第7話
戸籍上、俺は『俺』のひ孫になっている。
30歳前後で子供を作ったとして100年で三世代目が同じ年ごろというのは適当なところだ。ひとつの街に暮らせるのは10年から15年が限界だが、いまどきは男も女もなかなか歳を取らないから老いないことを誤魔化しやすくなった。
『代替わり』のたびに一人息子として相続してきた不動産は外見上の年齢に無理がない時期に売り払い、残っていたのは屋敷地。
思い入れがあったからじゃない。実家は丘陵地の一番上にあった。裾野から処分して、開発され道路整備が進むを待ってから順に始末していただけ。
「ご足労いただいて申し訳ありません。お会いしてみたかったのです」
そういう相手こそ郷里の瀬戸内からわざわざやって来ている。不動産屋は相好を崩しながら下座で書類や朱肉をそろえている。この取引で懐に入る仲介手数料は400万近い。ご機嫌は当たり前だ。
銀行の応接室が不動産取引に貸し出されることはままある。住宅ローン客を紹介してくれる不動産屋は銀行にとってありがたい存在。だから出された緑茶は極上で、色は淡いが味はたいそう濃くあまい。
「祖母の遺品に、売っていただく家で撮った写真がありまして。祖母の叔父さんと、お屋敷に住んでいたお友達だと聞いていました。写真の人にそっくりですね」
わざわざそれを引き伸ばし曖昧になった輪郭をおそらくはAI修正までして持ってきた相手こそ、一緒に写っている幼馴染によく似ている。女系だから姓が違っていて気がつかなかった。
「この方のこと、なにか聞いておられますか?」
名刺入れの上においている紙片の肩書きは故郷では有名な開発会社の役員。年齢は俺と同じか少し下、くらいだろう。億の土地の買い手にしては若い。けれど一族経営の場合、役員に親族を連ねるのはよくある。買い主は個人でなく法人だから実務上の手続きに来た相手が若くても別に心配はない。ないが、問題はそのあたりではない。
「戦争中の怪我で中国から帰国できなくなったまま終戦を迎えたとか」
声は普通に出た。柔和をかたどった相手の視線から、特に目もそらさなかった。
「たいへんな二枚目ですね。ご帰国はいつだったんですか?」
「曽祖父は中国で病没しまして、帰国したのは祖父の代と聞いています」
「お戻りになれなかったのですか。残念だったでしょうね」
「どうでしょう。現地では金持ちの入り婿になっていて、生活に苦労していたようではなさそうです。祖父は帰国に備えて日本語教育も受けていました」
「イケメンは時と場所をこえて無敵ですか。羨ましい話だ」
相手が笑う。あわせないでおいた。顔が強張りそうだった。
「いやいや、お二人とも背が高くてハンサムで、女の子にさぞもてるでしょう。お若いのに立派なお仕事もされて、わたしに言わせていただければ『リア充たちめ爆発しろ』ですよ」
少しも本気ではない軽い口調の不動産屋の世辞のおかげで、俺はなんとか呼吸を継いだ。衝撃を受けてる場合じゃない。アイツを連れて来なくてよかった。契約書と印鑑証明に記載された住民票の住所は事務所のもの。けれども棲家は、たぶん知られている。
逃がさない準備を万端整えた上で、姿を晒して最終確認、覚悟をしろと通達されているのだ。
「ではこちらに署名と押印を。本当に広々としたお屋敷地ですねぇ」
「ですね。いまどき珍しい好物件です。庭のしだれ桜や椿の木も樹齢何百年ですから、そのまま残して整備する予定です。洋館が使えればもっと良かったのですが」
「耐震基準不足は惜しかったですね。でも海は近いし景観もいいし、夏も涼しそうで、リゾートホテルはきっと人気が出ますよ」
「そうだといいのですが。プレオープンには招待状をお送りしてもいいですか?」
「本当に?嬉しいです。楽しみにしています」
不動産屋が世辞でない声を出す。二人の話を聞きながら押印を繰り返す。9桁の数字は既に文字でしかない。金銭は社会的な共通幻想に過ぎなくて、その幻想から弾かれれば価値をなくす。死や戦乱、預金封鎖に財産凍結、
「神林さんにはフリーパスを進呈します。いつでも泊まりに来てください。ぜひ女の子を連れて。繁忙期はご予約が無理なこともあるかもしれませんが。洋館も外装は移築して、別の場所でホテルにするんですよ。そちらにも」
「……よろしくお願いします」
そんな日が来ないことは分かっていて返事をした。
取引成立後の午餐招待は断っていた。百貨店の紙袋に入った手土産を渡されて銀行の前で散会。歩き出すなり、すっと横に、取引相手が並んできて。
「ジタバタしないで頂けると乱暴しなくて済んで助かります」
口調は丁寧だがはっきりとした恫喝。歩く速度をほんの少し緩めてそのまま駅方向へ向かう。内緒話は立ち止まらないほうがいい。
「魅鬼の
「……記録とりだして100年たってないだろ」
話す相手を見ないまま答えた。見なくても、ニッと笑った気配は伝わってくる。
「99年目です。本当に記憶がおありなんですね、隊長」
「整形しているのか?」
「顔、気になりますか」
立ち止まる。顔を向ける。身長は同じくらいで視線が合う。
痛々しかった。
俺がそっくりなのは自分自身だから当然。これはあまりにも不自然だ。戻し
「お察しのとおりです」
人間に混ざった『異物』の捜索隊設立を任されて、俺が最初にしたのは情報収集。人間ではないことを疑われる固体を個々に捕獲・排除するのではなく長期的に観察して派生の
鬼化の要素に遺伝子的な要因があるんじゃないか、ということは、約100年前の時点で推測されていたのだ。
「初代の隊長が2年足らずの間に効率的な組織を作り上げたおかげで、実に非人道な実験が続けられていた訳です」
そんな言われ方は不本意。積極的な操作で人間を歪に交配させ派生実験をしようという発想は『俺』の時代にはない。昭和に入ってからの雰囲気は知らないが俺が居た頃の旧日本軍はハーグ条約遵守、「俘虜ハ人道ヲ以テ取扱ハルヘシ」が信条。戦勝は軍人を驕らせるがおおらかにもさせる。そしてあの頃は国際的に文明国だと認められることに意義を見出していた。
「実験台に選ばれたのは同じ顔の男が派手にやり過ぎたせいだ」
「かもしれませんが死んでしまった人です。恨み言をいいようもない。ここに居るあなたに責任をとってもらいます」
「誰かの合意の上だったんじゃないのか?」
高価そうなスーツを着て靴を履いて、髪も爪も手入れが行き届いている。そうして億で地元の旧邸を買収しようとしている。あいつの実家は100年と少し前に没落した。そこからの経済的な繁栄は不自然で、一方的な被害者だったとも思いがたい。
俺でなくアイツでもない、身内の誰かが血統による実験を受け入れたせいではないのかと、自省を見せずわざと傲岸に宣告する。開発業者と政府機関の癒着はむかしから決まりごとだ。澄ました雰囲気が少し揺れる。歩く速度を少し速めてみた。過剰に追ってくる。釣りでいうならあわせに成功して針がかりした状態。
「写真の人とものすごく親しかったと聞いています。恋人だったんでしょう?」
「聞いたんじゃなくて記録よんだんだろ」
「あなた何回寝返ったんですか。写真の人を裏切って見棄てて、魅鬼を裏切って捜索隊を創設して、自分が作った組織と人間を裏切って魅鬼と100年も暮らして、いったい何がしたかったんだ」
その時々で俺なりの理由はある。幼馴染には先に裏切られた。海外で行方不明になる好機を待っている時点で捜索隊の初代隊長を命じられたら拒否できない。就任した以上は能力いっぱいにやらないと不審を抱かれるし、逃げるためには追う側の一員であることは悪い状況じゃなかった。
「覚えていない」
挑発でもあったが、長い説明をするのが面倒くさくもあった。
顔が同じでも他人だ。喋ればそれがよく分かる。むかしむかしに親しかった相手の傍系の子孫だからといって優しくしてやる義理はない。
「他はともかく、組織に対する裏切りの責任はとってもらいます。でも創設の功労者を
「かまわないのは実態が同じだからだろう」
駅前の立体歩道橋を上る。背後からつけてくる気配が焦ったらしく走り出す。隣の相手がそれに気づく前に俺も駆け出した。
「待て。逃がさな……ッ」
振り向く。腰の回転を効かせて肘で顎下を突き上げる。悲鳴も上げずに脳震盪で倒れこむ頃には背後から追ってきた二人のうちの片方を肝臓狙った右わき腹への三日月蹴りで沈めて、もう一人は足が遅すぎて追いついて来るのを待っていられずに歩道橋の反対側を駆け下りる。平日の昼前、通行人は少なく、まとめておいて一瞬でカタをつけたから騒ぎにもならない。遠目では何が起こったかさえ見えなかっただろう。
本格的に逃げられるとも思わなかったが、いまこの場所からの連行は避けたかった。スマホを2つ持っている。自分のは昨日から事務所に置きっぱなしだが、動画を消して解約しようと思って持ってきた同棲相手のと雛女から取り上げたの。単純な破棄ではすぐに発見される。都会の浅い河川に丸ごと投げ込んでも同じこと。分解してGPSユニットだけ別に捨てなければ意味がない。
ICカードで駅構内に入っても三人目の追っ手は現れない。前位置には配置人数が居なかったらしい。なめられたもんだと少し不機嫌になる。発車寸前の快速に飛び乗り人を探している風で車両移動、数駅先でおりてホーム反対側に待機している別の特急に乗る。いちいち切符を買う手間がなくなって交通機関を使って尾行を撒くのはたいへん楽になった。が、一面、スマホGPSの位置情報アプリをのっとられていれば旧態依然とした尾行対応は意味がない。
それでも特急の次の駅に着くには20分ほどある。鍵束に習慣で取り付けているマルチドライバーセットの、ペンタブヘッドで同棲相手のスマホの底面ネジを外しフロントパネルにマイナスドライバーを突っ込んで接着を力ずくで剥がす。カバーを下部にずらして本のように開き、さらに内部のY字ネジを外せば基盤とバッテリーが剥き出しになる。
感電に気をつけながら基盤にいくつか並んだ四角の部品のうち、8ミリほどのGNSS(全球測位衛星システム)チップを引っぺがす。パソコンもそうだが部品内部の技術は複雑でもそれが組み込まれた機器の構造は比較的単純で、バラすだけなら大して難しくない。記憶媒体も外してマイナスドライバーで外装を割り、そこを支点に無理やり折り曲げた。基盤を丸ごと外して百貨店の袋に入れて網棚に放置。外装だけもとのように戻して上着の内ポケットへ。
雛女の方も同じようにしようとしているうちに次の駅に着く。電車から降りるときにホームの隙間にチップを落とし込む。もう一度、別路線で別方向へ行く電車の乗り降りを数度しようと思っているところへ聞きなれない呼び出し音。雛女のだ。
確認すると発信元は雛女の店の固定電話。どうしようかと思ったが出たのは、少しの迷いがあったから。迷いというのはもちろん、撹乱に雛女を利用できるかと考えたから。
『もしも……』
声を聞いた途端、そんな気持ちはなくなって。
「まだ未練あるのかオマエ。あいつは死んだ。いい加減あきらめろ」
決め付けてやると電話の向こうで女が息を呑んだ。むかしの相手と顔がそっくりなアレといま話をしているコレがつながっていること前提で。
「スマホは落し物で届ける。取り戻そうとするな」
俺のはアルミホイルで包んで事務所の電子レンジの中に置きっぱなしてる。気休めだがしないよりマシだ。
『……アナタどうするつもりなの』
「どうにでも」
一身上に限ればそれが本音だった。どうせ時間は残り少ない。多少くるしんで死ぬことになっても自業自得の自覚はある。
「それよりオマエだ。殺し癖がついてるのを連中がいつまでも放置しとく訳がない。俺が捕まれば泳がせとく意味もなくなる。さっさと逃げ出せ」
間に合うかどうかは分からない。警告自体が人間に対する裏切りで、雛女が逃げれば被害者がまた増える。でもむかしの牡丹の頃を知ってる。見殺しにして死なせたくはない。
俺の一身上でない打算もあった。コッチが動けばアッチが手薄になるかもしれない。雛女はふるい知人。でもずいぶん長く愛し合った『恋人』より優先されるわけではない。
「オマエは遊びで殺すから『同族』の顰蹙もかってる。レイがかばってるから今はギリギリ無事なんだぞ。早く逃げろ」
『余計なお世話よ。あたしもう、狩る側に居るンだから』
「バカだな、オマエ」
そう簡単に立ち居地が変わるものか。寝返りは基本、失笑をかっておわる。軽蔑されてもそれが可能なのは相応の価値がある奴だけ。
『そうやっていつも、あなたアタシを馬鹿にするけど』
電車が向かいのホームに入ってくる。乗らなかった。乗客の動線を避けた片隅で雛女と話を続ける。バラしたかったスマホは処分した。逃げ回りすぎて人質をとられたくはない。
『今度はアタシが先に声を掛けられたんだからッ』
「だましやすかっただけだろ」
乗ってきたホームに電車が滑り込む。数人の男たちが降りてくる。わき腹を蹴りつけた奴は居ないが、顎を揺らして脳震盪を起こさせたのはふらつきながらも追ってきた。鍛え方は足りないが根性はある。囲まれる。足が遅すぎて無傷だったのに通話を切らないままのスマホを投げた。
「冷やさないと腫れるぞ」
まだグラグラしている筈の相手に、傲岸のまま言ってやる。横面を殴られる。避けないでおいた。
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