第6話 酒癖の悪い男

 Jという課長がいた。僕がまだ新人の頃。Jの年齢は40歳くらいだったろう。

瘦せていて、目がぎょろっとしていた。

 Jは直属の上司ではなく同じ部の別の課の課長だった。その部は3つの課で構成されていてJは一番年長の課長だった。だから3つの課をまとめるような立場だった。

 Jは口うるさいというか、いつも小言を言っていた。部下の字が汚いとか、スーツに皺が寄っているとか、鼻をかむ音が下品だとか、歩くのが遅いとか、目につくものすべてに小言を言っていた。

 Jは大酒飲みだった。連日飲みに行っていた。一人で行きゃいいんだけれど、自分の部下だけでなく他の課の職員も連れていくのだ。誘われて断れば、延々と行けない理由を聞いてくるし、後々も面倒そうだから皆渋々ついて行っていた。僕も嫌々ついて行っていた。

 皆が嫌がるのは、飲んでいる席でも延々と小言を言い続けるからだ。日中職場で小言を言われ、夜飲みに行ってまた小言を言われる。いやはや、ひどいもんだった。

 小言しか言わないので、僕は大半のことは聞き流していたが、一つ今でも覚えているものがある。それは「君は兄弟がいるのか?」と聞かれた時だ。僕には妹がいたのだけれど、重度の障がい者だった。これを説明したらまた延々と何を言い出すかわからないので、僕は一人っ子だと答えた。

 するとJは「一人っ子というのは最悪だからな」と言った。何か言い返したりしたら面倒になるだけなので僕は黙っていた。

 こういう日が3か月も続いたろうか。ある晩もJは職員を引き連れて飲んでいた。いつものようにJから延々と小言を言われていた。

 何を言われていたのか覚えていないが、突然僕の中で何かが爆発した。

 僕はJの目を見据えて言った。

 「いい加減にしてください。もうけっこうです。あなたの年齢になった時には僕はあなたよりずっと優れた人間になってますから」

 Jは目を見開いて心底驚いたようだった。僕も驚いた。Jの目に怒りの色はなく、怖れの色があり、おびえた表情になっていた。完全に見下していた家臣に反乱を起こされた間抜けな殿様ってこんな顔するんだろうな。Jはしばらく茫然としていたが、やがて小声で「今日はこれで帰ろう」と言った。

 その晩以来Jは僕に何も言わなくなった。飲みに連れて行かれることもなくなった。ほっとした。

 そんなあるとき、年上の女性職員が廊下で僕を呼び止めこう言った。

 「あなた知ってる?J課長があなたのことを酒癖が悪いってあちこちで言いふらしてるわよ」

 いかにもJらしいな。僕は妙に感心してしまった。Jは怯んだ自分が嫌だったんだろう。本当は気の小さい人間なんだけど、それを他人に見られたくない。自分は相手より上の位置にいたいんだろう。

 気が小さい人間ほど体裁を気にするもんだ。

 このJと僕は因縁があったことが後年わかるのだけど、その話はまたいずれ書くことにしよう。

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