第二十二話


「たとえ作り話であったにしろ、こういう状況や立場での不幸だとかを、たいていのひとは身の上話として客に言わなければならないはずだ。それに僕は、一度や二度会っただけの顔見知りなどではない。お前の仕事についての話くらいならば、愚痴の一つとして親身に聞いてやれる。僕にだけは話してくれても差し支えはないだろう」

 優しい声色で言う結城は、本気でそう言っているのだろう。

 普通ならば暗黙の了解として、女の口から話されない限り、過去の話や出自などを男側から聞くことは出来ないのだから。

 彼の言う「当然」は、女側が同情を求めて話すことであり、商売のための武器にしない「本音」の部分だ。

 こういった仕事をする女であれば、客の同情を買うために嘘の経歴をでっち上げることは多いが、彼はその区別がついていないのだろう。

 誰に聞いたのかどこで知ったのかはわからないが、頭でっかちの考えで、そう言っていることは明白だ。

 お力は冷めていく頭で、真剣な表情をする結城と目を合わせる。

 すると彼は何を勘違いしたのか、さらに優しい声色で強気に言う。

「さあ、今までは口に出して言えなかったのだろうが、お前にだって吐き出したい事の一つや二つあることは、目の不自由なあんに頼まずとも知れたこと。世間話のついでに体をほぐすのと同じことだ。それを聞くのだから、何も恥ずかしがることはないだろう」

 真っ直ぐな目でそう言い切った結城に、お力は返す言葉が見つからない。

 結城も誤魔化させる気はないらしく、いつもの優しい雰囲気を消し、強い視線で彼女を捕らえる。

 そうして、「それこそを聞きたいのだ」と話を続けるのだ。

(――ひどい男。なんてひどい男なのだろう)

 お力は心の中で叫ぶ。

(何度断ろうとも誤魔化そうとも、決して自分の気持ちをんでくれない男相手に、女がどれほど声をあげて泣きたいと思うのか、この世間知らずには分からないのでしょうね)

 ただの男と女であれば、喧嘩になろうとも本音をぶつけられた。

 恋人として付き合っているのならば、愚痴の一つや二つ、嫌になるほど好きなだけ聞かせられた。

 こんな関係でなければ、こんな立場でなければと、何度心の中で叫んだか。

 しかし、それは出来なかった。

 今の立場で本音を話してしまえば、それは愚痴ではなく、ただの弱音になってしまうからだ。

 誰かが憎い、誰かが嫌い、あの人に会いたい、あの人と話がしたい。

 そんなことを、一言でも口に出して言ってみろ。

 今に自分は底の底へと落ちて、今度こそ這い上がれない深みへまってしまうだろう。

 あの人のことをどう思うか?

 これまでの人生を教えろ?

 そんなことを一度でもしてみろ。

(私は、お前に殺されるのだ)

 真っ直ぐな男の目に、これほど苛立つ日が来ようとは、それこそ夢にも思わなかった。

 投げつけたい言葉が喉元まで出かかっては、酒の味と共に飲み込まれていく。

 結城のことは好きだし、客としても好ましい。

 だがダメだ。

 遊び人と呼ぶには真面目すぎるし、どうらくものと言うには真っ直ぐすぎる。

 これさえなければ、お力だっていつも通り遊べた。

 それこそ、彼の望む通りのことをして、つかの『恋人』として楽しい時間を過ごせただろう。

 しかし、結城は違う。

 いつだってお力の気持ちなど考えずに、自分の好奇心を優先してくるのだ。

 これさえなければと、何度、彼のしょうぶんを呪ったことか。

(本当に、これさえなければ……)

 唇を噛み締め、あふしそうな気持ちをこらえつつ、どうにか声を出さないようにする。

 それを我慢していると勘違いしたのか、結城はさらに話を続けてきた。

「いずれにしても、聞くことに変わりはないのだから、お前のその持病とやらを先に聞きたい。さあ、話してみろ」

 そう言って再び、真っ直ぐに自分を見る目の前の男に対して、彼女はもはや、何も言い返せなかった。

 口を開けば暴言を吐きそうだし、かといって、このまま黙り込むわけにもいかない。

 警察のようなやり方で、無粋に人の過去をり聞いてくる男の相手は初めてだったが、それでもお力はお力だ。

 こんなところであっさりと、堅い口をほころばせるような女ではなかった。

 着物のすそをきつく握り締めていた指で、乱れかけた襟をそっとなぞる。

 ゆっくりと襟の内側へと指を差し入れ、親指と人差し指の先で、肌にかかるじゅばんを軽く手直しすると、流れるような視線を結城へと向けていく。

 視線が合うなり、にっこりと微笑めば、お力はお力へと戻っていった。

「おしなさいまし。私のことなどお聞きになっても、つまらぬことでございます」

 言い聞かせるように優しく言うと、彼女はもう、その話題について話を合わせてくれることはなかった。

 何度聞いても同じことで、まったく取り合おうともしない彼女相手に、結城が別の話題で話を戻そうと考え始めたちょうどその時。

 騒がしい大広間から女が一人、お力に話があると上がってきた。

 手には料理が盛り付けられたうつわの他に、酒を入れたお銚子と追加のさかずきがいくつか。

 それらを運んできた女が、「ごめんなさいね」と一声かけて襖を開けると、お力を呼んで何やら耳打ちをする。

 コソコソと、二人だけが聞こえる小さな声で話すため、結城のところまで話は聞こえてこないが、こちらを向きながら話を聞くお力の表情を見るに、例の男に関することなのだろう。

 女は慌てた様子でお力に何か呟くと、「とにかくさ、下まで来ておくれよ」と、結城にも聞こえるように言う。

 女は結城がいることを知っているが、よほどのことがあるのか、お力が何を言っても譲らない。

「いいや、行きたくないから断っておくれ」

「そうはいかないんだよ。急ぎなんだから、ほら早く」

 女がかすようにお力の腕を取ろうとしたが、それを軽く交わして、「無理だよ」と彼女は断る。

「今夜はお客がたいへんに酔ってしまいましたから、お会いしたとしても、まともにお話はできませんと言って、きちんと断っておくれ。ああ、本当に困った人だね」

 そう言って眉を寄せるお力に、「お前、それでもいいのかい。ねえ」と女が聞く。

「はあ。それでいいのさ」

 興味がないとばかりに、膝の上に置いていた三味線のばちを手に持って遊び出すと、女は不思議そうに首を傾げながら、それでも納得できないと言いたげな顔で立ち上がり出ていくのを、結城は耳を澄まして聞いていた。

 視線を向けず、興味のないふりをしていたが、女が出ていくと笑い出した。

「僕に遠慮する必要はない。会ってきたらいいではないか」

「それこそ必要ありません。お気遣いなさらず」

 素っ気なく返すお力だが、撥で遊ぶ指が震えているように見える。

「何もそんなに、ていさいつくろう必要はないだろう。気にしなければ良いではないか。君の可愛い人を顔も見せずにそのまま帰すというのも、残酷なことだろう。今すぐにでも追いかけて、二人きりで会うといい。何なら、ここへでも招き給え。僕は気にしないから」

 そう言う結城に、お力は「冗談が過ぎますよ」と怒ったように答えるが、表情に迷いが見えた。

 嬉しいのか戸惑っているのか、どちらともつかない顔を背けるが、結城は笑う。

「僕は部屋の隅っこに移動して、君達の邪魔にならないよう静かにしていよう。けして二人の会話や行動に関わらないから、どうだ?」

 本気で言っているのかと、お力は表情をこわばらせた。

 視線を結城に向けるが、彼は笑うだけだ。

 他の客よりもりが良く、お力のことを大事にしてくれてはいるが、お力の馴染みについてはなぜか無理に関わろうとしてくる。

 この間も、別の馴染みがたまたま会いにきたのだけれど、その日は結城がいたから断ったというのに、彼は「呼べばいいじゃないか」と、何でもないように言ってきたのだ。

 嫉妬してほしいわけではないが、こうも何でもないように、「僕は気にしないから」と言われると、何かあるのではないかと不安に思ってしまう。

 彼なりにお力を大事にしてくれているのか、それとも嫉妬の裏返しなのか。

 さすがのお力にも、この時ばかりは彼の考えがわからなかった。

 だからこそ、結城への態度と返答を間違うわけにはいかず、お力は唇を噛み締めて、大きく息を吐き出す真似をすると、「私が気にします」と唇を尖らせる。

 そうして、「そんなに他の男と居るところが見たいのであればどうぞ、そういった店へ移ってくださいませ」とねてみせた。



 

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