第十五話


「日が真上に来ない時間から女遊びとは、ゆうなものですねえ」

 そう言ってにっこりと笑ったお力は、不機嫌さと寝不足が目に見えるほどの様子だが、その美貌は衰えておらず、えとするほどだ。

「今日は仕事が休みなんだ。女を買いにきたわけではないから誤解しないでくれ」

 男も負けず劣らずの笑みを浮かべて答えると、茶を一息に飲み干して立ち上がる。

 に立つ男よりお力の方が背が高くなるため、見下ろす形となっている男の頭に、大きなため息を吐きたくなった。が、相手は客だ。

 非常識というか、普通はしゅうがあって来られない時間帯に、わるびれもなく堂々と店に来た男に呆れる気持ちもあるが、そのまま名指しで自分を指名してきた男のいさぎよさに、感心する気持ちが生まれ始めていた。

 どちらの気持ちにせよ、客に対して本音を表立たせてはいけないため、出そうになったため息は飲み込めたが、不機嫌な気持ちだけは隠しきれない。

 今日は馴染みの客と約束があるため、いつもより時間に余裕があった。

 目の前の男ほどではないが上客の一人で、二、三日は働かなくても済むくらいには稼げる相手だ。

 最近は働き詰めだったから、今日の稼ぎでしばらく余裕を持とうと思っていたというのに、それを台無しにされてしまったことで、この間の御祝儀を忘れて怒りが湧いてきそうだ。

 それでも怒れなかったのは、男が本気で何かを期待している顔を向けてきたからかもしれないと、お力は後で思い返すことになる。

「お力。出かけるぞ」

 やまたかぼうを手に、笑顔でそう言った男は、おりを風に揺らしながら外へと出て行ってしまった。

 追いかけるかどうかと迷う前に、女主人から「早く追いかけな」とかされたため、彼女は身だしなみを直す暇もなく敷居をまたいだ。

 外はまぶしく、久しぶりの外出には不向きな快晴だった。

 昼間はほとんど人通りのないこの通りでは、知り合いにすれ違うことがほとんどないため、今の彼女の姿をとがめる人はいないだろう。

 お力も疲れと寝不足で頭が回らないため、肌けた胸元をそのままに、少し前を歩く男についていくだけだ。

 男の方はお力の格好に気づいているようだが、何も言わず黙っているため、なんとも奇妙な二人に見えるかもしれない。

 しばらくは黙ってついていくだけだったお力だったが、さすがに行き先を知らないのは嫌なので、振り向きもしない男の背中に「どこへ行くんですか」と尋ねる。

 男は立ち止まるそぶりを見せるも、足を止めることはなく、「約束を果たしてもらうだけだ」とだけ答えた。

 何のことだかとお力は首を傾げるが、男が足を止めた場所を見上げてようやく思い出した。

『写真』

 黒ずむ大きな木の板に、それだけ書かれた店の前で、男は「入ろう」と言う。

 お力にしてみれば、その場限りの口約束のつもりであって、本気にしていたわけではない。

 この男が店までもう一度来てくれるとは思っていなかったからこその、一時的な愛想言葉だっただけだ。

 金のある男だったので、稼げるだけ稼ごうと派手にやってしまったが、まさか本当に来るとは思ってもいなかった。

 そのためお力は、店の前で驚きのあまり固まってしまった。

「おい、早く入れ。店主が待ってるぞ」

「……今行きます」

 男が引き戸を開けて急かすため、お力はしぶしぶ中へ入る。

 店の中は撮影しやすいようにと物が少ないものの、光の調整がしやすいようにと窓が小さいため薄暗い。

 店の仲間に誘われて何度か来たことはあったが、どうも写真を撮られるのが苦手なため、あまりこの場所には来たいと思えなかった。

「今日はどういった写真を?」

 五十くらいの店主が尋ねると、男は「二人で撮ってもらいたい」と答えたので、店主は「椅子をご用意いたしましょう」と奥へ引っ込んだ。

 すぐに革張りの良い椅子が撮影場所に置かれ、店主は二人を呼んでお力を座らせる。

 並ぶように二人を配置すると、黒い布に覆われたカメラのレンズを出し、「いいと言うまで動かないでくださいね」と声をかけてカメラの後ろへ回った。

 そうして布を頭からかぶった店主は、二人の撮影を始める。

 お力が写真撮影を苦手とする理由の一つがこれで、撮影時間が異常に長いことだ。

 写真を専用の板に焼き付けるように写すために、どうしても長い時間を要するとかで、人に見られながらじっとしているのが苦手なお力は嫌で仕方なかった。

 立ったままの男は慣れているのか気にならないのか、澄ました顔でじっとし、何も言わない。

 二人揃って沈黙したまま「はい、いいですよ」という店主の声がかかるまで、二人は静かにカメラのレンズを見つめ続けた。

 声も音も聞こえない時間が珍しかったからかもしれない。

 お力はこわった体をほぐすように大きく息を吐き出し、ようやく肩の力を抜く。

 男も立ったまま動けなかったためか、体のあちこちを軽く動かしながら深呼吸をした。

「……お前、手を隠していたのか」

 撮影に臨みながら何かが引っかかっていた男は、そこでようやく彼女が手を隠していることに気がついたのだ。

「ええ、人に見せられるほど綺麗ではありませんからね」

 にっこりと笑って袖の仲から手を出す彼女に、男は意地の悪い笑みを浮かべて「そうか」と言う。

「てっきり、手を出して写真を撮ると魂を抜かれると思っていたからだと思ったが、どうやら違ったようだな」

 すると先に歩き出したお力が勢いよく振り返り、驚いた顔を男へ見せた。

「知ってたんですか?」

「まあ、一応な。最近じゃあ見かけないが、たまにやる女がいるものだから、流れで知っただけだ」

 お力を笑うわけではないが、迷信を信じるような女ではないと勝手に決めつけていたのかもしれない。

 彼女には、自分がされたように人への興味を無くす瞬間があるため、意外だなと思っただけのことだった。

 写真がこの国に来て数十年。

 それまでは地位や立場のある人を中心に、身分制度の上位者などでしか使用されなかった写真は、技術向上と国内生産が可能となったことで、一般市民にも使われるようになっていった。

 写真撮影が一般的になると、自分や他人の姿を寸分の狂いなく写し出す道具に驚き、恐怖する人が現れ、いつしか「写真を撮ると魂を抜かれる」という噂が広まるようになった。

 それでも人の好奇心というのは留まることを知らず、今度は魂を抜かれないようにと、いつしか「手を隠して撮ると大丈夫だ」という噂が広まるようになったのだ。

 男はたまたま人から聞いただけで、そんな迷信を信じる人が周りにいなかったこともあり、ただの噂だと気にも留めていなかったが、お力がそれをするとは考えてもいなかった。

(噂や迷信を信じずに、馬鹿らしいといっしゅうする女だと思っていたが、これはこれで面白いことが知れたな)

 特に恥ずかしがることはないものの、どこか気まずそうにするお力を見ながらそう考えた男は、写真の現像にかかる日数を聞いて支払いを済ませると、うつむくお力を連れて外へと出た。

 

 

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る