八十八歳の子どもたち

ちかえ

八十八歳です!

「はじめまして、国王陛下、王妃殿下。マヌエルです。八十八歳です」


 小学校高学年くらいの魔族の少年が丁寧に挨拶してくれる。もう僕はお兄さんなんだよ、という主張が透けていて微笑ましい。


 八十八歳というと、人間で言えばもうすぐ十一歳なのか、と頭の中でつい計算してしまう。こういう時、まだこの国に慣れてないな、と感じて寂しくなるのだ。


 彼はこの地方の領主の息子だ。夏の離宮に滞在するついでに宮殿の近隣の領地を訪問しているのだ。


 そこで、時々、こうやってまだ社交界デビューをしていない子供達を紹介されるのだ。本人には教育になるし、私たちにも将来の臣下がどのような魔族なのか分かるのでありがたい。


「マヌエル、か。いい名前だな」

「はい! 昔の大国の有名な騎士様と同じ名前なんです!」


 マヌエルくんは、国王に名前を褒められて嬉しそうだ。きっと本当に自慢の名前なのだろう。やはり微笑ましい。その『騎士様』の出身国を勘違いしているような気がするが、彼は国名を言ってなかったので返答に国名を混ぜる事でフォローする。


 国王の許可をいただいたマヌエルくんも私たちと一緒にお茶の席についた。和やかに夫と話している。物怖じしないのは貴族の令息として利点となる。


「そういえば、国王陛下と王妃殿下はおいくつなんですか?」


 その純粋な質問に周囲の空気が凍った。侍女や夫が心配そうな顔で見て来るのがいたたまれない。別に私は悪い事をしているわけではない。一年ほど前まで人間の年齢を重ねてきただけなのだ。

 というか、何で夫まで不安そうな目線を向けてくるんだろう。心外だ。


「こら、マヌエル! お前の大好きな騎士様はそんな質問はしなかったと思うぞ」


 マヌエルの父親である伯爵が息子を叱っている。当の本人は『何がいけなかったの?』という顔をしている。


「申し訳ございません、国王陛下、王妃殿下。うちの息子は何故か、年齢を聞くのにはまっておりまして」


 その言葉につい小さく笑ってしまった。どういうマイブームなの、と心の中だけでつっこむ。


 実際マヌエルくんは悪くはない。だから夫もきちんと『二百三十六歳だよ』と答えている。


「妃殿下はおいくつなんですか?」

「わたくしは二十一歳よ」

「え!? 妃殿下よりぼくの方が年上だ!」


 マヌエルくんは少し驚いた後で嬉しそうに言う。


「そうね。おにいさんね」


 にっこりと微笑む。王族の機嫌を損ねるのではないかとハラハラしている彼の両親もこれで安心してくれるといいけど。


***


「答えなくてよかったんだぞ」


 離宮に戻り、バルコニーで冷たいオレンジティーのグラスを傾けながら夫が呆れたように言う。


「隠す方がおかしいわ」


 これから何度も同じ質問をされるのだ。慣れておくに超した事はない。大体、悪意のない単純な質問にいちいち怒っていたらきりがない。


 伯爵は何度も謝っていたが、むしろそっちの方が失礼な気がする。別に口に出して責める気はないけど。


「でも、きっとお前を馬鹿にする者はこれからたくさん出て来るぞ」


 まあ、それはそうだろうな、と思う。


 でも、マヌエルくんが私より長く生きているのは真実なのだ。それにどうこう言ったってどうしようもない。大体、魔族はほとんどが私より年上なのだ。


 そんな年下の私が王妃なのを面白く思わない魔族もたくさんいるだろう。でも、それはこの国に嫁いで来た時にもう覚悟した事だ。


「みんな気にしすぎなの」


 そう言いながらさっぱりしていて美味しいお茶を口に運ぶ。ちょっと拗ねた口調になってしまった。


「それにそういう疑問ならそのうち、内部からも出てくるでしょ」


 具体的に言うのは恥ずかしいのでとりあえず『内部』という言葉を使う。遠回しに言い過ぎたのか、夫はよく分からないという表情をしている。


「きっと、二十数歳しか違わないんだからさ」


 夫が息を飲む。勘違いさせてしまったかもしれないので『数年後の話よ』と付け加えておく。


 私は魔族の国王である夫と結婚した時に同じように年を取るよう魔法をかけられた。でも、人間として二十年と一ヶ月ちょっと生きた事は変わらない。


 だからいずれ子供が授かれば、年齢だけで言えば、二十数歳差、人間で言えば二、三歳差に見える母子が誕生してしまうのだ。


ーーねえ、お母様はどうしてそんなに若いの?


 未来の子供が不思議そうに聞いて来るのを想像したら、つい笑いがこみ上げてしまった。なんだか童話のセリフみたいだ。

 訝しげな顔をしている夫にも共有する。そしてしっかり笑いは伝染した。


 夫はひとしきり笑った後、急に真剣な顔になる。


「長生きしてくれよ」

「もちろん」


 即答しておく。


「その子が八十八歳になってもちゃんと生きているんだぞ」

「そうね。何人もの子どもが八十八歳……いいえ、もっともっと成長していくのをきちんと一緒に見守るから」


 最初の子どもが八十八歳になった時、自分は百を超えている。これから自分は何百年もたくさんの子ども達が成長するのを見守るのだ。


 いつか人間の年齢に計算しなくても自然と『大きくなったのね』と言えるようになりたい。そうなれるだろうか。


 そっと夫を見つめる。夫は優しく笑って私の肩を抱き寄せてくれた。

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八十八歳の子どもたち ちかえ @ChikaeK

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