第二十三話
「そう言うな。僕だって、お前のことをもっと知りたいんだ」
それでも諦めようとしない結城に、とうとう彼女は、わかりやすく息を吐き出した。
「……お
呆れたようなため息に怒ることはなく、お力の固い声に表情を引き締めた結城は、太腿に片腕を置いたまま、真っ直ぐにお力を見つめている。
お力の方も、これ以上黙ってはおけないと視線を横目にとらえつつ、譲ることを知らないその目に向かって、静かに語り始めた。
「貴方を相手に、このまま秘密を胸に持っていたところで、いずれ誰かが教えてしまうことでしょう。そうなっては困るので、今ここで私の口からお話しいたします。これまで人を使って私を呼び出そうとしていたのは、この町内において少しだけですが、その名を知られた布団屋の息子です。名を
お力は息を止め、首を斜め下に動かす。
「彼は以前、私が仕事でお世話になっていた店の馴染みで、それはそれはとても良くしていただいておりました。貴方ほどではありませんが、
ぼんやりと畳を見つめる目は、虚ろながらも、見えない何かを見ているように鋭い。
その横顔を見ながら、
「……彼ほど、長い付き合いの馴染みはおりませんでしたが、今ではもう、かつての見る影もなく貧乏になってしまいましてね。八百屋の裏にある小さな家に、カタツムリのように家族で身を寄せ合い、ひっそりと暮らしているそうです。今でも時々は、かつてを知る人から話を聞くほどには顔を知られていますから、一目でわかる有様なのでございましょうね」
お力はフッと息を吐き、畳に片手をついて立ち上がると、
結城はその姿を見つめながら、お力の方に身体を向け、「それでどうした」と、話の続きを
「……あの人には女房も子供もおりましてね。私のような女に、気軽に会いに来れるような歳ではないのですが、かろうじて
困ったお人なのですよ、と彼女は苦く笑った。
「
そう言って、手にした
表を見下ろすその姿に、結城は「なんだ、そこから姿が見えるのか」と言い、お力を
さすがに怒りそうだとは思ったが、お力はたいして気にした様子もなく、「ああ、すでに帰ったと思われますよ」と、
「どうやら、見るのが遅かったようですね。もう少し早ければ、貴方様にもお見せできましたのに」
にっこりと微笑む顔に怒りはなく、そらす横顔にも寂しさはない。
だが、それからもぼんやりと気の抜けた様子で外を見るので、「持病というのはそれか?」と結城が尋ねれば、彼女は痛いところを突かれたとばかりに肩を揺らした。
しかし視線は外に向けたまま、結城を見向きもしない。
そんな無作法を
「この病は治りませんし、治せません。それがどんなに腕の良いお医者様でも、
続けてそう言った彼女が、寂しさを滲ませるように笑っているので、結城は「そうか」とだけ答え、「ならば、
「お前にそのような顔をさせるのならば、一度お目にかかってみたいものだ。役者で言ったら誰に似ている? 舞台俳優でもいいぞ」
「そんな立派な方と比べてしまったら、お会いした時にびっくりなさいますよ。それこそ、肌の色なんて日焼けで真っ黒ですし、背が高いので
「そうか……。ならば、男らしい性格か、
続けてそう聞くので、「まさか」とお力は笑う。
「女が身を売るようなこんな店で、家の財産も妻の
笑いながらそう答えたお力に、結城の方がつまらない顔をする。
「そんな何もないという男に、どうしてお前は惚れた?」
お力の笑顔が固まる。
「今までお前がした話は、誰でも知っていそうなものだった。だが、お前のように賢い女がなぜ、例のあの人に惚れたのかについては、全てを知る者がいないのだろう? 僕にだけ、話してはくれないか」
真面目な顔で結城は言う。
いつもの姿で見つめられたお力は、視線をそらすようにうつむくが、すぐに普段通りの笑みを浮かべて、襟を直し始めた。
「……そもそも私は、惚れっぽいのでございましょう。貴方の事だって、この頃は夢に見ない夜はございませんもの。それこそ、突然ご結婚されて、奥様を迎えられたところを見たり、ぴたりとお越しにならなくなったところを見たりと、まだまだもっと、胸が痛いくらいに悲しい夢を見ては、枕に
そう言って結城を見るお力の目は、挑んでいるようにも見えるが、悲しげにも見える。
「……どうすればいいのか悩んでも、どうすることもできないので、もう自分で自分を放っておいていますの。人前では
「それは、嘘で……というわけか?」
結城が初めて口を開いたので、お力は困った顔をしながら、「はっきりとおっしゃいますのね」と、また笑う。
「そうした振る舞いを続けておりますと、『菊の井』のお力はどこまでもだらしのない女だ、苦労というものを何ひとつ知らない恵まれたお嬢様だ、などと言うお客様もおりますの。本当に、これが
クッと、笑ったのかと思ったが、結城の目には、普段と変わらぬお力の横顔に見えた。
「どれほど心無いことを言われようとも、私は、そう思うのです」
そのままうつむいてしまったのでよく見えなかったが、涙で濡れているような声色だ。
叫び出したいような思いを
「……お前にしては、珍しいことだな。こんなにも暗い話を、僕の方が静かに聞かせられるなど、本当に珍しいことだ。しかし、お前のことを慰めたくとも、何があってどうなったのかという
お力はうつむいたまま、潤む目を大きく見開く。
噛み締める唇が色を失くす感覚に、肩の力が抜けていくのがわかった。
しかし、それも結城には気づかれず、話はどんどんと続いていく。
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