第11話 馬鹿は元気だ
20年前になるだろうか。
その頃属していた組織の各県の支部の管理職を集めた会議があった。
昼食をとって午後の部を開始した直後だった。
一人の男性管理職が「すいません」と手を挙げた。
僕は会場の設営を担当していたのでその席に行った。
その男は「気分が悪いんです」と小声で言った。
顔色も青白いし、額に汗も浮かんでいる。
「外に出ましょう」と僕は言った。
「歩けないんです」男は弱弱しく言った。
僕は後方の席で控えていた女性職員に目配せして二人で会議室の外に出た。
「僕が話していた人が気分が悪くて歩けないと言っている。医務室に連絡してください。それとキャスター付きの椅子が無いかな?」
女性職員は近くの控室に入って医務室に電話するとキャスター付きの椅子を押して出てきた。
「ありがとう」僕は言って椅子を押してその男の席に行った。
「この椅子に移って。動けますか?」
男は首を振った。
「じゃ肩につかまって」と言って男の左脇に頭を入れて右脇を抱えるようにして椅子に座らせた。
男は首をぐったりと下げている。
椅子を押して会議室を出ると女性職員と女性の看護師が立っていた。
看護師は「気分が悪いんですか。どこか痛いところありますか」と尋ねた。
男は弱弱しく「右足が」と言った。
看護師「右足がどのように痛いんですか?」
男「犬に噛まれて」と言って右のふくらはぎを指さした
看護師がズボンの裾をめくった。
見事な歯型だった。かなりがっちり噛まれたのだろう。歯が深く食い込んだのが良くわかった。
看護師もびっくりしたようだった。「野良犬ですか?噛んだのは?」
男「飼い犬です」
「飼い犬!」僕と女性職員と看護師は同時に声を上げた。
「買っている犬に噛まれちゃったんですか?」僕は言った。
「そうなんです。よく噛みつく犬なんです」
よく噛みつく飼い犬?とんでもない飼い犬だな。
「妻がかわいがっているんです」
「奥さんには噛みつかないんですか」
「いや、妻もよく噛まれるんです」
馬鹿犬じゃねえか!僕は内心で叫んだ。
看護師が言った「この様子じゃ医務室では処置できないので病院に運びましょう」
幸い道路の反対側に提携している病院があった。
看護師が電話するとすぐに診てくれるという。
僕がキャスター付きの椅子を押して道路を渡って病院へ運んだ。病院の入り口では病院の看護師が車椅子で待っていてくれた。
診察の間、僕は組織の看護師とソファに座って待っていた。
しばらくして医師に呼ばれた。
診察室に入って行くと男性の医師が言った。
「こりゃ敗血症になりかかっている。入院しなきゃだめだ」
「この人四国から来ていてご家族も四国にいるんですけど」
「四国に運んでいる余裕はないよ。けっこう危ない状態だからね。」
僕は会議室の脇の控室に戻り支部を通じて奥さんに連絡してもらった。支部からはすぐに連絡があり「そちらで入院させてもらいたい。しばらくしたら奥さんがそちらにむけて出発する」とのことだった。
しかしまあ、飼っている家族に噛みつきまくり、遂には敗血症で入院させてしまう犬って何なんだろう。
まさに飼い犬に手を嚙まれる、いや足を噛まれるだ。
その男は思いの外重傷で半月ほど入院していた。その後四国に戻ったがその後半年ほど体調がすぐれず休みがちだったそうだ。
支部の人間がその男の家を訪ねたところ中型の犬が飛び跳ねながらぎゃんぎゃん吠えまくっていたそうだ。元気一杯。馬鹿犬である。
馬鹿は天下無敵だ。自分のやりたいように傍若無人に生きている。犬も人間もそれは変わることはない。
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