隣の隣

家に帰った。そこには誰もいなかった。

母親は最近忙しいようだ。8時を回ってもまだ帰っていない。

まずはカバンを私のベットの上に放り投げる。風呂を溜め、その間に家中のカーテンを締める。


「……時計塔かぁ」


……幼稚園があの街のどこかにあった気がする。歩いて母親と登園したような記憶があったような無かったような。

小さい頃のアルバムを漁る。幼稚園の前で撮った写真があれば、その幼稚園を探して街を当てることができる。


「……あった」


それはすぐに見つかった。3つ目に開いたアルバムの、一番最初のページにその写真はあった。

私が幼稚園の看板の前で大きくピースをしている。顔をくしゃくしゃにして満面の笑みを向けている。

その幼稚園の名前をメモした。

この卒園式のすぐ後に引っ越しをしたのだ。


なんの前触れもなく、いきなり。


「ただいまー、凛子いるの〜?」


母親の声が玄関から聞こえる。


「おかえりー!今日遅かったね!」


「ごめんね、明日も遅くなりそうなのよ。明日からご飯自分で用意しといてくれるかな?」


「外で食べたりするし、大丈夫だよ」


やはり母親は仕事が忙しいようだ。


「お母さん、少しだけ話してもいいかな」


「全然良いわよ。何よ、畏まっちゃって」


「私たち、小さい頃この家じゃないところに住んでたじゃない。なんで引っ越したんだっけ」


引っ越した理由を聞いてみたくなった。理由はなんとなく。


「そうね……急に引っ越したわよね。

私の仕事の都合かしらね……仕事場も遠かったし、もう少し……近くに引っ越そうかなって思ってたのよ……」


言葉を一つ一つ並べるように母は教えてくれた。

なんとも、納得できるようなできないような。


「よく分からないって顔してるわね?」


「うん……ちょっと分からなかった」


半笑いで反応を返して話を切り上げる。

あまり特別な理由もなくといった感じで、納得したかと聞かれると「あまりできてない」というのが本音である。


ただまあ、正直どうでもいいことでもある。

なんとなくで聞いただけであり、それ以上でもそれ以下でもない。


幼稚園の名前をネットで検索し、どこにあるのかを突き止める。

その幼稚園は、今の街の、隣の隣の街にあることが分かった。それなりに遠い。


……確かにこの距離なら、近場にしたいという気持ちも少しはわかる気がしなくもない……かな……?


この街の名前で時計塔があるかどうかを調べてみる。


「……?」


ヒットしない。

『時計』『黒い建物』『大きな建物』『観光名所』

……思いつく言葉を思い付くだけ付けてみても、ピンとくるものが全く出てこない。


幼稚園は確かにこの街にあった。この街で間違いはないはず。なのにどうして見つからないのだろう。私の記憶が違ってたのか?

……確かに歩いて幼稚園まで行った記憶はある……はずなのに……


「凛子!アルバム散らかしたままにしないで!お風呂お湯出っぱなし!」


母親の大声が飛び込んでくる。

しまった、色々忘れてた。


アルバムをしまう手を動かしていると、後ろから母親に言われた。


「あまり深堀はしないでね」


何故?深堀……というと、それは何を示すのだろうか。


「深堀って何?私さ、小さい頃見た時計塔のこと知りたくてさ」


母親は黙って、その場に立つ。何故か一瞬空気が凍った気がした。


「お母さん?」


「時計塔って……?なんのこと?」


振り返ると、首を傾げる母親。何も知らないというような顔で私を見つめる。


「そのさ、時計塔だよ。二階の窓からよく見えてたあれだよ」


「……あー、凛子確かに二階から空を眺めてた気がするわね。でも、時計塔は知らないわよ?」


「え、そんなわけ無いと思うけど……」


「この話は終わりよ、早くお風呂に入っちゃって」


私が話を繋げる前に切り上げられてしまった。

「話してはいけない」と戒められてるかのようにお風呂場に追いやられた。


「あ!あと学校から電話いただいたわよ!お風呂上がったら進路調査票見せなさい!」


……そっちの話の方を終わりにしてほしいところだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る