第三章

第十四話


 ご祝儀騒動から数日。

 土曜日の朝におりきは、再びひまを持て余していた。

 清々しい日の出を見たのは数時間前だが、仕事終わりの彼女は半分寝ているような状態だ。

 客を相手にできた女は寝ていて、仕事がなかった女は起きて客引きの準備を始めているが、普段から夜に仕事をする彼女達の顔は、寝不足と酒の飲み過ぎでひどいものだ。

 そんな中でも変わらないお力はと言えば、眠るには中途半端だからと準備部屋に来ていて、いつ起きても大丈夫なようにとここで横になっていた。

「力ちゃん、踏むよ」

 おたかの声に目を開ければ、仕事終わりの彼女が自分を見下ろしている。

「今まで仕事だったのかい」

「まあね。久しぶりの客だったから、ギリギリまでねばられたよ」

 顔を洗ってきたお高が横に座り、お力が小さくくびをすれば、同じく眠たそうな女達に伝わって欠伸の連鎖が起きた。

 お高は「罪な女だね」と笑うが、誰かがやらかしてしまうことなので気にしない。

「今日はいい天気だよ。久しぶりのおてんとうさまだ」

「それなら今日は客が来そうだ。馴染みの誰かが来てもいいけれど、たまには新しい客を引き入れたいものだね」

 外に出たらしいお高の言葉に、お力は眠そうに返事をする。

 最近は馴染みの客が続いているためか、あれこれと気を回すことが多くて疲れているようだ。

 お高は客が途切れないのが嬉しいらしく、二人は珍しく昼前から、なんてことない会話で盛り上がっていた。

 そんな時だ。

 いつもは物静かな女が、珍しく慌てた顔で準備部屋に入ってきたのは。

「どうしたの」

 お高が目を丸めて驚くが、女の視線は寝転がったままのお力に向いている。

 お力が「何か用?」と尋ねると、女は頷きながら「おおりだよ」と膝をついた。

「この間うちの店に来た男を覚えているかい?」

「どの客のことさ。あいにく名前がないんなら、誰が誰だかわからないよ」

 女に聞くと、彼女は「私も知らないよ」と慌てた様子で胸に手を当てる。

「この間、店にご祝儀を置いていった客だよ。ほら、あんたのことを気に入ったらしい、やまたかぼうのいい男さ」

 その言葉に、眠そうな女達の目が一斉に見開かれた。

「……ああ、あの客か」

 お力は変わらない態度で思い出すが、寝転がったまま動こうとしない。

 お高は「いい加減起きなよ」と声をかけるが、お力は客の男に興味がないのか、なまくびで面倒そうに女を見上げた。

「悪いけど、こんな時間に来る男は客じゃないよ。太陽だって真上に来ていない時間なんだからね。また改めて来てもらっておくれ」

 お力は男を責めるように非常識だ、迷惑だと続けるが、女は譲らない。

「何を言ってるんだい、まったく。ほら、早く起きな。せっかくの上客なんだから、しっかりと相手してきなよ」

 そでごと腕を引っ張る女にこんけしたのか、それとも袖を引きちぎられてはまずいと思ったのか、お力は「わかった、わかったよ」と素早く起き上がって背中を伸ばした。

 部屋の隅では女達が集まって何かを話しているが、さほど広くない部屋では何を言っているのか丸わかりだ。

 お力は後ろを振り向きつつ、「またご祝儀が出るならいいね」と笑う。

 残された女達は、嵐のようにやって来て、台風のようにお力を部屋から出すことに成功した女へ詰め寄った。

 詰め寄られた女は興奮した様子で、「お力を指名してきたんだよ。これは脈ありだね」と話し、女達は「ありえるね。ってことは、上客がまた一人増えるよ」と盛り上がる。

 そんな彼女達を冷めた目で見るのはお高で、彼女は「あの人がいるのに」と呟いた。

 お高にしてみれば、お力がどんな客を相手にしようと、げんしちないがしろにしないのならいいと思っていた。

 同じ酌婦として仲良くなったお高とお力は、最初こそおしゃべりするほどの仲ではなかったが、源七がお力と『きく』に関わるようになってからは、少しずつ会話をすることが増えていた。

 人と話すことが多くないお高にとってお力は、こんな仕事をしていても下を向かず、男にびへつらうことはしない女として、尊敬と友情のようなものをいだける相手になっており、いつしか友人だと思えるようになっていた。

 源七のことは最初こそ「しつこい男だ」と思っていたが、互いに今も思い合っている姿を見てからは、密かに仲を取り持とうとお力を説得することがたびたびあった。

 お力はそのたびに「もう昔のことだよ」と笑うが、お高はその笑顔が嘘だと知っている。

 源七だって妻子がいるというのに、少ない金を持ってお力に会いに来るのだ。

 お力がどんな風に彼との関係をまとめるつもりかはわからない。

 自分が余計なお世話をしていることだって自覚している。

 それでもお高は、二人の結末を見届けなければ納得できない。

 昼間とは無縁の生活をし、男相手に媚びを売って、身一つで生きているお高にとって、お力と源七は恋の手本のようなものとなっていた。

 どんなに離れても離れきれない二人を見て、お高はいつだって二人を応援してきた。

 だからこそ怖いのだ。

 あんな短時間でお力と仲良くなったかんいんだというあの男が。

「……うさんくさ」

 お高の言葉は、誰にも聞かれることなくフッと消える。

 店の表がざわつく音が聞こえ出し、バタバタと走ってくる音と同時に「大変だよ!」と、興奮した様子の女達が部屋に駆け込んで来るまで、男に関する話にお高が参加することはなかった。

 そんな店の裏とは反対に、表では女主人が男を丁寧にもてなしていた。

 まだ昼にもならない時間帯では外も人通りがなく、太陽の明るさが街を照らして地面を輝かせている光景に、男は静かなあんかんを覚えた。

 面白い女がいると気まぐれで入ったこの店では、誰も彼もが下を向かずに働いているようで、それもこれも自分をもてなす女主人のしょうゆがんでいないからなのだろうと思う。

 女達に慕われるほどではないにしろ、嫌われることも恐れられることもない彼女は、突然入ってきた男に対して嫌な顔一つせずに茶を出し、店先で目当ての女を待たせてくれた。

 中に入れと言われるのかと思っていた男は拍子抜けしたものの、当初の予定に沿うならば、店先でお力を待っているのが一番良いので、そこは黙って受け入れた。

 変に媚を売られることもなく、静かにお力が来るのを待っていると、彼女は不機嫌そうな顔で男の前へと現れた。

 

 


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