第八章

第五十二話


 お盆が過ぎて数日。

 昼夜を問わないけんそうは遠ざかり、なんとなく寂しさを感じさせるようになってくる頃、とある建物ののきしたに、あたらしいぼんちょうちんが飾られていた。

 どこの店も、えんもうでや、七月のきゅうぼんを過ぎれば提灯ちょうちんを片付けてしまうので、いつもの年であれば、八月のお盆に向けて残された盆提灯のかげが、さびしげに軒下を照らしているだけなのだけれど、今年は珍しく、新しい盆提灯が新開に並んだのだ。

 そんな時に、新開の町から出ていくひつぎが二つあった。

 一つは、屋根がつけられたに納められ、多くの人に見送られながら、盛大な行列の中心となって運ばれていくところだ。

 もう一つは、まつおけじょうかんおけに入れられただけで、見送る人もなく、かつぎの形で二人の男に運ばれて、そのまま墓に入るだけだった。

 駕籠の方は、寝かされた状態で運べるほどに細長いが、中に入った者が死者であるため、どこか小さく見える。

 それでも全体は大きく、どこの誰なのかと問うには、あまりに良くできたものだった。

 その立派な駕籠を一目見ようと、おもてからも大勢の人が集まり、それなりに広い道までをふさいでいる。

 それを見たふく姿すがたの女達は、駕籠が動く前に、辺りへ声をかけ始めた。

「ほら、行列が通るよ。みんな、はしに寄りな」

 死者が出れば、そこが地獄にたとえられる場所であっても、生きている者と同じ建物にはいられない。

 葬儀が始まるまでは、遺体をしゃに盗まれないようにと、ろうそくの火を見るしんばんがついたりするため、夜中も明るい建物がある。

 新開でもしんじんぶかものは多いため、火車という妖怪が実在するのかどうかは別にしても、遺体を安置する場所を別に持つ店はいくつかあるのだ。

 その一つである『菊の井』のいんきょじょから、人目をはばかって出ていく行列を見ようと、大通りから見る人達もあつまっていて、コソコソとささやくように話をしている。

「ほら見てよ。あれが、お力のかんだよ」

 一人の女がそう言えば、彼女の旦那と思われる男が叱るように、「しっ、名前を呼ぶな」と小声で言う。

「相手はにんなんだ。名前なんか呼んで、家にまで来られちゃ、たまらねえ」

 過去に何度も『菊の井』を訪れていた男の言葉に、別の男が数回うなずく。

「男にとっちゃあ、りょくてきな女だったが、死人になっちまったんなら、ただの人だからなあ。今頃は、なりも変わっちまってることだろうし、女とも呼べねえか」

「ああ、そうだ。つめてえ体なんぞ、れても損なだけだ」

 ひんに笑う男達の横で、あかいた女が両手を合わせている。

 顔を上げて、「かわいそうにねえ」と呟く女の後ろで、「あの子も、とんだ運の悪いことになったねえ。面白おかしく男を騙して、良い男を捕まえて、あちこちでわらころげながら長生きすると思っていたというのに。つまらない男に見込まれて、まとわれたむごいことをされたもんだ。せめて、少しでも早くに店のもんが動いて、あんな男と別れさせていれば良かったのさ。ああ、かわいそうにねえ」と、誰かが言う。

 するとどこからか、男の声で、「いや。あれは、納得したうえでのことだと言いますよ」と、こわだかに話し始めたのだ。

「あの日――お力が死んだという日の夕暮れどきに、お寺の山の中で、二人が立ち話をしていたという、確かなしょうにんも居るそうでございます。男の方は言うまでもありませんが、女の方もまんざらではなかったのでございましょう。昔に惚れ込んでいた男の願いだったのか、それとも、最後の頼みであったのかはわからないにしろ、惚れた弱みにでもつけ込まれたのであれば、いられたうえで、男のやり方に付き合ったのでありましょうよ。それくらいにはまだ、だんじょじょうが残っておったのやもしれません」

「ふむ、それもいちある。女達にはさんりょうろんなお力も、しょせんは人の子だったか。義理にせまられて男を選ぶなんざ、涙が出るね」

 そう言ってをする男にさんどうする声がいくつか上がる中で、その話を鼻で笑う者がいた。

「なんの。男を騙してなんとも思わないあの女が、りなんかを知るものか。みんな良いように言っているが、あの女に人の心があったのかねえ。昔の男に命をけてまで義理をとおすくらいなら、どっかのえねえ男と所帯を持って、表向きだけでもけんじつに生きていただろうさ。そんなだからみんな、あの女に騙されるんだ。ざまあねえなあ」と、襤褸ぼろを着た男が嫌味に笑う。

 不快そうに眉をひそめる者達など見向きもせずに、襤褸ぼろを着た男は葬列を見ながら、つまらなそうに舌打ちをした。

「ふんっ。の帰りに男とったのであれば、さすがのお力でも、振り切って逃げることはできなかっただろうさ。けいそうで、どうまで抱え持っていたのであれば、なおのことだ。昔の男とはいえ、客の一人であることに変わりはないのだから、一緒に歩いて、話くらいはしていたんだろう。仕事には、熱心な女だったからな」

「それは、そうだったなあ……」

 男の話にうなずいた者は、ゆのがえりの妻の姿を思い出して納得する。

 襤褸ぼろを着た男は遠くの駕籠を見ながら、冷めた声で話を続ける。

「噂では、お力が斬られたのはうし。その傷が、最も深かったのであろう。それ以外にも、頬の辺りにかすり傷があり、くびすじにはきずなど、傷と呼べるものは身体からだじゅうに、数え切れないほどあったらしいぞ。傷の種類はちがえど、そのどれもが後ろからの傷であるそうだから、まず間違いなく、逃げるところをやられたのは確実だ。周辺にも血が飛んでいたらしいから、逃げながら斬られ続け、最後にりでもされてぜつめいしたんだろう。肩から腰にかけて、バッサリだったそうだ」

「よく知ってるな。人の死に方なんか」

「まあな。そういった話に詳しい奴が、あくゆうみてえなのにいるのよ」

 そう言って襤褸を着た男は、ひげだらけの口元でニンマリと笑う。

 お力の死に方については、新開のみならず、ほうぼうに噂が広まっている。

 背後から背中を斜めに斬られ、頬や腕などにはかすり傷、首の後ろには刃物で突かれてできた傷などがあり、発見された彼女の姿は、目をそむけたくなるほどそうぜつなものだったそうだ。

 遺体を見つけた者の話だと、現場はさんの一言に尽きるもので、警察の話では、お力の傷は全て刃物によるものだという。

 犯人――源七による、男女関係がこじれた結果のしんじゅうであると決めつけられているそうだ。

 詳しいことは調査中らしいが、新開の人間がとうな立場の人間に殺されることは珍しくなく、その逆もまたしかりであるため、これ以上のそうされないだろう。

 遠ざかっていく葬列を見ながら、襤褸を着た男はまた笑う。

「お力のざまについては、長く語れるほどのだんはねえな。それにえ、男の方は、ここ最近ではめっにお目にかかれねえほどの、ごとせっぷくだったそうだ。布団屋のボンボンだった頃から、それほどいさぎよい男だとは思わなかったが、あれこそがばな。昔の武士みてえに、めいある死ってやつなんだろうなあ。ただのみっともねえぐるまきが、それくらい偉そうに見えたって言うんだから、相当ご立派な姿だったんだろうよ」

「そうだなあ。俺達も話に聞いただけだが、かなりいさぎよい切腹だったそうだから、警察にいるぞくの奴らが珍しくかんしんしていたと聞いたぞ」

「俺もそう聞いている。ためいのない切り方で、警察のけんも驚いていたと言っていた」

 襤褸を着た男の話を聞いていた者達が同意してうなずくと、「俺もそう聞いた」と、続けて話に混ざる者がいた。

 まだ若いが、ずいぶんと身なりの整った青年で、女性達が「どこのぼっちゃんだ?」と噂をし始める。

 坊っちゃんと呼ばれた青年は、「お力のことは知っていたが、切腹するほどの男に惚れられていたというのに、なぜ振り向かなかったのだ?」と、不思議そうに首を傾げたので、黙って話を聞くだけだった子連れの女が、彼を鼻で笑った。

「立派なあいだがらじゃないからですよ、坊っちゃん。あんたみたいに、好き勝手に恋愛ができる立場ならば、愛人でも何でも、義理を通せますけどねえ。たかが元とんぜいが、売れっ子のげいやら何やらと付き合ったところで、金をしぼられて終わりってもんでさ。男が本気だろうが、女が本気だろうが、妻子持ちの男としょうばいおんなが夫婦になろうなんざ、おてんとうさまが許してくれません。それに、あの二人はすでに終わっていたようですし、源七の方がしゅうちゃくしていただけのようですから、無理心中というのも、成るように成った――といったところでございましょう。意外なものでもありませんよ」

「……そんなものか?」

「そんなものでごぜえます」

 なまった口調で説明する子連れの女に、坊ちゃんは驚いて聞き返したが、彼女はまたも鼻で笑いながら、小さくうなずく。

 この坊ちゃん。

 どこぞの有名な遊郭にでも行けば、高い金で良い女を買えるような男なのだろうが、けんれしていないのが見てわかるほどに、心はまだ幼いようだ。

 見た目だけは青年の彼に、子連れの女は、我が子の頭を撫でながら、笑うしかなかった。

 源七よりもずっと、女に搾り取られて捨てられそうなふうぼうの男だが、それなりの知識はあるのだろう。

「女とは恐ろしいな」と呟くように言ったので、子連れの女は我が子を抱きしめながら、「だからこそ、誰も幸せになれなかったのでしょうね」とだけ返した。

 じゃに腕の中ではしゃぐ我が子を抱いて、足早にその場を去った女の後には、数人の若者が入り込んできたのだが、話したがりらしい男は笑いながら、人のいなくなった『菊の井』の方を見て、勝手に話し始める。

「何にしろ、『菊の井』はおおぞんであろう。あの子には結構な旦那が付いたはずだから、お力が亡き今、その旦那を繋ぎ止めるものは、何もないだろうからな。せっかくのかねづるだ。取り逃しては残念であろうに」

 残念、残念と言ってニヤニヤ笑う男の前に、どこからか人が現れる。



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