10

 忠司ただしは鹿児島から帰った翌日、懐空かいあを自宅に呼び出した。忠司もやはり大学近くのマンションに住んでいる。

「これが『かるかん』で、これは『いこもち』だ。で、『さつま揚げ』はクール便でアパートに送ったから、ちゃんと受け取れよ。明日の午前中に着くようにしてある」

忠司は鹿児島土産を懐空に少しでも早く渡したかったようだ。


「かるかんは知ってる。いこ餅って?」

「餅菓子だよ。古臭ふるくさいけど、俺は好きだ。もっと今風いまふうのも鹿児島にだってあるさ。でも雰囲気ふんいきを味わえるのはこれだと思った。いこ餅はさおもの ―― 羊羹ようかんみたいな形だから、適当な大きさに切って、そのまま食べればいい。硬くなったらあぶっても美味うまいぞ」


「そうなんだ? ありがとう。気を使わせちゃったね」

 懐空が礼を言うと、忠司が「へへへ」と照れ笑いした。

「懐空さ、ホント、おまえ、可愛いよな」

「なに言いだすんだぁ?」

「本当は、こんなにもらってどうしよう、って思ってるだろ?」

「そ、んなこと……」

「隠したって無理むり。顔に出てるんだから。でもさ、おまえの『ありがとう』は本心だ。それも顔に出てる。喜んでくれてる」

そう言う忠司も嬉しそうだ。


「きっとおまえは貰った物よりも、それをお前に、って思った俺の気持ちを喜んでくれたんだ、って、思った」

 図星だった。忠司の言う通りだった。

「だってさ、忠司が僕を嫌ってたら、わざわざお土産なんか用意しないはずだ」

「そうさ、俺は懐空が大好きさ」

「うん、僕も。忠司が大好きさ」

「おいっ!」

二人でじゃれ合うように笑った。


「そうだ、『灰汁あくまき』があるんだ。コイツはちょいとくせがある。だから懐空には用意しなかったが、昼飯代わりに二人で食おうぜ」

 忠司は灰汁巻を切ってくれた。醤油と、砂糖を加えた黄粉きなこを添えてくれたが、懐空は黄粉のほうが食べやすいかも、と忠司は言った。柔らかい餅と言った感じで、少し赤茶色をしていた。わずかに米粒こめつぶが原形をとどめている。


「もち米を竹の皮で包んで、灰汁あくいたもんだよ。向こうじゃチマキって言うこともある。端午たんご節句せっくいわい菓子なんだ」

 独特な風味で、懐空にとっては食べにくい物だった。懐空は黄粉の甘さでかろうじて食べた。もらわなくて良かった、と内心 懐空は思っていた。


 フェリイチェでのバイトの帰り、忠司から貰った土産の話を麗奈れなにすると、『いいなぁ』と言う。特にさつま揚げは大好きで、本場の物が食べられるなんてうらやましいと言う。


「そんなに好きなら分けてあげるよ。明日の午前中に届くって言ってたから、届いたら麗奈のマンションに持ってく」

「本当? 嬉しい……ご飯、いて待ってるから、一緒にお昼しよう」

ちょっと躊躇ためらったが

「判った、多目おおめに持っていくね。食べたら二人で図書館に行こう」

と懐空は答えた。ちょっとだけ麗奈がねたような気がしたが、気付かないフリをする懐空だった。


 届いたさつま揚げは大箱で、とても懐空一人で食べきるものじゃないと、すぐ判った。少し迷ったが、懐空は送られてきた発泡はっぽうスチロールの箱ごと、保冷剤を入れたまま麗奈のマンションに持っていくことにした。


 ついでに『いこ餅』を切ってラップに包み、いくつかの『かるかん』と一緒にポリ袋に入れてリュックに放り込んだ。


 麗奈は大喜びで、すぐ食べようと皿を出してきた。取り皿と醤油皿しょうゆざららしい。それとチューブ入りのワサビを出してきた。化粧箱入りのさつま揚げは包装を取って、そのままテーブルに並べられた。そして温かい白飯が出された。

「おいっし!」

麗奈は笑顔を浮かべて食べている。懐空も一緒に食べ始めた。


(まぁ、冷たいままでも美味い事は美味い)

 温めないんだ……懐空は違和感を感じていたが黙っていた。食べるときに文句を言うな。誰かと一緒に食事する時は、特にその人が美味いと食べている物にケチを付けちゃいけない。懐空は母の教えを思い出していた。


(揚げ直すまでしなくても、フライパンで温めるとか、せめてレンチンすれば、もっとおいしくなりそうなのになぁ)

 懐空の母は、滅多なことでは懐空に冷たいまま食べさせることはしなかった。本来温かい食べ物は、必ず温かくして食卓に並べた。そんなものだと思い込んでいた。人それぞれなんだな、と懐空は思った。


 約束通りその日は食事を終え、図書館に行った。こんな大きな箱、と思ったさつま揚げだったが、二人で食べつくしてしまった。


 図書館に行こうと、麗奈と二人、マンションのエントランスを出たところで尚弥なおやと出くわす。車で通りがかった尚弥が窓を開けて、声をかけてきたのだ。

「あれ、懐空じゃん」

「あ、坂下さかした先輩……どうしてここに?」

聞くと尚弥は隣のマンションに住んでいると言う。地元から帰ってきたところだった。


「彼女?」

 懐空の隣の麗奈を見て、尚弥がニッコリ笑う。

「はい……中川なかがわ麗奈さん、同じ大学の一年、麗奈、こちらは坂下尚弥先輩、高校の先輩でもあるんだ。やっぱり同じ大学の三年。色々お世話になってるんだよ」

「なるほどね、こんな可愛い彼女がいるんじゃ、実家になんかいないで、早く帰りたいよね」

そう言って笑い、

明後日あさって、うちでタコパするんだ。麗奈ちゃんと二人で懐空も来いよ」

と尚弥が誘う。明後日は土曜日だ。行こうと思えば行けなくもない。集まるのは高校の時の陸上部のメンバーばかりだ。会いたい、と思う相手もいる。


 懐空が迷っていると

「わたしも一緒に行っちゃっていいんですかぁ?」

と、麗奈が甘えた声を出す。もちろん、と笑顔で尚弥がそれに答える。

「ねぇ、懐空、せっかくだからお呼ばれしようよ」

「うん、待ってる。十二時ころから始めるからね。部屋番号は後でSNSで送っとくよ」

懐空の返事を待たずに、尚弥の車は行ってしまった。


 その日の図書館はすいていて、忠司も来ていなかった。帰省から帰ったばかりだ。しばらくのんびりするのかも知れない。


 尚弥と別れてから懐空は機嫌が悪い。麗奈が気にしてさぐりを入れてくるが懐空は『なんでもない』『機嫌悪いなんてことない』と、答えながらも素っ気ない。


 それでも二人で連れだってバイトに行って、忙しい時間を過ごせば、懐空の機嫌も自然と直った。不機嫌の理由を忘れた。


 帰りには二人でいつもの公園に寄った。高校の時の部活の話を少しして、それから抱き合ってキスをした。でも少し、いつもと違った。


 キスしながら麗奈が懐空の手を握った。そしてその手を自分の胸元に持って行った。薄いTシャツを通して、ふわっとした感触と麗奈の体温を感じる。心臓がバクバク言い始める。


(……こんなの違う。このままじゃ、誘惑に負けたってだけだ)

 迷いの中で懐空はその手を麗奈の背中に回して、愛撫する代わりにいつもより強く抱きしめた。心臓のバクバクが少しずつ治まっていく。

「意地悪……」

小さな声で麗奈が懐空をなじった。


 その日、アパートに戻ると、桜の木の下に久しぶりにサクラがいた。

「サクラ、元気だったか?」


 走り寄って懐空が声を掛けると、サクラが『ニャー』と鳴いた。

「腹、減ってるだろ? 猫缶、持ってくるから待ってろ」


 サクラがいつ来てもいいように猫缶を買っておいた懐空だ。急いで部屋に行き、猫缶と小皿とスプーンを持って桜の木の下に戻る。


 パカッと缶を開けると、魚臭い匂いが周囲に広がる。サクラは待ちきれないのか『ニャア……ニャア……』と鳴きながら、しゃがみ込んだ懐空の足に体をこすりつけてくる。


 急いで小皿に、スプーンを使って猫缶の中身を空ける。その皿をサクラの前に置いてやるとすぐに食べ始めた。

「おまえ、どこに行ってたんだよ……随分ずいぶん来なかったなぁ」

「恋人に会いに行ってたんじゃないかな?」


 後ろで愛実あいみの声がした。懐空が気が付かないうちに後ろに来ていたらしい。

「こんばんは、少年」

愛実が懐空の隣にしゃがみ込む。

「こんばんは……」

「でも、サクラはサクラ猫だから、恋人って線はないのかな? わかんないや」

と、愛実が笑う。


 愛実と会うのはあの日以来だ。あの時、愛実は懐空に『ありがとう、でも、帰って』と、さっさとドアを閉めてしまった。

「こないだはありがとう」

「いえ、出しゃばった真似をしました」

「ううん、助かった……」

「あの……」


 聞いていいのか迷ったが、どうしても気になる。懐空は思い切って聞いてみた。

「あの後、付きまとわれたりしてないですか?」

すると愛実はニッコリ懐空を見た。

「あの人ね、奥さん居るの」

またか、つい懐空が思ったが口に出さずにいた。


 猫缶を食べ終わったサクラを愛実がでる。

「奥さんがいるって知らなかったのよ。でも判ったから。だから別れてって言ったのに、言うこと聞いてくれなくて」

だったら愛実にいけないところはない、懐空が心の中でつぶやく。

「これ以上、関わらないでって言ってやった。奥さんに言いつけるわよ、って。銀行にもバラすわよ、って。うちの社長にも相談するから、って ―― 彼ね、うちの会社が取引している銀行の営業さんなの。わたしの仕事、経理だから、それで仲良くなったんだけどね……彼、顔色変えて、判った、って言ったわ。だから忘れてくれ、って。忘れて欲しいのはこっちのほうだったはずなのに。捨てられるのはプライドが許さなかったのかもね」

そう言って愛実が苦笑する。


 母さんと同じ仕事なんだ……そう思ったが、それも懐空は口にしなかった。

「だからもう安心。心配してくれてありがとう……ところで少年、名前は?」

「え? 大野ですけど」

今さら聞くか?


「そうじゃない、そんなの部屋のネームプレート見れば判る」

「あぁ……懐空です」

「カイア? へぇ、あんまり聞かない名前。どんな字、書くの?」

ふところに空、です」


 そっかぁ、と愛実が立ち上がる。

「いい名前ね、付けてくれた人に感謝ね」

そう言うと愛実は、じゃあね、と自分の部屋に帰っていった。懐空はその日も、愛実を静かに見送った。

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