第5話


 スマホを取り上げて脅しつけて殴った。悪いことをしたと思っていたのだろうし、アルバイトを会社に通報もされたくなかったんだろう、そこまでは大人しかった。

「しゃ、しんが……、ほしくて……」

 それが動機で俺がふだん、勤務中はロッカーの上着のポケットに入れっぱなしのスマホを触ってしまったという自己申告は、まあ信じてもいい。そこで写真どころじゃない動画を見つけてつい、自分のに送信してしまったというのもオスの習性として理解できないじゃない。だが。

 雛女に見せる必要はなかっただろう。

「さいきん、やくにた、たなくて……。みながらシたらと、おも……。きづかれ、て……」

 それは、考えられる限りで最も愚かな真似。

 ただでさえ『専属』に浮気をされて頭にきている雛女はさぞ怒っただろう。アレはアレで大した美女だしこの街で有数のクラブを経営してるやり手だが、だからこそ自尊心は高い。一方的な恥をかかされて嫌がらせの一つ二つせずにはおられなかったのかもしれない。

「……ごめん、なさい」

 俺にも過失はある。動機は分からないでもない。こいつが意図してネットに流したとかじゃない。素直に謝った。だから殺さないでおいてやった。ずいぶん温情をかけたつもり。なのに雛女を呼び出せと言った途端、悲鳴を上げて抵抗した。

「カンベンしてくださいそれだけは……、コロされる……ッ」

 なんなら俺がそうしてやってもよかった。それでも追加の足蹴りで済ませてやったのはなるべく殺すなと釘を刺されていたから。取り上げたスマホから雛女に連絡する。俺のは『彼氏』に没収されていた。




 話があるから来いと言ったら雛女は素直にやってきた。ホストクラブの正面から客として。白々しくもカイを指名したがもちろん店せに出せるツラじゃない。じゃあレイ、と、代打に俺を指名してくれやがった。

 客の前に出られるツラじゃないのは俺も同様だったが、引っ込んでるわけにもいかずバックヤードの物置からフロアに出る。目の据わった凶相にまったく怯まず、テーブルに載った封切のマッカランを形のいい指先で指し示して、

「ついでよ」

 高慢に指示する態度は機嫌がいいときならこまっしゃくれて(大人ぶって) 小憎らしくも可愛らしくもあるが。

「飲まないほうがいいんじゃないか」

「どうして?好きでしょ?売り上げに協力してあげるのに」

「アルコール入ってると出血が多くなるから」

 なるべく素っ気無く言ってやる。俺の『彼氏』にはため息とともにダメ出しされてばかりの脅し文句も雛女にはなかなか効いて、全身を強張らせる。

「……はなしって、なに?」

「分かってるだろ。奥に行くぞ」

「行かない」

「素直に来るなら顔は殴らないでおいてやる」

「そんな恩知らずなこと言っていいの?あたし、レイにぃを助けて上げられるかもしれないのよ」

「あ?」

「もらってあげましょうか、あの人」

 なにを言っているかはすぐに分かった。

 考えてしたのではなく、反射で笑っていた。嘲笑した。

「なに、その顔」

「オマエはバカだ」

 家を出る前に『彼氏』から俺自身が言われたこと。

「なんでよ。アタシが専属にして1000年とか約束したらあの人、居なくならずに済むかもしれないじゃない」

 それを、俺が、考えなかったとどうして思うんだろうか。

「自分のモノじゃなくなるのがイヤなの?それくらいなら死なれた方がいいの?それって結局、抱きたいだけの愛情なンじゃない。愛してるようなフリして自分のために飼ってるだけなンだ?」

「嫌がってるのは俺じゃない」

「それでも生きて欲しい、とかは思わないワケ?」

「意思に反して生きてるはずないだろ。躾の悪い犬だって噛み付く。飼い主の首を斬りおとしたが」

 狼が、とは、秘密にしたくて口にしなかった。の強情さと誇り高さが恨めしくもあり自慢でもある。喧嘩もしたし梃子摺ることもあったが基本的には愛し合ってきた。少なくとも俺は芯から惚れてる。

 俺たちの百年続いた仲の長さは異様で同族から嫉妬交じりの注目を集めているが、ナンのことはない理由は単純、捕食者と被食者じゃなかった。率直にいって俺はずいぶん甘やかしてるし、甘やかされてもいる。だからアイツが、今さら見目で気に入られた程度の相手に家畜として譲られたくないのはよく分かる。

「死んだほうがマシな思いしても、どうせ長くはもちゃしねぇ」

 見た目もセックスも血の味も上等だがそれに倍して扱いにくいアレは食用の家畜にも愛玩用のペットにも向かない。反抗されて下戸上した経歴のあることを思い出したとき、同族たちがどんな反応をするかは簡単に想像できる。悲惨な結末が用意された、苦しむだけの延命は俺としても選択したくなかった。

 ましてオスに我侭三昧のこの女の機嫌をとれるとは思えない。三日も経たずにバラされるのが関の山。そうなったらオレは報復にこれを虐殺しなきゃならない。考えただけで無意味かつ不毛で徒労でうんざりだ。

「格好つけてんじゃないわ。自分が抱けないならこの世に居なくてもいいってことでしょ」

 あのな。

 この女と話していると、俺はいつも柄にもない説教がしたくなる。愛情は性愛だけじゃないんだぞ、と。馴染んだ相手とは対極に居る女だ。

「自分は汚して遊ぶのに他人に汚されたら要らなくなるのよね。男っていつもそう。自分勝手なんだわ」

 男がそうなのかは知らないが、俺が自分勝手なのは事実だ。ついでに言うと性交のことを汚れとかいうのは近世以降の、耶蘇の影響を受けた習俗。強姦や密通はともかく、むかしからのこの国で夫婦和合はめでたいこと。

「夫婦?和合?ナニソレ?」

 馬鹿にしたつもりの口元がヒクッと痙攣してご立腹を告げる。

「男嫌いのくせに食い散らかすからどっちも縁がないんだよ、オマエ」

 さらに怒らせることを言ってみる。掴み掛かってくる。片手で押さえ込んでもう片方の手で華奢な顎を掴む。左右の頚動脈を同時に圧迫する。三秒もかからずにコテンといった。

 カイみたいにみぞおちを殴りつけて悶絶させなかったのは、吐き散らかされて店を汚されるのが嫌だったからだ。

 心の中で言い訳をした相手は流し目を寄越した。視線ひとつでひとを心底落ち込ませる眦を、早く帰って思い切り啜りたかった。




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