ピース島の覚悟

 手紙を出した後も他国が向けてくる目は変わらなかった。メルに狙いを定めた攻撃の匂いが漂い始め、オーサが出した情報が多くの国々に行き渡っている事を感じる。

 そして攻撃に出てくる者の命は奪われ、ますます犠牲者の数は増えていった。


 それに対するピース島の対策は?

 あえてこれまでと変わる事なく自然に生活する事であった。そうすれば自ずとその時はやってくるし、解決に向かうはずだ。その日が来るのは近いとオーサは考えていた。



 ある日、遂にピース島に悲劇が訪れた。


 ユーカが一人で海岸の方に向かって歩いている時に、あろう事か敵軍が空から島に近づいてきていた。敵軍は今、世界を牛耳ぎゅうじているルネス王国だ。

 ルネス王国にとっては思いもかけぬ獲物が現れたという所だろう。ユーカを助けようという気持ちなどさらさら無い。お目当ては勿論メルであり、ユーカを捕らえれば必ずメルが現れるはずだと考えている。ルネス王国にとって、ユーカはこの上ない人質だ。メルに向けては、とっておきの怪物を用意してある。


 いきなり上空から、巨大な蜘蛛の巣のような網がユーカめがけて舞い降りてきたかと思うと、ユーカは身動きが取れなくなった。あまりにも突然の出来事で、何が何だか分からず、ユーカは声も上げられない。

 地面に這いつくばるように横たわっていた網が、再び上空に持ち上げられようとしたその時だった。

 

 すごい勢いで一匹のオオカミがその網に突進してきた。

 操縦士はその勢いに動転したのだろうか。網の動きが止まった。オオカミは一瞬にしてその網を引きちぎり、ユーカを抱えて内陸の方へと消えた。


 オオカミが人間を抱えるだと?

 人間を抱えて二足で走り去ったオオカミ。そう、それはオオカミではない。

 奴だ。メルが現れたのだ。


 メルはユーカを安全な場所まで連れていき、プカック族に託すと、一人で元来た道を引き返し様子を伺った。

 辺りは殺気に満ちている。

 この島の者ではない、真っ黒な塊が動くのが見えた。


 メルの目が血走った。銀色の髪は逆立ち、まだあどけなくて可愛らしい顔が一変した。同じ人物とは到底思えない野獣の顔になっている。口にはオオカミの牙が、手にはオオカミの爪がはめ込まれている。

「ウー」

 野太い唸りが自然と漏れた。


 黒い塊はオオカミの形をしているが、野生の美しさは微塵も感じられない。それが作られた凶器だという事がすぐに分かる。

 そいつ自体に命はあるようだが、動きは遠隔操作されていて、野生の物とは違う突拍子のない動きをしてくる。動きの前動作が動作と繋がっていないので動きが読めない。

 二つの生きものの激しい睨み合いが続く。

 メルは人間の身体でありながらも、オオカミの群れの中では彼らに一歩も引けを取らない動きが出来るし、狩りをする能力も一人前だ。素早い動きで黒い塊の攻撃をかわし、隙を突いて懐に攻撃を加えた。


 しかし、黒い塊はいつもと勝手が違い過ぎる。しかもこいつは人喰いグマのように力が強く、鋭い牙と爪を合わせ持っている。


 その鋭い牙と爪が容赦なくメルに襲い掛かり、肌を切り裂き、幾度となく真っ赤な鮮血が飛び散った。

「うっっ」

 小さなうめきと共に身体がぐらつく。

 身体が投げ出され回転する。雪面に叩きつけられる。メルは何度も何度も立ち上がった。


 静寂な森の中にハァーハァーという苦しげな音が流れている。肩で大きく息をし、真っ白な荒い息が煙りのように吐き出されては消えていく。

 その口元から一筋、ドロッとした赤い液体が流れ落ちた。血の味を感じたのだろうか。メルはペッと赤い唾を吐き出した。しかしその目はらんらんと燃え上がっている。


 ひるむ事なく、間合いをとり、隙を伺って善戦しているが、メルの劣勢は明らかだ。


 イチかバチかの勝負に出るつもりなのか? メルが黒い塊の懐に勢いよく飛び込んだ。

 黒い手が激しくメルの身体を打ち付け、ドスっという鈍い音がした。血飛沫ちしぶきと共にメルが吹っ飛ぶ。

 身体がドサッと雪面に打ち付けられる重たい音が響いた。


 それとほぼ同時だった。突き上げるような爆音と共に黒い塊が粉々になって飛び散った。黒い塊の上に雷が落ちたのだ。

 時を同じくして、どこかで遠隔操作をしていた者も粉々になって飛び散っていた。


 メルは雪面に倒れたままピクリとも動かない。真っ白な雪面が赤く染まっている。

 オーサがやってきて彼を抱きかかえた。メルの身体がだらりとオーサに寄りかかる。首がガクリと傾いた。その顔はいつもオーサに向けるあのあどけないものに戻っていた。目は閉じられたまま、柔らかな頬からも血が流れている。

 流れ出る血を指で拭うと、オーサの目は清らかな液体で満たされ、保ちきれなくなったものが溢れ落ちた。オーサは天を仰いだ。


「すまない。こんな目に合わせてしまって。これが私達の覚悟であったが、あまりにもむご過ぎる。いくらお前が不死身であっても。どんなに苦しかった事か。どんなに痛かった事か。なぜここまで? もう少し早くこの戦いを終わらせるべきではなかったのか? 私には雷が落ちるのが遅すぎたと思えてならない。

 メル、しっかりしろ。お前は不死身だから大丈夫だ。すぐに命の泉に連れていってやるからな。もう少しだけ辛抱してくれ」


 オーサはメルを肩に抱え上げた。少年の身体が思っていたよりもずっと柔らかで軽い事に胸が痛んだ。ヒュッヒュッという必死に酸素を求める息使いがこころもとない。湧いてくる後悔の思いを必死に打ち消しながら、命の泉へと足を速めた。


 ★★


 ミッチが撮ったこの真実の映像を見て下さい。

 これがオーサの、私達の覚悟でした。準備されていた想定内の悲劇でした。本当はこんな事をしたくはなかった。でも仕方なかったのです。いくら真実を言っても攻撃は治らず、犠牲者は増えるばかり。信じてもらう為に、今、演技ではないリアルな映像を世界中の人々に届ける必要があったのです。

 本能のままに私を救ってくれ、黒い塊に挑み続けたメルの姿を見て下さい。この上なく美しく、そして痛ましい。彼は不死身です。命の泉ですぐに目を覚ますでしょう。でも彼が受け続けた苦しみや痛みは何ら私達と変わらない物です。

 そして彼を、島を奪おうとする者は必ずられるのです。

 真実を見て下さい。

 こんな事をいつまで繰り返すのでしょう?


 オーサの言葉をここに続けます。


 この映像を見た方々は何を思うだろう。私はここで決着をつけたい。どうか最後の提案を聞いて頂きたい。今日を含め五日後、三月ニ七日を判決の日としたい。

 まずその間、ピース島には攻撃を一切しないという約束をして頂きたい。


 そして各人が自分の力で考え、自分の心の声を聞いてほしい。誰かに押し付けられた心ではなく、自分はどうしたいと思っているのかを。

 二七日の日の出を迎える前までに自分の声を届けてほしい。言葉にしなくてもいい。心の中で強く願うだけでいいんだ。ピース島をこのままの形で残し、世界平和の道に進むのか、ピース島を侵略し便利さを求め地球を滅ぼす道に進むのか。


 そして二七日の朝、太陽が昇ったら、西の空に目を向けてほしい。世界平和を求める願いが集結した時、白い虹が架かるのをすべての国で見る事が出来るだろう。

 白い虹を見る事が出来ない国が一ヵ国でもあったら、我々は降参する。我々もろともピース島を自由に使ってくれて構わない。

 しかし、すべての国で白い虹を見る事が出来たら、この戦いをそこで終わりにしてほしい。

 幸運を祈る。


 ★★

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