10
「これが『かるかん』で、これは『いこ
忠司は鹿児島土産を懐空に少しでも早く渡したかったようだ。
「かるかんは知ってる。いこ餅って?」
「餅菓子だよ。
「そうなんだ? ありがとう。気を使わせちゃったね」
懐空が礼を言うと、忠司が「へへへ」と照れ笑いした。
「懐空さ、ホント、おまえ、可愛いよな」
「なに言いだすんだぁ?」
「本当は、こんなに
「そ、んなこと……」
「隠したって無理むり。顔に出てるんだから。でもさ、おまえの『ありがとう』は本心だ。それも顔に出てる。喜んでくれてる」
そう言う忠司も嬉しそうだ。
「きっとおまえは貰った物よりも、それをお前に、って思った俺の気持ちを喜んでくれたんだ、って、思った」
図星だった。忠司の言う通りだった。
「だってさ、忠司が僕を嫌ってたら、わざわざお土産なんか用意しないはずだ」
「そうさ、俺は懐空が大好きさ」
「うん、僕も。僕の事が好きな忠司が大好きさ」
「おいっ!」
二人でじゃれ合うように笑った。
「そうだ、『
忠司は灰汁巻を切ってくれた。醤油と、砂糖を加えた
「もち米を竹の皮で包んで、
独特な風味で、懐空にとっては食べ
フェリイチェでのバイトの帰り、忠司から貰った土産の話を
「そんなに好きなら分けてあげるよ。明日の午前中に届くって言ってたから、届いたら麗奈のマンションに持ってく」
「本当? 嬉しい……ご飯、
ちょっと
「判った、
と懐空は答えた。ちょっとだけ麗奈が
届いたさつま揚げは大箱で、とても懐空一人で食べきるものじゃないと、すぐ判った。少し迷ったが、懐空は送られてきた
ついでに『いこ餅』を切ってラップに包み、いくつかの『かるかん』と一緒にポリ袋に入れてリュックに放り込んだ。
麗奈は大喜びで、すぐ食べようと皿を出してきた。取り皿と
「おいっし!」
麗奈は笑顔を浮かべて食べている。懐空も一緒に食べ始めた。
(まぁ、冷たいままでも美味い事は美味い)
温めないんだ……懐空は違和感を感じていたが黙っていた。食べるときに文句を言うな。誰かと一緒に食事する時は、特にその人が美味いと食べている物にケチを付けちゃいけない。懐空は母の教えを思い出していた。
(揚げ直すまでしなくても、フライパンで温めるとか、せめてレンチンすれば、もっとおいしくなりそうなのになぁ)
懐空の母は、滅多なことでは懐空に冷たいまま食べさせることはしなかった。本来温かい食べ物は、必ず温かくして食卓に並べた。そんなものだと思い込んでいた。人それぞれなんだな、と懐空は思った。
約束通りその日は食事を終え、図書館に行った。こんな大きな箱、と思ったさつま揚げだったが、二人で食べつくしてしまった。
図書館に行こうと、麗奈と二人、マンションのエントランスを出たところで
「あれ、懐空じゃん」
「あ、
聞くと尚弥は隣のマンションに住んでいると言う。地元から帰ってきたところだった。
「彼女?」
懐空の隣の麗奈を見て、尚弥がニッコリ笑う。
「はい……
「なるほどね、こんな可愛い彼女がいるんじゃ、実家になんかいないで、早く帰りたいよね」
そう言って笑い、
「
と尚弥が誘う。明後日は土曜日だ。行こうと思えば行けなくもない。集まるのは高校の時の陸上部のメンバーばかりだ。会いたい、と思う相手もいる。
懐空が迷っていると
「わたしも一緒に行っちゃっていいんですかぁ?」
と、麗奈が甘えた声を出す。もちろん、と笑顔で尚弥がそれに答える。
「ねぇ、懐空、せっかくだからお呼ばれしようよ」
「うん、待ってる。十二時ころから始めるからね。部屋番号は後でSNSで送っとくよ」
懐空の返事を待たずに、尚弥の車は行ってしまった。
その日の図書館はすいていて、忠司も来ていなかった。帰省から帰ったばかりだ。しばらくのんびりするのかも知れない。
尚弥と別れてから懐空は機嫌が悪い。麗奈が気にして
それでも二人で連れだってバイトに行って、忙しい時間を過ごせば、懐空の機嫌も自然と直った。不機嫌の理由を忘れた。
帰りには二人でいつもの公園に寄った。高校の時の部活の話を少しして、それから抱き合ってキスをした。でも少し、いつもと違った。
キスしながら麗奈が懐空の手を握った。そしてその手を自分の胸元に持って行った。薄いTシャツを通して、ふわっとした感触と麗奈の体温を感じる。心臓がバクバク言い始める。
(……こんなの違う。このままじゃ、誘惑に負けたってだけだ)
迷いの中で懐空はその手を麗奈の背中に回して、愛撫する代わりにいつもより強く抱きしめた。心臓のバクバクが少しずつ治まっていく。
「意地悪……」
小さな声で麗奈が懐空を
その日、アパートに戻ると、桜の木の下に久しぶりにサクラがいた。
「サクラ、元気だったか?」
走り寄って懐空が声を掛けると、サクラが『ニャー』と鳴いた。
「腹、減ってるだろ? 猫缶、持ってくるから待ってろ」
サクラがいつ来てもいいように猫缶を買っておいた懐空だ。急いで部屋に行き、猫缶と小皿とスプーンを持って桜の木の下に戻る。
パカッと缶を開けると、魚臭い匂いが周囲に広がる。サクラは待ちきれないのか『ニャア……ニャア……』と鳴きながら、しゃがみ込んだ懐空の足に体を
急いで小皿に、スプーンを使って猫缶の中身を空ける。その皿をサクラの前に置いてやるとすぐに食べ始めた。
「おまえ、どこに行ってたんだよ……
「恋人に会いに行ってたんじゃないかな?」
後ろで
「こんばんは、少年」
愛実が懐空の隣にしゃがみ込む。
「こんばんは……」
「でも、サクラはサクラ猫だから、恋人って線はないのかな? わかんないや」
と、愛実が笑う。
愛実と会うのはあの日以来だ。あの時、愛実は懐空に『ありがとう、でも、帰って』と、さっさとドアを閉めてしまった。
「こないだはありがとう」
「いえ、出しゃばった真似をしました」
「ううん、助かった……」
「あの……」
聞いていいのか迷ったが、どうしても気になる。懐空は思い切って聞いてみた。
「あの後、付き
すると愛実はニッコリ懐空を見た。
「あの人ね、奥さん居るの」
またか、つい懐空が思ったが口に出さずにいた。
猫缶を食べ終わったサクラを愛実が
「奥さんがいるって知らなかったのよ。でも判ったから。だから別れてって言ったのに、言うこと聞いてくれなくて」
だったら愛実にいけないところはない、懐空が心の中で
「これ以上、関わらないでって言ってやった。奥さんに言いつけるわよ、って。銀行にもバラすわよ、って。うちの社長にも相談するから、って ―― 彼ね、うちの会社が取引している銀行の営業さんなの。わたしの仕事、経理だから、それで仲良くなったんだけどね……彼、顔色変えて、判った、って言ったわ。だから忘れてくれ、って。忘れて欲しいのはこっちのほうだったはずなのに。捨てられるのはプライドが許さなかったのかもね」
そう言って愛実が苦笑する。
母さんと同じ仕事なんだ……そう思ったが、それも懐空は口にしなかった。
「だからもう安心。心配してくれてありがとう……ところで少年、名前は?」
「え? 大野ですけど」
今さら聞くか?
「そうじゃない、そんなの部屋のネームプレート見れば判る」
「あぁ……懐空です」
「カイア? へぇ、あんまり聞かない名前。どんな字、書くの?」
「
そっかぁ、と愛実が立ち上がる。
「いい名前ね、付けてくれた人に感謝ね」
そう言うと愛実は、じゃあね、と自分の部屋に帰っていった。懐空はその日も、愛実を静かに見送った。
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