4  妖怪、語る

「しかしながら、門が開かれることもなく、あやかしの気配も消えせて、せつない夜を過ごす日々」


「んっとね、あの家に行っちゃダメ。あの家の人、怖がってる。アンタが門をたたいたって、インターホンのカメラに、アンタ、うつんないんだよ」

「う……映らない、とは?」


「気の毒だが、人間はアンタが見えないの。だから、いくら門を叩いたって開けてくれないし、誰もいないのに門を叩く音がするって、怖がってる」

「そんな……」

お婆ちゃん、突っ伏して泣いている。


「やはり、一つ目では見てもらえぬか。我が身がなげかわしい……こうなったなら仕方もあるまい、あの屋敷の者の目玉を一つ、借りに行こうぞ。さすればまわしきこの我が身も人の目に映るやも知れぬ」


 お婆ちゃんが一つ目だと、人間にはお婆ちゃんが見えなくる? 反対じゃない? お婆ちゃんには人間が見えないってのなら判るけど。


「いーや、待って、待って、それはダメだって」

「おとめくださるな、異国の神よ。我がまなこが一つなるは生まれてよりのコンプレックス、今こそもう片側を手に入れて、長年のうらつらみをたす時」


 お、お婆ちゃん、コンプレックスなんて言葉、知ってるんだ? なぁんか、あやしくなってきたぞ!


 それに、片側って言うけれど、お婆ちゃんの今ある目、真ん中にあるから。新しい目はどこに入れるんだ?


「判った、判った」

隼人が苦笑する。

「それじゃあさ、こうしよう。ボクがアンタにもう一つ、目をあげるよ」


「えぇえぇぇえ! その、さも美しきまなこを我におゆずりくださるか!」

婆さん、ひれ伏していたのにって、腰を抜かしそうだ。


「まっさかぁ。ボクの目があげられるはずないじゃん。別のをあげる」

少しお婆ちゃんがガッカリした。結構 図々ずうずうしいようだ。


「その代わり、もう人をおどかしたりしないこと。あの屋敷には絶対に行かないこと。約束できる?」

おおせのままに、と婆さんが、再び地面に頭をこすりつける。


「それじゃ、顔、上に向けて……そそ、そのまま目を閉じる」

 婆さんは隼人に従って、おとなしく目を閉じた。思いのほかまつが長い。隼人はお婆ちゃんに近づいて

「危ないから動かないでね」

と声を掛けると右手をお婆ちゃんの顔に伸ばす。


 触る気か? 触るのか? 触って大丈夫なのか?


「はぁーい、ちょっとチクッとしますよぉ」

と、言うと同時に、右手の中指に鉤爪かぎづめが現れ、婆さんのまぶたの真ん中をたてにサッと切り裂いた。


「ひぇえぇえ!」

お婆ちゃんは腰を抜かし、みちるが「予防接種?」とつぶやき、さくがプッと吹き出す。


 目を切り裂かれた婆さんは両手でほほおおい、

「ひえひえ……」

と泣きむせぶ。


 切裂かれた婆さんの目はゆるゆると両脇に離れていく。そう言えば、出血していない。妖怪って血がないのか? 鬼には血も涙もないと聞くけれど。


大人おとなでしょ、これくらいで泣いちゃダメだよ」

 予防接種、と言った満が婆さんをなぐさめている。見た感じ、予防接種ごときと比べるな、と思うのは僕だけじゃないと思うぞ、満。


「怖がってないで、目に触れて確かめてごらん。痛くないはずだよ」

 隼人の声に、ピタッと泣くのをやめて、お婆ちゃんが肩をすくめる。


「やっだぁ~、うそ泣きしてたんだね」

それを見て満が婆さんの肩をたたいて笑った。


「おぉおぉお! これは……」

 いちいち大げさな婆さんが自分の顔をでまわし、驚きの声をげた。隼人が切り裂いたあとは肉がきれいに盛り上がっている。


「二つの目、鼻まで高くしていただき、感謝の言葉もございませぬ」

「うん、鼻はサービスしておいた。なんだな、その、まぁ何だ。元のは、あるか判らないくらいだったから」

目があったんだから、その位置に鼻はなかったんじゃないの?


「お婆ちゃん、美人になったね」

満が無責任に婆ちゃんをあおる。


「そうかぇ? これで一つ目 入道にゅうどうを見下せるかねぇ? あの男、わらわの相手をする男は俺くらいしかいない、あわれだから相手してやるよ、と、いつもわらわを見下すんだよ」

妖怪にも恋愛事情があるんだ? てか、女心はどこでも同じ? それより婆さん、最初からその話し方でいて欲しかった。


 婆ちゃんは、隼人に何度も礼を言い、遠近感が出てきたよ、これで木にも登れる、今夜は木の上で寝る事にするよ、と姿を消した。


「約束、守るんだよっ!」

隼人の呼びかけに、婆さんの答える声が『心得てござそうろう』と空耳のように聞こえた。


 帰るよ、と隼人が言い、朔が先導を務める。時々、朔と満が周囲を威嚇するのは、そこに妖怪がいるのかもしれない。


「いくら頼んでもムダだよ。ボクはもう疲れた。どうしてもって言うなら、八王子の探偵事務所『ハヤブサの目』までおいで」

隼人がボソッと言った。助けを求めている妖怪がワンサといるという事か。って! 事務所に妖怪が大挙してやってきたらどうすんだよ!


「それにしても、失敗しなくってよかった」

 僕の腕にからみついていた隼人がつぶやく。

「失敗? してたらどうなるんだ?」

「うん?」

隼人がニヤリと笑う。

「一つの胴体に、一つ目の首が二つって、恐ろしいことになってた」


 水田に出る手前で、隼人は振り返り、何かを切るような仕種しぐさをした。きっと妖怪たちがついてこないようまじないを掛けたんだと僕は思った。そしてサングラスを掛けると、

「カエル、逃げちゃったね」

と、笑った。


 バーベキュー広場に入ると、いち早く隼人を見つけた紅実那くみなさんが隼人に駆け寄る。隼人が立ち止まり、紅実那さんが抱き付き、小柄な紅実那さんがやっぱり小柄な隼人の胸にすっぽり収まり、僕はみちるに腕を引かれ、隼人たちをチラ見する満の頭をさくはたく。


「終わったか?」

 バーベキュー広場に確保していた席に着くと、そうさんがニコニコしながら朔に問う。


「もちろんさ」

「そうか、そりゃ良かった ―― 片付けは終わってる。すぐ帰れるぞ」

朔がチラッと後ろを見る。

「隼人にかなきゃ……」

「隼人かぁ……どうするんだろうね」


 奏さんも隼人を見る。朔ももう一度振り返り、今度はじっと隼人を見る。そして満と僕も隼人を見た。奏さんの「どうする」には帰りのこと以外も含んでいると思った。


 隼人は何か紅実那さんに話している。両手をぎゅっと握っているように見える。紅実那さんがうつむいて、隼人の胸に顔をうずめる ―― 隼人が紅実那さんを泣かせた? 隼人は紅実那さんの頭をでて、なぐさめているように見えたが、やがて僕たちの視線に気が付いたのか、顔をこちらに向けて、手を振った。


 ―― 隼人、やめておけよ。どうせ泣くことになるんだから。そして泣かせることになる。今日、僕がそう思ったのはこれで何度目だろう……


 駐車場に向かうと、隼人は紅実那さんだけを先に車に乗せ、

「奏ちゃん、帰りに動志どうしに寄ってくれる?」

と言い出した。動志村には温泉がある。


「いっけど、温泉に行くのか? 女の子はあの子だけだ、可哀想だぞ」

奏さんがそう答えると、

「いや……ちと『ほほぜ』に会いたいなって」

と、また面倒なことを言い出した。


 『頬撫ぜ』も妖怪だ。まぁ、僕たちとは友好関係にあるし、人間にひど悪戯いたずらをするわけでもない。宵闇よいやみまぎれて青白い手を伸ばし、頬をサラッと撫でていく。ただそれだけ。


 青白い手が、どこから伸びているかが判らないし、ひんやり冷たいのが難点だ。僕はなぜか気に入られていて、隼人の用事が済むまで、何本もの手で顔じゅうを撫で回される。しかも、時々、今、めなかった? って感触もあるので苦手な妖怪だ。


「頬撫ぜか……今の時期なら高尾だぞ。もう少しすると安住野に移る」

と、奏さんが答えた

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る