縁の切れ目と最後の金目
眞壁 暁大
第1話
町田ミチと町田サチは孤児である。
両親が死に、町ならぬ町、「穴」の縁の集落に住んでいる。
*
ある日世界に空いた小さな穴から、ヒトならぬものが湧き出した。
すわスプラッタ終末スペクタクルか、と思いきやそれらヒトならぬものは、おおむね無害。
ただ見た目が「ヒトから見て」気に入らないので、ヒトはそれらを湧き出した穴の周りに閉じ込めておくことにした。
閉じ込めついでに、底しれぬ穴をゴミ箱として扱い、人の世に不都合で不格好なあれこれも放り入れることにした。
とはいえ人の世に不都合な厄介者が、つねに大人しく放り込まれたままでいるはずもなく……
*
昨晩、突然の腹痛を訴えたサチを抱えて、ミチは病院を訪れた。
馬面をした腕が何本もある医者はサチをひと目見て
「こりゃいかん」
と言った。すぐに手術と相成り、ミチがそれが終わるのを寝ずに待ち続けること三時間。
日付の変わる頃にようやくおわったその馬面の医者は告げる。
「まずは問題なかろう」
ミチは後光の指す医者に深く頭を下げる。医者はまるで観音のようであった。いくつもある腕をそれっぽい形にバラバラにポーズをつけている。
「それよりどうだ、ヒトから見て。なかなかサマになっているだろう?」
ミチは何対もある手を掲げたり下げたりしている医者のそれが、彼にとっては楽な姿勢、自然な体勢なのだと思っていたが、医者が歯茎を見せて笑みを浮かべ、おもむろに胸の前で両手の一組を掌を合わせたので、あえてそうしたポーズ…まるで観音像のようなポーズ…を取っていたのだとようやく理解する。
「はい、あの、似ていると思います」
「似ているか。そうか、それは良いが。……ヒトの子よ、随分と湿気たツラをしているな。
子供ならこういうときは少しは笑うものだぞ。
だからといって愛想笑いは要らん」
医者の言葉に慌てて笑みを浮かべようとしたミチを制するように医者は言った後
「今日はもう遅い。妹さんも寝ているから明日またあらためて来なさい」
とミチに帰宅を促した。緊張と興奮で目が冴えて仕方なかったが大人しく従う。帰り道は今回の医者にかかるカネをどう捻り出すかの悩みでアタマの中がぐるぐるしていたものの、家のドアを開けるなりに緊張の糸が切れる。
寝ずに二人の帰りを待っていたワトソンに事情を簡単に告げると、すぐに寝床に倒れ込んで深い眠りに落ちていった。
出掛けに病院に電話を入れるとサチは夕方には退院できるということだった。それを聞いて安心したミチは、ひとまず学校に行くことにする。
母である町田マチが死んでから、ミチにとっていちばん頼れる大人は担任の如来だった。金策で助け舟を出してくれたのも如来だったし、今回の支払いでも相談に乗ってもらえるかもしれない。
不意に脈絡もなく昨夜の医者を如来と並べて思い浮かべて、「どうやら自分は腕の多い人に助けてもらうことが多いのかもしれない」などと思う。
そういや如来の場合は全肢が「腕」という認識だったが、あの医者の場合はどうなんだろう? やはりすべて「腕」というつもりなのか、それともひょっとしたら全部「脚」という認識だったりもするのだろうか?
サチがどうやら無事に退院できそうなことに安堵したミチは、どうでもいいことを想像しながら放課後を待った。
放課後。
「少し気になることがある」
と如来も病院について来てくれることになった。ミチとしても心強いので拒否する理由はない。並んで病院に着くと、すぐに医者とサチが二人を出迎えてくれた。
もう小さな子供でもないのにサチが抱きついてくる。一晩離れただけなのに大げさな甘えっぷりだと思ったものの、唐突な環境の変化が強いストレスになっていたのはミチも変わりなかった。自分でも知らぬ間にサチを抱きしめて声を上げずに涙を流していた。大人たちが何も言わずにいてくれたのが救いだった。
二人が落ち着いて、サチは仕事を終えて迎えに来たワトソンと帰ったあと、医者は支払いのために残ったミチの顔を覗き込んできた。医者も如来と同じく手が多いだけで顔は一つしかないので、ミチも正面からそれを受け止める。
顔面がいくつもある人が相手だと、どの顔を見ればいいのか悩むことが多い。
体育教師などが「目を見て話せ」という時は、正面の顔の目ばかりを見て相対していない左右の顔面の目、かろうじて見えている側の片目にも時々は視線を向けなかったりすると、キチンと集中していない! と怒られることもある。
「コレが何か分かるかい?」
医者が示したのはごく小さな円筒形の形状のなにかだった。
両端に金属製のキャップがくっつき、胴体は白っぽい極細のストローのような形。それを小さな金属の盆に入れて医者は差し出してきた。直径は爪楊枝をやや太くしたくらいで、長さは小指の幅よりやや大きいくらいのサイズ。見覚えはある気がしたものの、何に使うのか見当もつかない。
医者はそれを摘み上げるとひっくり返して、もう一度盆の上に載せた。ストローの部分、白っぽい胴体部分にうっすらヒビが入り、そこから紫色の中身がじんわり滲み出している。
「妹さんの腹の中にあった。中身が漏れ出して急性症状を起こしたようだ」
そう言われて、ミチはあらためてモノをしげしげと眺める。
そういや思い出した。
自分も似たようなものを仕込まれたんだっけか。
ここに来る前のことは思い出したくないことだらけなのでほとんど忘れかけていたが。しかしこんなに小さかったか? 埋め込まれた時の痛みにミチは思わずへそを押さえながら言った。
「…厚生チップ…ですか?」
ミチの疑問形の返事に、医者はやはり、という感慨を込めて馬面の鼻から息を大きく吐き出した。
サチと違って緊急ではないので、処置には保護者(のようなもの)の同意が必要ということだった。
医者は如来がついて来て手間が省けたと言っていた。その場でチップ摘出の了解を本ミチ人と如来から取り付ける。如来はこうなることが分かっていたからついてきたのだろう。
「以前にもおなじように生徒が体調崩して取り出してたからね。なんとなく、の勘が働いたのだ」
「先生は第六感あるんですか?」
如来の意外な言葉にミチが驚く。ここでは誰も使えないものと思っていた。
「勘というのは語弊かもしれない。経験からの類推がたまたま当たったと思ってくれればよい」
如来は照れくさそうに上から二番目の両肢で頬をかいた。
ミチの処置はあっけなく終わった。
何が悪さをしているのか分かってしまえば、医者にとってはどうということのない仕事らしい。部分麻酔をかけると、吸引器を一対の肢で構えてミチのへそに押し当てて、残ったすべての上肢で腹を絞る。麻酔をかけてすら伝わる鈍痛にミチが呻く間もなく腹から押し出された厚生チップはへその穴の隙間から吸い取られて施術終了だった。
吸い出されたミチのチップと、先に摘出されていたサチのチップが小さな盆に仲良く並んでいる。
穴に放り込んだ人の世に不都合で不格好なあれこれ。
それが人の世に戻ってくるのを阻止するという建前で埋め込まれたのがこの厚生チップだ。穴の周縁の福利厚生と生活に満足できないヒトが、気が変わって人の世に復帰する前に見つけて確保する、そのために行動を監視するための機械。
チップからはわずかながら信号がつねに発信されており、人の街に近づけば直ちにその信号をキャッチして居場所が特定され、捕縛されてこの穴に逆戻り、という仕組みだ。
ミチは具体的な仕組みまで知らなかった。埋め込まれた時には、ここに引越するのに必要な予防接種のようなものと聞かされて、それを信じていたからだ。
ヒトならぬものも住む場所だから、予防接種は大事なんだろうな、と無邪気に思っていた。
ミチの処置後、如来は医者と支払いで何ごとか喋っている。
待合室で談笑する二人の肢は、口ほどに物を言わんとばかりにせわしなく動いている。そのひっきりなしに動く肢を見ながらミチは麻酔明けのぼんやりとしたアタマで
「そういえば医者の先生に全部脚なのか腕なのか」聞き忘れていたのを思い出した。
ミチがそれを尋ねようとした時、待合室のテレビから人の世のニュースが流れてくる。
「八十八歳以上の高齢者に対する厚生チップの装着義務化法案が可決・成立しました。この法案は従来のマイクロチップ装着義務では予防できなかった高齢者の徘徊による事故を防止する目的で提案されたもので、常時高齢者の行動を把握することで〜〜」
アナウンサーの台詞にのせて流される映像は、いま摘出されたばかりの厚生チップそのもの。ミチは質問を変えることにした。ここの大人はどう考えるのだろうか? それが気になったからだ。
「先生」
医者と同時に如来も振り向いた。そういや如来も先生ではある。ついでだし聞いておこう。
「この厚生チップって、ほんとに徘徊事故防止だと思いますか?
単純に厄介だし不都合だから年寄りをコッチに放り込む準備で……」
「子供が考えることじゃないぞ」とミチを遮り医者がいう。
「居場所が特定できるということは、徘徊予防には確かになるでしょうからウソではないと考えられますよ」と答えたのは如来だ。
「でも、それだけじゃないですよね」
ミチはそう呟いた。
二人の大人は何も言わず、肩をすくめてみせる。
ヒトとヒトならぬもの。
ホントのバケモノはどっちなんだろうな。
キシキシ、ガサガサと騒がしく揺れる二人の背中を眺めて、ミチはそう思った。
縁の切れ目と最後の金目 眞壁 暁大 @afumai
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