第六話
そんなお
店一番の人気者で常連も多く、稼ぎも良いので女主人に気に入られている。
この店で一番若く、客を呼ぶ能力にも優れているのに、愛想のある嬉しがらせを言っては機嫌を取ることはなく、自分の勝手で好きなように振る舞ってばかり。
それを直接咎める人はいるけれど、たいていは本人のいないところ、聞いていない時にあれこれ言われていることが多い。
「人より顔や体が少しだけいいからって調子に乗ってるんだと思うと、その顔すら見たくないくらい憎らしいものだわ」と陰口を言う同輩もいれば、「親しくなってみると思いのほか優しいところがあって、同じ女であってもなんかこう、離れたくないというか、付き合いをやめてまで距離を置くのが惜しい気持ちになるんだよね」と言う人もいる。
そう言ってあの子の良いところが出てくると、「ああ、心なんてどうしようもないものさ。顔つきが何となく賢く見えてしまうのは、あの子本来の
私だってそう思ってしまうのは、あの子が人より優れているところがあると知っているからかもしれない。
けれど、それを簡単に認められないのは、同じ女であるからか、その
どちらにせよ、意地になっているだけなのかもしれないが、それくらい彼女は魅力的と言えるのだ。
そんなこんなで敵を作る子ではあるけれど、一方ではあの子を認めて褒めちぎる人がいる。
「誰であっても、新しく出来た場所へ来るほどの者で『菊の井』のお
「ああそうだ。『菊の井』にいるお力か、お力がいる『菊の井』か。そのどちらであっても、ここ数年、いや、ここ数十年においてはたいへん貴重な拾い物だ。あの娘のお陰で新しくできたここら一帯の店に希望が生まれ、やっていけるだけの力が揃ったんだからな。感謝しなけりゃバチが当たるってモンだよ」
その言葉通り、ここら辺の店や土地は、大通りや表通りに比べれば新しくできたものが多く、まだまだ整備されていないところも多い。
私が初めて来た頃に比べればマシになったけれど、
今でこそ名を変えて
歴史の違いで低く見られてしまい、新しい時代にはふさわしくないと馬鹿にされてきたけれど、お力が人気になればなるほど、この場所に格があるように思えてくるのだから不思議なものだ。
しかし言い換えれば、お力以外は大したことがないということになってしまうものの、彼女に比べれば容姿が劣るとはいえ、聞き上手な女や色気のある女だってたくさんいる。
パッとした美女がいないからこそ蔑まれているのだとすれば、なんてひどい扱いだと嘆く人もいるだろう。
けれど、そんなところはあちこちにあって、体を張って仕事をしている女がそれぞれの場所に存在するのは確かだ。
目当ての女ばかり追いかける男も馬鹿だが、見た目でしか判断できない奴も馬鹿だ。
お力を諦めて帰っていく男達の背中を見ながら、私は乾いた笑いが込み上げてきた。
いつの間にか月が昇り、火照っていた体が急に冷えてくる。
どうやら店も夜の時間に入るようで、近くの店から薄暗くなっていくのが見えると、私は店の敷居を跨いだ。
片付けに忙しい店先の人達には声をかけずに奥へ行く。
奥では食事する男達がいて、その近くには彼らの今夜の相手らしい女達が今か今かと待っている。
私に気づいた女が「今日はお茶挽きかい?」と笑うので、「あいにくね」と笑い返すと、嫌味な笑みを浮かべて「御愁傷様」と返された。
お力は二階に上がったようで、近くにいた女が「今頃楽しみ始めた頃だろうね」と笑った。
彼女の相手らしい男は「なんだ、ここにもいい女がいいるじゃねえか」と笑うが、私は「客以外は相手にしないので」と無愛想に返した。
これ以上ここにいる理由はないので店先に戻ると、竈の火を見るために雇われた四十過ぎの女が一人、店の女主人といるだけになっていた。
粗末な厨房に立っていた女主人は私に気づき、火をつけたキセルを吸いながら「用事は終わったのかい」と聞いてきた。
うなずいて答えると、彼女は皺が刻まれた目元を緩めて「そうかい」とだけ言い、煙を吐き出しながら神棚を見上げる。
「今夜も客が入ってくれたし、稼ぎが期待できるから嬉しい限りだよ。本当、お力には感謝しかないね。あの娘なら、神棚へ捧げて大事に置いておいてもいいくらいさ」
上機嫌にそう言い、再びキセルに口をつけると、笑みを浮かべながら煙を吐き出した。
この人の言葉は他の店の主人達にとって、誰よりも言いたいものだろう。
新たな時代に生まれたこんな場所で、歴史も経験も少ない店など、あっという間に閑古鳥が鳴くほど厳しいのが現状だからだ。
それをお力が一人で変えてしまっているこの状況は、彼女を抱えている『菊の井』にとっては嬉しいことでも、その威光にあやかっているだけの他店などでは、本人を引き抜きたいと、どれほど切に願い望んでいることか。
今夜の客達だって、ほとんどがお力を目当てに来ているだろうし、一目でも見られればという下心があるからだろう。
それに乗っかって自分の客にしている女はいるけれど、それが続くかどうかは本人の技量次第だ。
たまにしか顔を出さない私相手でも、自分のほうがいかに優れているかを言葉や態度で見せつけては、人を下に見て笑う女達がどれほど不安定な立場にいるのか。
それは火を見るより明らかなことだ。
彼女を頼って大事にしている女主人はまだいいけれど、同僚の中には彼女を妬んで陰口ばかり言う人がいる。
必死だからこそ追い詰められていたとしても、そういった心の
先ほど話した女達もそうだし、道すがら声をかけてきた女もそうだった。
「心の中は顔に出る、か……」
昔聞いた言葉を口に出すと、女主人が「何か言ったかい」と言ってきたので「こっちの話ですよ」とだけ答えた。
これ以上店に留まれば竈の番をする女の話し相手にされるため、急いで外へ出ると、月は既に真上にあった。
時々聞こえる女達の声と、大小様々な音を耳に入れながら、誰もいない一本道へと入る。
人も獣もいないこの道の先には、今一番会いたい人がいる。
会ったところでおしゃべりしかできないが、お茶とお菓子くらいは出してもらえるだろう。
夜分遅くの訪問を咎められたとしても、今夜は一人になりたくなかった。
「……月夜の晩に、鶴と亀が滑った。後ろの正面、だーあれ」
口ずさむ童謡が闇夜に響く。
こんな月の綺麗な夜は、一人になりたくない。
浮かぶ姿を振り切るように、私は月明かりの蒼白い道で足を速める。
そうして見えてきた遠くの明かりに、ようやく心が凪いだ気がした。
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