その音色が響く日に

神凪柑奈

少しだけの退屈しのぎ

 変わらない街並みというものに魅力を感じる女だった。やがて、街は移ろうものだとわかっていても、そこに愛を感じてしまうのが私だった。

 そんな私は、この地に囚われている。当時は偉い人に仕えていた私も、今やなんでもないただの幽霊になってしまった。なんでもない幽霊というものが何かはいまいち分からないけれど。

 地縛霊という部類になってしまったのか、私はかれこれ二百年ほどここに縛られている。幕府はいつの間にやら崩壊してしまったし、主様もとうの昔に亡くなってしまった。たくさんの血が流れる戦争も見てきた。

 そうして平和になったある日、家族が私の囚われた家に住むことになった。私が生きていた頃とは違う外観になった家に、小さな赤子を抱えた女性とそれをいたわるように入ってきた男性。


「おやおや……! 赤ちゃんですねぇ……」


 私は人に危害を加えるつもりは無い。むしろ、守り神のようなものになりたいと思っている。

 だから、この子を少しでも楽しませてあげることができたらいいと思った。


「そうだ! プレゼントをあげましょう!」


 何かいいものがあるだろうか。突然増えても不審に思われないようなものがいい。

 となれば、服なんてどうだろうか。生まれてすぐならともかく、小学生にでもなれば自分で服を買うようにもなるかもしれない。

 いや、怖いか。

 結局そのときは何も決められずに、十年が経ってしまった。立派な男の子で、どちらかと言えば家が好きな子だった。


「上手ねぇ!」

「さすが父さんの息子だ!」


 そんな声が聞こえてきて、私は再び家族に目を向けた。

 ピアノ、という楽器。かつてはあまり耳にすることがなかったけれど、私はこの音色が好きだった。


「あ、そうだ! いつかすっごいピアノを作ってあげればいいのでは!」


 完璧かもしれない。確か、ピアノは八十八の鍵からなるものだったはずだ。なら、一年に一度、誕生日に贈ればいい。もう出遅れているけど。

 今の人ならばきっと百年くらい生きるのだから、ピアノが完成するまでは彼も生きていられる。

 出遅れた分は、次の誕生日にでも置いておこう。

 次の日から、私は鍵盤を真似て作ってみることにした。要らなくなったであろう木材を擦って形を作るのはものすごく難しかったけれど。

 なんとか家にあるピアノと同じようなものが出来た頃には、二ヶ月が経っていた。

 そんな生活を続けて、次の誕生日になった。作るのが早くなった私は、どうにか十一の鍵を作ることができた。


「少年、喜んでくれますか……!」


 こっそり、少年の部屋に置いておいた。私は彼の部屋の隅でその様子を見守ることにした。

 彼は一瞬だけ驚いたような表情をしたけれど、嬉しそうに笑って鍵を棚にしまった。

 また十年が経った。鍵を完成させるのも早くなってきて、私はあることに気づいた。


「……ピアノってどうやって作るのでしょう」


 ぽつりと漏れ出た言葉が余計に私の無能さを際立たせている。つらい。

 けれど翌日、彼が珍しく本を出しっぱなしにしていた。なんと、ピアノの仕組みについて書かれた本だった。


「ほほう……なるほど、全然わかりません」


 だけど時間はまだまだあるのだから、気長にやっていこうと思った。

 十年後、ようやく土台のようなものができあがった。まだ音はとても出せるようなものではないけれど、だんだんと形になってきた。


「でも、これどこに置いておきましょう……」


 今はなんとか外に置いておけている。不審がられないように隠してはいるけれど。


「……まあ、後のことは後で考えればいいのです」


 そして翌日、寝て起きたら私の作るピアノが逃亡した。と思ったら、彼の部屋に置いてあった。


「なんだろうな、これ……完成が楽しみだな」


 そんなことを言って、彼はピアノを触った。あまりにも自然にこのまま完成する方向でいるけれど、怖くはないのだろうか。

 やがて、少年だった彼も四十になった。ピアノも半分ほどできた頃、彼の両親が亡くなった。どちらも病気で、父親の後を追うように母親も亡くなった。


「ああ、また癖でやってしまった。誰か飲んでくれないかな」


 ことん、と二つのコーヒーがテーブルに置かれた。私の時代には見かけなかったものだから、少し気になる。

 彼はやや鈍感だから、コーヒーがなくなっても気づかないかもしれない。


「……二人が亡くなって、俺も立派な大人だから泣き喚いたりはできないけど。でも、こうして二人でコーヒーを飲んだりできるといいな」


 二人で。彼には想い人でもいるのだろうか。

 そんなことを考えると、胸が少し痛くなった。

 十年後、大量に彼はピアノの材料になりそうなものを買ってきた。想い人とは上手くいかなかったのか、一度も連れてくることは無かった。


「買ってきたけど、作るのも面倒だなぁ」


 そんなことを呟いて、彼は部屋の隅の方にそれをまとめて置いた。

 また十年が経って、彼にも皺ができた。ピアノもだんだんと完成が近づいてきていて、ついに音が出た。なんとなくやり方もわかったので、どうやら間に合いそうだ。

 それと、このピアノは弦を張った翌日には少し綺麗な音になるらしい。

 十年。彼はしわくちゃになった。

 かわいかった彼も、すっかり貫禄のあるおじいさんだった。彼の仕事は所謂ピアニストというものらしく、テレビなるものにもよく映っていた。

 けれど、突然ずっと家にいるようになった。テレビの報道では原因不明で未解明の何かが関係しているらしいが、その何かの話になると彼はテレビを消してしまうから、その先がわからない。

 それから十数年が経った。彼は帰ってこなくなった。


「……誕生日ですよ、少年」


 涙が零れてしまった。いつから彼は、ピアノの完成が楽しみではなくなってしまったのだろう。賢い彼はきっとこのピアノがいつ完成するかも気づいていたはずなのに。

 そんなとき、玄関のドアが開いた。


「……ピアノは、できたのか?」

「……えっ?」


 彼は、私に向かって言った。


「見えているよ。ずっと、昔から。君は見えていないと思っているみたいだけど、俺は子どもの時から君を見ていた」

「……えぇ!?」

「八十八年。君にとっては短かったのかな」


 彼は食器棚を開けてカップを取り出して、手を滑らせてしまいそれを落とした。ため息をついてもう一つ掴もうとして、また落とした。

 慌てて私はカップをふたつ取りだす。彼がいつもやっているようにコーヒーをいれてテーブルに置いた。


「私にとっても長かったですけど、楽しかったです。私が見えてたから喜んでくれたんですか?」

「違うよ。素敵なプレゼントを毎年くれる友人がいてくれて、本当に嬉しかったんだ」

「あの日ピアノが消えたのも、コーヒーを多くいれたのも、材料を買ってきたのも」

「君がピアノを作ってくれるのが嬉しかったんだよ」

「……では、なぜ帰ってきてくれなかったのですか」


 彼は少しだけ困ったように笑って、コーヒーを飲んだ。一瞬だけ顔を顰めて、そしてまた笑った。


「美味しいよ。でも、入れる粉の量をもう少し少なくするともっと美味しくなるよ」

「ありがとうございます。でも、帰ってきてくれなかった理由はごまかさせません」

「そうか」


 彼は立ち上がって、自室へと入った。そこには鍵がひとつ欠けたピアノが置いてある。私が作ったものだ。


「愛する女性に夢を叶えずに死ぬところは見られたくないだろう」

「愛す……死ぬ…………えっ?」

「いつも、ありがとう。話したこともないのに、好きになっていたよ」


 また涙が出た。先程とは違う感情が溢れていて、とてもつらい。

 どうやら、私は彼のことが好きだったらしい。


「その、ありがとう、ございます……」


 嬉しかった。好きだと、愛する人と言ってくれて。


「……死ぬ、というのは」

「言葉の通りだよ。原因不明で未解明の病気で、僕はかれこれ十年以上蝕まれている」

「そ、んな……今の技術なら、治るのではないですか! こんなところにいないで、病院に行ってください!」

「行ったよ。帰ってこなかっただろ。病院に入院してたんだ。でも、どう頑張っても遅らせることが限界で、本当はもう死んでいてもおかしくなかった」


 彼はピアノの前にある椅子に座って、私に向かって手を出した。


「今日はね、伝えたいことを伝えに来たのと、長年の夢を叶えに来たんだ。誕生日プレゼントはあるかな?」

「夢……」


 私はそれ以上何も言えずに、最後の鍵を手渡した。彼はそれを鍵盤にはめ込んで、ゆっくりと鍵盤を押し込んだ。

 音が鳴った。とても綺麗な旋律だった。ピアノはきちんと完成していて、それで彼が素晴らしい演奏をしてくれている。

 彼の演奏は長いようで一瞬で、儚いような時間だった。


「……ありがとう。最高の誕生日だったよ」


 彼は鍵盤に突っ伏して、それ以上は何も言わなかった。

 彼の遺体が回収された。ピアノはその場に置いていかれてしまった。

 弦は張り方が悪かったのか少し傷んでいたので、張り替えた。翌日、私はその楽器を初めて弾いた。

 彼のようには弾けないピアノからは、不思議なほどに汚い音がした。

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