第7話 R課長は勝負の時を待つ

 小言課長のJ課長と同じ部にR課長がいた。

 このR課長は僕の直属上司だった。

 R課長は勉強家と言われていた。世帯寮に入っていたが、同じ寮の人間が飲み歩いて深夜帰宅するといつもR課長の部屋の窓には明かりがついているということだった。

 R課長はとてもとても思慮深い人だった。報告書や稟議書、連絡文書などを繰り返し繰り返し何度も読む。だから、R課長の決済箱はいつも山盛りで、時々雪崩を起こして書類が床に散乱した。

 R課長の口癖は「取引先についてよーく考えて、十二分に研究して、よしこれならいけると判断したら、ばーっと大きな勝負をする」だった。

 僕は2年間R課長の下にいたが「ばーっと勝負をする」時はついに訪れなかった。

 R課長は常に思慮に思慮を重ねていたのだろう。思考の世界に没入しているので現実世界との折り合いが悪い時があった。

 ある朝、茶色の上着にグレーのズボンで出勤してきた。服装に規定がある訳ではなかったが、スーツ以外の社員はいなかった。R課長は茶色のスーツの上着を着て、グレーのスーツのズボンを履いているとしか見えなかった。

 R課長は自分の席に座り新聞を読み始めた。しばらくしてR課長は席を立った。トイレに行ったのだろう。

 R課長は足早に戻ってきた。そして「こんな格好じゃ取引先に行けないじゃないか!なんだこれは!着替えに帰る!」と僕らに怒りを含んだ声で言うと、憤然と部屋を出て行った。

 僕らに怒ったってしょうがない。女性社員が「家出る時奥さん気が付かなかったのかしら」とぽつりと言った。

 けど、そもそも自分で着ている時に気が付かないかな?仕事のことを思慮深く考えていて気付かなかったのだろう。

 ある日、僕はR課長と日帰りの出張に出かけた。

 JRで1時間半ほどのところへの出張だった。列車の中でR課長はずっと取引先の資料を読み続けていた。といっても新しい情報がある訳じゃない。前日も職場でずっと読んでいた資料だ。それでもR課長は食い入るように資料に目を走らせている。「ばーっと勝負する」ための材料を探っているのだろう。

 目的地の駅に着いた。アポの時間には30分ほど余裕があったので駅の待合室で時間をつぶすことにした。

 待合室に入るとR課長はスーツの内ポケットから何かを取り出してじっと見つめていた。何を見つめているのだろうと思って背後から覗き込むとそれは翌日R課長が東京に出張するための航空券だった。

 R課長は航空券を凝視していた。そして次の瞬間航空券をぽいっと足元にあったごみ箱に捨てた。

 「あっ」僕は思わず小さく叫んだ。

 R課長は、怪訝そうな顔で振り返った。僕がごみ箱を見ているのに気づいたらしく、R課長もごみ箱を見た。

 しばらくR課長はごみ箱を覗き込んでいたが、突然「嗚呼っ!」と声を上げて、素早く航空券を拾い上げた。

 「これを捨てちゃったら明日東京に行けないじゃないか!」と僕を睨んで言った。捨てちゃったらって自分で捨てたんだから僕に言われても困る。

 R課長は「ほんとに気をつけないといけないな」とぶつぶつ言っていた。

 R課長は2年後別の支店に異動になった。

 その支店の支店長はR課長の同期入社の人間だったそうだ。R課長は憤懣やるかたなかったらしくことごとく支店長と対立していたそうだ。

 R課長が高速道路の路肩に営業車を停めて寝ていて警察に咎められ、その話を聞いた支店長が激怒したといううわさ話が流れてきた。しばらくしてR課長は子会社に出向になった。

 その後のR課長の消息は聞いていない。

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