第6話



 鏡に映った細い鎖と二枚の金属片はちょっと格好がいい。認識票をドックタグと呼ぶUSAF(合衆国軍)の軽めなノリもたまには悪くない。粗雑さは大らかさで、軍人に相応しい気質の一典型ではある。

 と、思ったことは、黙っておいた。洗面所のドアからこっちを見てる男を調子ずかせるから。

「外れねぇから、それ」

 指で辿った鎖には継ぎ目がない。そう偽装されているだけたろうが、見た目も感触も異常はなくて接合部を探すのは苦労しそうだった。

「怖いお外で迷子になっても迎えに行けるように」

 夕方の手錠と違って難しい顔をしてる俺を男は鏡越し嬉しそうに眺めている。少し厚みのあるタグにはGPSが仕込まれて、居場所がわかるようになっていることは確認するまでもない。

「外よりも」

「ん?」

「家の中のほうが怖い」

 男が俯いて肩を揺らす。愉快そうに笑ってるが、俺は冗談を言ったわけじゃない。鍵を掛けていたのに暴漢が押し入って風呂掃除してたところを襲われた。袖を通したままのシャツを半端に剥かれて壁掛けのシャワーヘッドに拘束されて、晒された喉から好き放題に『喰われた』。

「あんまりカワイイこと口走るからだ」

 帰ってきたときは俺が居たことに心から安心した様子で背中から抱きしめようとされた。肘を張って抱擁を拒んだのは香水臭さが耐えがたかったから。バカラの瓶に入ってるナントカの涙とやらは100万円近い超高級品。つけてる女はこの街に、知ってる限り一人しか居ない。

 再会を喜ぶよノリに付き合ってやらず、寄るな触るなとか言ったのがずいぶん気に触ったらしい。

「まさか。

 オマエが香水臭いのに俺を洗ってどうするんだ、と、思ったが言わないでおいた。わざとにきまってる。

「それよりシャツ一枚ぬぐのにどんだけかけてンだ?指が震えてボタン外せないなら脱がせてやるぞ」

 ずぶ濡れのシャツの裾からはまだ、ポタポタ水滴が落ちてる。先に全部脱いで真っ裸の男はイライラしながら俺を待っている。脱衣所のドアは俺を担いでくぐるには狭い。抵抗されたら寝室に連れ込みにくいことを承知の男の焦りようが気持ちを少しだけ宥める。篭城を長引かせてこっちに踏み込まれ、狭くて固い床の上で抱かれる破目になるのも不本意。

 無言で手首を男に突き出す。濡れた生地と暴れたせいで詰まったボタンに苦労すべきは俺じゃなくこいつだ。

 へらっと何故か嬉しそうに笑った男は俺の手首を殆どうやうやしく掴んだ。そのまま口元に持っていく。ボタンを食い千切る。反対側をそうされる前に自分で同じようにした。シャツを剥かれる。ドアから引き出される。廊下に出た途端、有無をいわせず担がれる。

「……こっちがいい」

 俺の部屋の前で言ってみたが素通り。降ろされたこいつのベッドの枕元にはまだ、見るのもうんざりな玩具が並べられてる。

「においが移ったのは押さえつけてたからだ。店長が撮るの手伝って」

 顔を背けた耳元になすりつけられのはいまさらの言い訳。ウソつけ。ちょっと触ったくらいで移る臭さじゃなかった。

「なるべく殺すなってオマエが言ったから店長がやり過ぎないように見張ってた。言いつけ守ったんだから褒めろ」

 なるべく殺すなと言ったのは実行犯のことで、雛女に関しては出来ればスマホ取り上げて、あんまり嫌がるなら動画を消させろとしか言っていない。

「かたくなるな。怖がってたやつは店長にやったから。……あれは確かに、ちょっと誇張デフォルメしすぎだ」

 いや、あのな。

 えぐい張型ディルドひとつ減ったからって、ろくでもなさがそれほど減るわけでもない。

「なぁ。……着エロって、イイな」

 寝言が聞こえる。

「店長がしてんのはよく分からなかった。下着脱がせてもう一回服着せてから水ぶっかけてとか、意味わからねぇだろ」

 だから、そういう、エグイ話を聞かせるな。

「けどこの肩とか胸元とか腰とか、……、とか、に、シャツ張り付いて透けンのはすげぇ、イイ。……感動した」

 耳朶を噛まれる。灼かれるかと思った。掌で包まれる。ちょっと、いたい。

 色々おかしいが機能的には人間だから、夕方と夜更けに連続で弄られて絶好調の訳はない。オスはから売春に不向きなんだと身を以って実感する。もっとも、オスじゃない欲望は散々焙られて熔解する寸前。

 あそんでないで、おく。

 腰を浮かして擦り付けながら、耳朶を灼きかえしてやった。




 

 シーツの上で頭を抱える。

 ついこの前も、同じことをした気がする。

「いいって、言ったぞ?」

 隣で満足そうな男がタバコを吸うのも既視感デジャブ。ただし倍々で憎たらしい。朦朧としてるときにいいかと尋ねられて何かを口走った記憶はある。でも玩具を使っていいって言ったんじゃない。

 きもちがいいって言わされたことをここで蒸し返しても悦ばせるだけだから黙っていた。

「どっか痛むのか?」

 返事をしないでいたら心配そうに尋ねられる。痛いと答えられたらどれだけスッとするだろう。吊られた二の腕の内側が少しだるいだけだ。腹の立つことに。

「ああ……。ごめん」

 無意識にそこを撫でると玩具のことは少しも謝らなかった男が煙草を消して起き上がる。肘を押し上げられてあらわになった腋に顔を埋められる。

 せめて揉む真似くらいしろ。まさかと思うがそれで慰めてるつもりとかじゃないだろうな。

「元気でたろ?」

 うるさい。

 立ち上がろうとする。足首を掴まれて引き寄せられる。崩れる。

「おい?」

 あっけなく引き寄せられたから心配になったらしい。自分で引き倒しておいて。あお向けにされて顔色を確認される。そう悪くはないだろう。残念なことに。

 見つめてやったら目尻を赤くして、

「……、疲れたな」

 照れ隠しみたいにつぶやく。ふん、と思いながらもう一度体を起こそうとした。くらっとしてシーツに手を突く。痛いのとは違うが体中の関節が緩んでしまって、まだうまく噛み合わない。曖昧さをあえて形容するなら痺れ。身体はまだ波に揺れていて意思で動かせない。

 転ぶのも不本意だから大人しく横になった。男が添い寝して抱きしめてくる。それで機嫌を取れると思ってるんじゃないだろうな。と、見えない位置で不機嫌に眉を寄せては見たが、肌寒かったところに包みこまれる体温はたいそう心地いい。

「ごめん」

 睦言にしては真剣な響きが気になって横を向く。至近距離で男がじっと見つめてくる。年に何度も見かけないような真剣さで。

「これの」

 腰骨を掴まれる。爪をたてる仕草。肩が揺れた。長い仲だ。快楽の記憶が濃すぎて触れられるだけで濡れそうな感覚が湧く。

「相性がよすぎてずっと、前戯手抜きだった。……ごめんな」

 ろくでもない語句を大真面目に告げられて反応に困った。

「自分勝手だった。こんなに悦ぶならもっと早く可愛がってけばよかった」

 近くでつくづく眺める顔立ちは悪くない。悪いどころかイケメンとやらの範疇。少し整えた吊りあがった眉と、ややたれ気味の目尻のアンバランスには剣呑な凄みが沈んで見える。ホストでいえば王子様はムリでもそれに次ぐオラオラ営業は可能な見目をしてる。喋らなければだが。

 どちらかというと顔より体の方がお見事で、そういえば戦史でも鎌倉時代は江戸時代より暖かく鳥獣水産物も豊かで、庶民および軍人の身長も高かったとか習った。職業軍人の集団である武士は、鎧武者って呼び名のとおり見るからに重そうな具足を着けて馬に乗ったり動き回ったりしていた訳で、騎馬弓射からの格闘戦が主流だった頃の身幅の厚みは、砲撃主体の集団戦に移行した近代以後とはモノが違う。

 そんな風に思考を現実逃避させていたが。

「ごめん」

 ぎゅっと抱きしめられて真摯な謝罪をされて仕方なく現在と向き合う。

「悔やんでも戻せないけど反省してる。」

 返事を。

 しなければならないんだろうか。

「ごめんな」

 あれだけえげつないまねをしてもこっちに傷跡を残さないのは名人芸だとか褒めても、それが返事にならないことはなんとなく分かった。かといって性技にまじめな返事をするのもバカバカしい。

「さみしそうって一回も言われてない」

 思いついたのはそんなこと。

「百年間で一回も」

 昔はよく告げられた言葉だった。俺は単独行動が多く集団の輪を乱すタイプだが、それでもなんとなく許されてきたのは俺がどこか寂しそうだからだと、昔の上司やばあやに時々言われた。陸士の同期や先輩たちにもなんというか、構ってもらいがちだった。

「たぶんオマエのオカゲサマだ」

 不本意なこともないではなかった。閨の話ではなくて。俺がこいつの食い物だったことは一面の事実。まあ、でも。

「100年間さみしくなかった人生ってのはあんまりないだろう」

 これと出会わなかったとしてもそんな風に生きれたとは限らない。むしろ不幸は出会う前、幼馴染の変貌から始まっていた。激変した状況に自棄になっていたとき、これが差し出した手をどうにでもなれと思って掴んだ。

「幸福だったから許してやる。ぜんぶ。初夜が強姦だったことも」

「一回目だけだ」

 この問答は100年間に何度も繰り返してきた。クスリ打たれてラリってる時のノリを和姦扱いするなよと俺が言って、歩み寄らずにきた。

「……だったな」

 告げる。泣かれる。困る。

 最近ずっと、最後はこんなふうになる。




 泣かれた時点で夜明けだったから、そのまま起きていてスーツに着替えて。

「銀行いってくる」

 妙な心配をされるのも嫌で、寝室のドアの外から声をかける。

「なんで」

 中からドアの開くタイミングが早すぎる。外出の支度に気が付いて出てこようとしていたらしい。

「不動産取引。それから事務所でデータ解析」

「なんの不動産だ。家売ったのは入金済んでただろ」

「あれは手付だ。今日は残金決済日」

 投資マンション程度なら媒介する不動産屋に清算してもらえるが、さすがに額が大きいので銀行の応接室で契約書に実印おしての対応を求められた。

「……マジか」

「欲しいものあるなら買ってやるぞ。車は?」

「酒飲めなくなるからいい。事務所行って大丈夫なのか?」

「盗聴じゃなかったからな」

 自宅に忍び込まれての、もしくはIDを乗っ取られての犯行なら相手は組織だ。が、スマホを弄ってデータを物理的に盗んだだけなら大したことはない。

「一緒に来てもいいぞ」

 泣かれた後を残していくのが気になって言った。

「いい。契約に無関係なのが行くのもアレだろ」

 大金目当てに付いてくるヒモと思われるのが不本意なのかもしれない。

「帰ってきたら旅行行こうぜ。支度しとく」

「行かない」

 過去に『契約切れ』で死んだ連中は期間が短かったから参考にならないが、死んだら時間が一度にすぎるかもしれない。浦島太郎のむかしばなしみたいに。つまり125歳の老衰した死体が現れるかもしれないのだ。移動途中にそんなことになったら処理に困るだろう。

「昔の家とか見たいんじゃないか」

「まさか」

 近親はもとから居ないし俺を知っている関係者もとうに死に絶えた。俺の家に帰るには殺した幼馴染の家を通らなければならない。累代の墓地も近い。極力、近づきたくはない。

「お願いないか?なんでもいい」

 真顔で言われて考える。

 むかしの話はちょっと聞いてみたい。でもきっと、相当えぐいのだろう。

「……あの頃を、生首と頭蓋骨シャレコウベなしで話すのは難しい」

 自覚があるらしい男は少し考えてから言った。平安末期から鎌倉初期ってのはそんな時代だ。親殺し、子殺し、戦乱や内ゲバの集団虐殺。密通に姦通。手を付けた養女を孫の正妻にした法皇まで居たりして訳が分からない。ああ、そういえば。

「後白河法皇って同族だったのか?」

 尋ねる。ぎくり、珍しく男が表情を強張らせる。

「……忘れた」

「思い出しといてくれ」

 じゃあなと告げて外へ出る。陽光が少し眩しかった。
















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