第五話
夜が訪れれば、町の一角に光が灯る。
その光の中へ飛び込んでしまえばもう、酔って酔わされて一夜を過ごすだけの場所になり、日が昇るまで酔いがさめることはない。
それがこの場所のあり方だ。
用事があって休みをもらった私は、結ってもらったばかりの髪を乱すことなくその場所を一人で歩き、普段は見られない外を眺めていた。
通りすがりに「あんたもお
自分の店に着くと、離れたところからでもわかるほど盛り上がっているようで、中へは入らずに外から覗いてみる。
急な呼び出しはないだろうし、今夜はのんびりできそうだと思いながら長椅子に腰掛けて周囲を見れば、看板を見上げて話し合う男達のなんと多いことか。
私が手を伸ばせば届くような距離でコソコソ話し合う男達がいるけれど、これだけ近ければ聞こえてしまうことに気づいているのかいないのか。
聞こえないふりをしてそっぽを向けば、男達は中を覗きながら目当ての女を探し始める。
小声で囁くように「お
彼らが覗いている『菊の井』という店は、
ここら辺でよく見かける建物だけれど、横幅が狭いため、女達が客をもてなすのは一階奥の大座敷になるのが店の決まりだ。
形だけの居酒屋みたいな店先で、目当ての女を見つけられない場合は帰られることもしばしばあり、一見すると男を相手にする場所だとはわからない。
それでも客が途切れないのだから、これもお力のおかげなのだろうね。
とはいえ、店自体もそこそこ良いので、ここで働ける女はマシな方なのかもしれない。
夜に店を開ける『菊の井』は、表向きは居酒屋のようにお酒を提供するだけの店だけれど、実際は
酌婦といえば、昔はお酌するだけで稼いでいた人がいたし、お金持ちの宴会など華やかな席にだけ呼ばれる日雇いの人もいたらしい。
それだけで大金を稼げていたというのに、今じゃ町外れの一角で客を取らなくちゃ生きていけないのだから、落ちぶれた職だと言えなくもない。
しかも売られてすぐに客を取らされることが多いから、遊女に比べれば雲泥の差だ。
さすがに今は、政府だかお
たまに捨て子が来ることもあるけれど、警察だとかに目をつけられたくないからか、表通りに比べれば孤児が少ないと言われている。
たいていの子は警察に届けられるか、隣町にある養護施設だとかに連れて行かれるし、中には自分の子供として引き取る女もいるから、子供の泣き声や笑い声が聞こえることだってある。
そういったことで好感を持たれるらしく、ここに来る男達はほとんどが普通なのだ。
暴力も誘拐も他に比べれば少ないけれど、黙って去って行く男が多いため、昼間に女の泣き声が聞こえてくることだけが厄介だった。
男女の仲なんてろくなことがないのに、それでもこうやって夜はやってくる。
あと少しで客入りが落ち着くから、そうなれば二階の部屋に明かりが灯るはずだ。
いまだに話し合う男達を横に、蒸し暑さを振り切るように顔を上げれば、真上に店の二階が見えた。
店の二階は客を相手する個室がいくつかあり、人気のある子が
たまに金のある客を捕まえた子が上がる程度で、それ以外は奥に引っ込んでしまうから、昼間はみすぼらしく見えてしまうような普通の店だ。
けれど、一階の
店の中には空き瓶かどうかまでは知らないが、私ですら知っている銘酒がたくさん棚の上に並べられていて、会計場所らしきところも見られるので、客にとっても都合がいいらしい。
過去に客の奥さんが怒鳴り込んできたことがあったから、誤魔化しに使われていたことを思い出して笑ってしまった。
ただ、その晩以降、怒鳴り込まれた客を見たことはないけれどね。
この時間になると、台所では黄ばんだ団扇で七輪を扇ぐ音がし、女主人が自ら腕を振るって寄せ鍋や茶碗蒸しくらいは作らなければならないというのが、本来のあるべき姿なのだろう。
表に掲げられた看板を見れば、説明としてか詳細としてか、『御料理』などど書き記されていて、暗闇で不気味に照らされている。
普段は客の立場で見る機会がないけれど、こうして見てみると、なんとも奇妙なものに見えてしまうのだから不思議だ。
他の店も似たり寄ったりな看板が掲げられているから、それもまた奇妙で面白かった。
そう書かれているからといって、よそ者が出前を頼みに行ったのならば、こうだああだと店の人は言うのだろう。
誤魔化すように「今日は品切れです」と言うのも変な話だし、「女ではないお客様はこちらの店へお出かけになっていただきたい」とも言い切りにくいものだ。
けれど、この世界は都合の良いものであり、店の商売柄を心得て「まずは
そういった
ここら辺なんて男だけが客になる店があるだけだから、「
なんともややこしくて、なんともわかりやすい。
隣で鼻の下を伸ばしながら中を覗き、隣にいる私になんて目もくれない男達より賢いやり方であり、女を口説くにはぴったりな文句になる。
そんな男に会ったことはないけれど、言葉の裏に気づいた時の気持ちを想像するだけで胸の内が変になりそうだ。
そんないい男が来てくれたらと考えるけれど、仮に来てくれたとしても私は選ばれない。
男に従順で馬鹿な女を演じなければならない私など、素でいられるお力には到底敵わないのだから仕方がない。
口元がニヤリと弧を描き、今頃客と飲んでいるであろうお力を想像して、腹立たしいくらいに綺麗な夜空を見上げて笑った。
それくらい自分と彼女に差があると、中へ入ろうともしない男達もろとも自分を笑った。
男達を横目に視線を落とすと、薄暗い中に浮かぶ自分の足を見つめながら意気地なし達を嘲笑う。
それくらいお力という女は魅力的なのだから。
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