第四十三話
そんなお力の様子に、結城は、
お力に合わせて少しずつ酒を口にするだけで、彼女が話し始めるのを静かに待っているだけだ。
ここで
そうこうしているうちに、お力は落ち着きを取り戻せたのだろう。
酒を飲む手を止め、持ったままの
そうして、フッと小さく笑って下を向くと、
「……何より先に、私という人物の
うつむいたまま、彼女は
「口では『かわいそうに』と
「……それは、自分よりも立場が下だからか?」
お力はニコリと笑い、「そうですが、そうではありません」と返す。
「客達が望むのは、『かわいそうで
「皆が皆ではありませんが……」と、お力は続ける。
結城は、「遊郭でもあるまいし、遊ぶだけが目的ならば、なぜここに来るのだ」と言うので、お力は、「
「
大湯呑みに酒を
これまでのように会話を流すことはなく、
それと同じくらい、自分の心を
彼女は、なみなみと注いだ酒を飲みながら、「女を大事に思う男もいます。私はそういった人との
唇の
「こう見えても、時々は、普通の人達と同じことを思って、他人の目を気にしますし、あれこれと行動することだってあります。恥ずかしいことや、つらい事情などない恥知らずだと思われても、いっそのこと、
結城の肩が、わずかに動いた。
「それかと言って、客として店に来るほどのお人に
――まあ、
それに気づかないお力は、「結婚していただけたら嬉しいのか、夫婦として
再び唇を
「そもそもの初めから、私は貴方のことが、好きで、好きで、仕方がありませんでした。雨が降りしきっていたあの日。店の敷居の向こう側に、貴方の横顔を見たその時から、一日でもお会いできなければ、恋しくてたまらなくなるくらいなのでございますけれど、奥様にしてやると言われたら……どうなのでございましょうね……。『貴方の奥様になるのは嫌だ』、『それ以外の関係ならば恋しくてたまらない』などと、一度に言われたら、どっちつかずの
遠くを見て話す彼女は、酔っているのかいないのか、それすらもわからないほどに、遠い目になっていた。
結城のことなど見えているのかいないのか、それすらも判断できないほど、何かを見つめる彼女の姿に、話を聞くだけの彼は何も言えなかった。
お力は、大きな
「……ああ、こんな
質問されたお力はこぼした涙をそのままに、湿らせた唇を薄く開けた。
「……私の親父は職人で、ジジイ……いえ、
四角い文字というのは、
お力がそれなりに、文字の読み書きができることは知っていたのだが、祖父が文字を読めた人なのであれば、彼女の父親もそうなのだろう。
そう考えながら続きを聞こうと、姿勢良く伸ばしていた背中をわざと丸めた結城の様子に、お力はクスリと笑った。
「……祖父は、貴方のようなお
結城に視線を向けたお力は、口元に笑みを貼り付けたまま、「そもそも」と続ける。
「祖父は、十六歳の頃から何か思うことがあり、
――少し、疲れたのだろう。
お力はフウと息を吐き出し、酒のおかわりを頼むために、
そうして、「お銚子を追加でお願いね」と言うと、すぐ下からしゃがれた声が聞こえた。
下はまだ騒がしいが、例の客は帰ったようで、お力の声に怒鳴り声を上げる者はいない。
しゃがれた声の老女が一人、店先で
結城は、お猪口に残っていた酒を
自身も壁を見つめ、酒が来るまで別のことを考えようと、意識を遠くに離した。
――そういえば、お力の祖父が生きた時代は、全ての
当時の
これは、
楷書体だけしか読めない者でも読みやすい文字で、古い冊子や
幕府の時代では、
一般の人は、冊子などの崩し字を、絵のように見て覚えていたらしく、
僕も崩し字を読もうとしたことはあるのだが、人の
親が
場合によっては、崩し字で書かされることもあるため、仕事の同僚が、「読み書きに時間がかかって面倒だ」と、ため息
「こんな時にまで、仕事のことか……」と、結城が苦笑いを浮かべるが、そのうちに追加の酒が運び込まれる。
お力はそれに満足したのか、笑みを浮かべながら、続きを話し始めた。
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