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 翌日、尚弥なおやはさっそくSNSで連絡してきた。部屋番号、出席メンバーが書かれ、最後に『彼女と二人で必ず来い』と書かれていた。


 行くなら一人で、と思ったが、麗奈れな本人が行きたがった。実はそれが気に入らなくて行くか迷った懐空だったが、言い出せず、とうとう麗奈に押し切られる形で、二人で出かける事にした。


 スーパーに寄って何か差入れを買って行こうと言い出したのは麗奈だった。思いついてもいなかった懐空は、麗奈は思ったよりしっかりしているんだと見直している。


 紅一点こういってんの麗奈は男どもに持てはやされた。麗奈が選んだ差入れのカットフルーツも大歓迎された。

「これ、麗奈ちゃんのチョイスでしょ? 懐空がこんなの思いつくはずない」

と、口々に言われたが、その通りなので懐空は何も言えなかった。


 麗奈は思いのほか気遣きづかい上手で、さり気なく皿を取り替えたり、飲み物を補充したりしていた。その上、明るく屈託くったくのない麗奈に、みんな好感を持ったようだ。懐空はうらやましがられたり、揶揄からかわれたりで、そう言うのが苦手な懐空を辟易へきえきさせた。


 それでも久しぶりに会う友人たちとのひと時に、やっぱり来てよかったと、帰るころには懐空も感じていた。


 その日はマンションのエントランスまで麗奈を送っていった。とは言っても隣のマンションなのだから、帰り道と言っていい。もう少し駅に近寄れば、懐空たちが通う大学だ。


 『寄って行って。晩ご飯、一緒に食べよう』と麗奈が甘えるように言ってきたが、懐空は断った。今日一日遊んでしまった、家に帰って勉強する、と麗奈に言った。


「勉強好きだよね、懐空……」

 わたしとどっちが好き? 麗奈の目がそう訴えているように見えた。『勉強』と答えられたらどうしよう、それで麗奈は聞いてこない、懐空はそう思った。


 アパートの前に着くと、向こうから愛実あいみが歩いてくるのが見える。コンビニにでも行っていたのだろう。愛実も懐空に気付いたようだ。無視するのもヘンだな、と懐空は愛実が来るのを待った。


「カイアくん!」

 愛実が小走りでやってきて、懐空に声をかけてきた。

「デートの帰り?」

「いえ、大学の先輩の家に呼ばれてたんです。タコパやるぞ、って」


 カイアと呼ばれて、ドキッとした。慣れない呼ばれ方で驚いたのだ、と懐空は思った。

「たこ焼きかぁ。いいな。カイアくん、友達、沢山たくさんいそうだよね」

「そんな事な……」

「あ、サクラちゃん!」

 そんな事ないです、そう言おうとした懐空を置き去りに、愛実は桜の木の下に行ってしまう。そしていつも通りしゃがみ込んで、サクラをで始める。そのまま立ち去るのも気が引けて、懐空もその隣にしゃがみ込んだ。


「カイアくんの名前って、誰がつけたの?」

「いや……聞いてないけど、多分母だと思います。うち、母と二人だから」

「そうなんだ? 生まれた時から?」

「……僕、父親の顔、写真ですら見たことないんで」

 質問の答えじゃないと思いながら懐空はそう答えていた。


 愛実が懐空の顔を見る。

「ごめん、余計なこと聞いちゃった」

「いえ、子どもの時からだから、父の事、誰に何を言われても、気にならないです」

そう言いながら懐空は尚弥に聞いた『ひどい男』を思い出していた。

「そっかぁ……でも、何か気にしてるでしょ? 顔に書いてある」

「僕って、そんなに顔に出ますか?」

「うん、でもそれがカイアくんのいいところだと思うよ」

「隠し事のできない馬鹿、じゃなくって?」


 懐空を見る愛実が驚きの表情を見せる。

「なに、それ。誰かにそんなこと言われた?」

「いや、自分でそう思ったから」

すると愛実が笑いだす。

「そうだねぇ……確かにカイアくんには隠し事とかうそは難しいかもね。でも、そんなことしなくていい生き方を、カイアくんはしてるんじゃない? それは素晴らしい事だと思うよ」

と、愛実が軽くため息を吐く。

「わたしは隠し事と嘘ばかり。カイアくんがうらやましいしまぶしいよ」

「僕から見ると樋口ひぐちさんは、嘘も隠し事もないように見えるけど?」

「それはどうして?」

「不倫とかって、普通、他人に言わないじゃないですか」

「あぁ、そう言われればそうね。カイアくんには言ってもいいと思ったのかな? 他人に言いらしたりしそうもない」

「大学で言い触らしてるかもしれませんよ?」

「うん、これは冗談だね。顔に書いてある」

二人で顔を見合わせて笑った。


「こないだ、先輩の車に乗せてもらって実家に行ったんです」

 愛実なら答えを知っているかもしれない、懐空はそんな気がした。

「へぇ……それで?」

「で、先輩のお母さんと僕の母は同じ職場らしくて、で、先輩から母の事を聞いて……」

「先輩はなんて?」

「うん……母の事と言うより、僕の父の事、なんですけど」

「うん……」

「先輩のお母さんが言うには『酷い男』なんだそうです」

「そっかぁ……」


 それきり懐空は黙ってしまった。なにを愛実に聞きたかったんだろう。愛実に話せば心のモヤモヤが消えるような気がした懐空だったが、全く消える気配がない。


「ショックだった?」

 黙ってしまった懐空に愛実が聞いた。

「うん。ショックだったんだと思う。自分でもよく判らなくって」

「そうだよね……そんなもんだよね」


 愛実がサクラから手を離すと、今度はおまえの番だ、とばかりにサクラは懐空にすり寄ってくる。

「お父さんに会ってみたい? もし生きていたとしたら」


 少し考えてから懐空が答える。

「生きていたとしたら、なんて考えたこともなくて。存在するとも思ってなかったし」

「存在しないと思ってた?」

クスリと愛実が笑う。


「えぇ、僕の親は母だけって、ずっと思ってましたから」

「だったらさ、存在しない男が酷かろうが優しかろうが関係ないじゃん」

「えっ?」

「お母さんがカイアにお父さんの事、話さないのはカイアを傷付けたくなかったからだよね?」

「そうなのかな……」

「そうじゃないとしたら何?」

「……僕の中にはその『酷い男』の血が流れているんだ、って。それがその ――」


 ふっと、背中に重さを感じた。懐空の背中に愛実が手を置いた。

「その気持ち、判らなくもない。でもさ、カイアの親はお母さんだけなんでしょう?」

「でも……それは気持ちの問題で」

「ほかに何の問題があるって言うのよ? だいたい、そいつは酷い男だったかもしれない。でも、少なくともわたしの知ってるカイアは酷い男じゃない。肝心なのは、カイアが酷い男にならないことだよ」

「うん……」


 サクラを撫でながら懐空がうつむく。

「泣くな、カイア」

懐空の背を愛実がそっと抱き寄せる。

「酷い男も酷い父親も世の中には居るもんだ。酷い母親だっている。そんなヤツに負けるなカイア」


 愛実が言うように懐空はいつの間にか泣いていた。なんで自分が泣いているのかもよく判らなかった。


 愛実はしばらく懐空に寄り添っていたが、懐空が落ち着くと、

「私の父は本当に酷いヤツだよ。何度、殺してやろうと思ったか。今も、チャンスがあれば殺してやりたい」

小さな声でそう言うと立ち上がった。


「さあて、サクラちゃんに猫缶あげようっと。昨日はカイアがあげてたから、今日はわたしの番ね」

愛実の言葉に驚いて言葉が出ない懐空を置き去りに、愛実は階段を昇っていった。


 あれ? いつの間にか呼び捨てだ。懐空は愛実をぼんやり見送った。

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