第四十一話
そうして、二人揃って店へと戻ってくる少し前。
お力の消えた大広間は、
「なんだ、あの女は。この俺が
お力に逃げられた男が
別の男が、「あれがお
「おい、女」
先ほど声をかけられた給仕の女が振り返ると、男は
そうして
騒ぎを聞きつけた女主人が部屋に入れば、男は仲間達から
やれ、「女が調子に乗るな」だの、やれ、「
何があったのかと、女主人が近くに座るお高に聞けば、「力ちゃんがどこかへ行ってしまったんだ」と、
お力が店を飛び出していく姿を女主人は見ていたため、客とお力のどちらに
あの客の暴言にヘソでも曲げたのかと思った女主人は、「お力が帰ってきたら、すぐに
残されたお高は、同じく
お力のことだから、そのうち戻ってくるだろうと、暴れる男の世話を彼の仲間達に任せ、客も女達も、それぞれが
そんな周囲の様子に、男の機嫌はさらに悪くなってしまった。
見かねた数人の女が男の相手をしようとするが、「お力を出せ!」と、銚子やお
そんなことを数回も繰り返せば、彼のいる席だけが、不気味なほど静かになってしまっていた。
そうやって大広間の騒ぎを聞いていた女主人の前に、お力がひょっこり「戻りました」と帰ってきたのだ。
「おや、お帰りか」
怒るわけでもなく、あっさりと出迎えた女主人の声に
「客を置き去りにして、
狭い店だからか、
自分を置いて宴をほっぽり出した
たまに「まあまあ」と、誰かが
自分を
「お力。あんた、あの客はどうするんだい?」
帳場で
「今夜も頭痛がするので、お酒の相手はできません。あんな大勢の中に一人でいればお酒の香りに酔ってしまって、お客様の相手よりも、酒を飲むことに夢中になってしまうかもしれませんから、少し休みます。その
そこで結城が「待て、お力」と止めるので、階段の真ん中に足をかけたまま振り返れば、真剣な顔の彼が「それでいいのか?」と尋ねてくる。
「こんなことをして、客が
心配する結城が足を止めたので、女主人が腰を浮かせ、彼の
「それはそうですが……」と、
「少しばかりだが、私からの
そう言って女主人にお
そして近くにいる
相も変わらず
「なんの。お
いつも以上に強い口調でそう言ったお力は、結城が何か言う前に
そのまま二階へ上がってしまった彼女を追いかけ、結城も座敷へ入ると、彼女はすでにくつろいでいて、いつもよりだらしない。
彼女が力なく柱に寄りかかっているのを見ながら、自分も座ると、様子をうかがうように
――今日の彼女は、どこかおかしい。
どこか
普段は背を向けたりなどしないのに、今夜の彼女は結城が見えていないのか、窓の外を見たり天井を見上げたりと
それでも、しばらくすると正気に戻ったのか、あらかじめ敷かれていた座布団の上に座り直し、澄まし顔で姿勢を正す。
しかし、お銚子の
「今夜は私に、少しだけ面白くないことがありました。いつもと違い、別のことに気が向いておりますので、あなたの
そう話したところで、襖越しに、「お酒の用意ができました」と声がかかる。
お力は何も言わずに襖を開けると、小女に礼も言わず、お盆を引ったくるように受け取った。
小女は驚いた顔をしていたが、彼女もお力の様子がおかしいことに気がついているのだろう。
小声で「飲み過ぎないようにね」と言い、静かに、騒がしい一階へと戻っていった。
「さあ、来ましたよ。飲みましょうか」
大きめのお盆には、お銚子が七、八本。
結城用のお猪口が一つと、お力用の大きな湯呑みが一緒に載っている。
結城へお猪口を渡し、自分も
「君が酔ったところを、これまで一度も見たことがない。それで気持ちが変わるのならば飲んでもいいが、また頭痛が始まったりはしないのか?」
「ええ、大丈夫ですよ。これが私の薬ですから」
お銚子を指で持って振りながら、彼女は綺麗に笑った。
飲み過ぎだと怒ったことはあるが、あの時は彼女の立場と
それからも酒は増える一方で、口に出さずとも心配はしていたのだが、今日の彼女は何かが
「何がそんなに
いつも以上に気を遣ってか、結城はお力に優しく接する。
同等のように扱ってくれる数少ない人ではあるのだが、今夜はお力のことを、先輩か上司か、あるいはそれ以上に大切に思ってくれていると、
どうしても理由が知りたいと、何度も何度も気を遣いながら話しかけては、鋭く問いかけてくるので、お力は「ご心配なさらずに」と、あっさり答えるだけだ。
「貴方には聞いていただきたいのでございます。いえ、貴方だからこそ、聞いていただきたいのかもしれません。今夜は酔うと
美しく、
そうして何も言えなくなった結城を置き去りに、お盆を
そうしてなみなみと注いだ酒を、息もつかせぬ勢いで
誰かに操られているかのように、
それでもまだ、中身の残るお銚子を持ち上げる。
そして、結城へ向けて
「――さあ、今夜は飲み明かしましょうか」
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