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翌日、
行くなら一人で、と思ったが、
スーパーに寄って何か差入れを買って行こうと言い出したのは麗奈だった。思いついてもいなかった懐空は、麗奈は思ったよりしっかりしているんだと見直している。
「これ、麗奈ちゃんのチョイスでしょ? 懐空がこんなの思いつくはずない」
と、口々に言われたが、その通りなので懐空は何も言えなかった。
麗奈は思いのほか
それでも久しぶりに会う友人たちとのひと時に、やっぱり来てよかったと、帰るころには懐空も感じていた。
その日はマンションのエントランスまで麗奈を送っていった。とは言っても隣のマンションなのだから、帰り道と言っていい。もう少し駅に近寄れば、懐空たちが通う大学だ。
『寄って行って。晩ご飯、一緒に食べよう』と麗奈が甘えるように言ってきたが、懐空は断った。今日一日遊んでしまった、家に帰って勉強する、と麗奈に言った。
「勉強好きだよね、懐空……」
わたしとどっちが好き? 麗奈の目がそう訴えているように見えた。『勉強』と答えられたらどうしよう、それで麗奈は聞いてこない、懐空はそう思った。
アパートの前に着くと、向こうから
「カイアくん!」
愛実が小走りでやってきて、懐空に声をかけてきた。
「デートの帰り?」
「いえ、大学の先輩の家に呼ばれてたんです。タコパやるぞ、って」
カイアと呼ばれて、ドキッとした。慣れない呼ばれ方で驚いたのだ、と懐空は思った。
「たこ焼きかぁ。いいな。カイアくん、友達、
「そんな事な……」
「あ、サクラちゃん!」
そんな事ないです、そう言おうとした懐空を置き去りに、愛実は桜の木の下に行ってしまう。そしていつも通りしゃがみ込んで、サクラを
「カイアくんの名前って、誰がつけたの?」
「いや……聞いてないけど、多分母だと思います。うち、母と二人だから」
「そうなんだ? 生まれた時から?」
「……僕、父親の顔、写真ですら見たことないんで」
質問の答えじゃないと思いながら懐空はそう答えていた。
愛実が懐空の顔を見る。
「ごめん、余計なこと聞いちゃった」
「いえ、子どもの時からだから、父の事、誰に何を言われても、気にならないです」
そう言いながら懐空は尚弥に聞いた『
「そっかぁ……でも、何か気にしてるでしょ? 顔に書いてある」
「僕って、そんなに顔に出ますか?」
「うん、でもそれがカイアくんのいいところだと思うよ」
「隠し事のできない馬鹿、じゃなくって?」
懐空を見る愛実が驚きの表情を見せる。
「なに、それ。誰かにそんなこと言われた?」
「いや、自分でそう思ったから」
すると愛実が笑いだす。
「そうだねぇ……確かにカイアくんには隠し事とか
と、愛実が軽くため息を吐く。
「わたしは隠し事と嘘ばかり。カイアくんが
「僕から見ると
「それはどうして?」
「不倫とかって、普通、他人に言わないじゃないですか」
「あぁ、そう言われればそうね。カイアくんには言ってもいいと思ったのかな? 他人に言い
「大学で言い触らしてるかもしれませんよ?」
「うん、これは冗談だね。顔に書いてある」
二人で顔を見合わせて笑った。
「こないだ、先輩の車に乗せて
愛実なら答えを知っているかもしれない、懐空はそんな気がした。
「へぇ……それで?」
「で、先輩のお母さんと僕の母は同じ職場らしくて、で、先輩から母の事を聞いて……」
「先輩はなんて?」
「うん……母の事と言うより、僕の父の事、なんですけど」
「うん……」
「先輩のお母さんが言うには『酷い男』なんだそうです」
「そっかぁ……」
それきり懐空は黙ってしまった。なにを愛実に聞きたかったんだろう。愛実に話せば心のモヤモヤが消えるような気がした懐空だったが、全く消える気配がない。
「ショックだった?」
黙ってしまった懐空に愛実が聞いた。
「うん。ショックだったんだと思う。自分でもよく判らなくって」
「そうだよね……そんなもんだよね」
愛実がサクラから手を離すと、今度はおまえの番だ、とばかりにサクラは懐空にすり寄ってくる。
「お父さんに会ってみたい? もし生きていたとしたら」
少し考えてから懐空が答える。
「生きていたとしたら、なんて考えたこともなくて。存在するとも思ってなかったし」
「存在しないと思ってた?」
クスリと愛実が笑う。
「えぇ、僕の親は母だけって、ずっと思ってましたから」
「だったらさ、存在しない男が酷かろうが優しかろうが関係ないじゃん」
「えっ?」
「お母さんがカイアにお父さんの事、話さないのはカイアを傷付けたくなかったからだよね?」
「そうなのかな……」
「そうじゃないとしたら何?」
「……僕の中にはその『酷い男』の血が流れているんだ、って。それがその ――」
ふっと、背中に重さを感じた。懐空の背中に愛実が手を置いた。
「その気持ち、判らなくもない。でもさ、カイアの親はお母さんだけなんでしょう?」
「でも……それは気持ちの問題で」
「ほかに何の問題があるって言うのよ? だいたい、そいつは酷い男だったかもしれない。でも、少なくともわたしの知ってるカイアは酷い男じゃない。肝心なのは、カイアが酷い男にならないことだよ」
「うん……」
サクラを撫でながら懐空が
「泣くな、カイア」
懐空の背を愛実がそっと抱き寄せる。
「酷い男も酷い父親も世の中には居るもんだ。酷い母親だっている。そんなヤツに負けるなカイア」
愛実が言うように懐空はいつの間にか泣いていた。なんで自分が泣いているのかもよく判らなかった。
愛実は
「私の父は本当に酷いヤツだよ。何度、殺してやろうと思ったか。今も、チャンスがあれば殺してやりたい」
小さな声でそう言うと立ち上がった。
「さあて、サクラちゃんに猫缶あげようっと。昨日はカイアがあげてたから、今日はわたしの番ね」
愛実の言葉に驚いて言葉が出ない懐空を置き去りに、愛実は階段を昇っていった。
あれ? いつの間にか呼び捨てだ。懐空は愛実をぼんやり見送った。
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