「あ、ピアスって思いつかなかった……ペンダントです」

「うん、いいじゃない、ペンダント。アクセサリーもらうの嬉しいよ」

「そうですか? 女性の愛実さんに言われると、安心できます」

「女性?」

「友達が、いい、って言っても男だから。女の子の気持ち本当に判ってるかな、って」

「ひょっとして、夏に彼女にフラれた友達?」

「あはは、愛実さん、よく覚えてますね ―― イニシャルの形にジルコニアとかってのがめてあって、ピンクゴールドで……」

「うん、いいねぇ……裏に何か刻印してもらった?」


 え? と懐空が愛実を見る。

「刻印、って?」

「まぁ、お店によるけど、この時期だとそんなサービスしてくれるとこも多いのよ。二人のイニシャル入れてくれたり、ね。刻印がなきゃダメってもんでもないから、次は確認するといいかもね」

「あ、よくドラマとかで見る……エンゲージリングの裏とか?」

「そう、それそれ」


 愛実が両手を伸ばし空を見上げる。

「見てても雪、大して降ってこないね」


 むしろ減ってきているように感じる。服に着く結晶も、さっきは形がはっきりしていたのに、今はもう、頼りなく溶けかかったものばかりだ。

「東京じゃ、なかなかホワイトクリスマスとはいかないね ―― まぁ、明日は楽しんできてね。懐空も早く部屋に入らないと、風邪ひいて行けなくなるよ」


 じゃね、と、さっさと愛実は自分の部屋に戻っていく。


 ―― いや、僕、愛実さんに呼ばれてきたんですけど? 苦笑しながら懐空は愛実を見送った。

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