第三話


 男二人にすげなくされ、落ち込んだところをお力ちゃんに慰められたけれど、まだ気持ちは戻らない。

 そろそろ客が来る時間なのだからしっかりしないと、とは思うけれど、そう簡単に落ち込んだ気持ちは浮き上がってくれなかった。

 そもそも私とお力ちゃんとでは見た目から違う。

 壁に隠れて見えなくなってしまったけれど、さっき見たお力ちゃんは、誰が見ても綺麗だった。

 太ってもいないし痩せてもいない体型で、スラリとした体が魅力的だ。

 今日洗ったばかりの髪はしっとりしていて、なえの茎で作られたしんわらの結い紐が似合うくらい爽やかな装いなのに、おおしまに結われた髪型が色っぽさを加えてくる。

 首から襟元だけに塗られた白粉おしろいに負けないほどの色白は生まれつきらしく、ゆるまってはだけた胸元が膨らみを強調していて、輝かんばかりに女らしさを見せつけてくるのだ。

 そのくせ、火をつけた煙草をスパスパと遠慮なく吸っていて、私なんかがやればだらしないと嫌がられるだろう。

 それなのに彼女ときたら、普通よりが長い煙管きせるを手に片膝を立てていて、男らしく見えるような無作法さを出していても、注意する人もいなければ嫌な顔をする人もいない。

 むしろ、それが色っぽくて似合うと思わせてくるのだ。

 それこそが彼女の大きな魅力であり、彼女らしい魅せ方なのだろう。

 さらに加えて、若い娘が身につけるような大きながら入りの浴衣ゆかたを着ているのも、彼女にはよく似合う思い切った選択だ。

 平たくたたむように輪っかを作って端っこ垂らすおびの生地はといえば、サテンとも呼ばれているくろしゅに、何かよくわからない生地が混ざったようないびつさがあるから、それっぽく見えるまがものだろう。

 こんな場所に貴婦人が身につける本物などあるわけがない。

 よく見れば偽物とわかるくらい雑な織り方の布だけれど、帯の背中側には緋色の模様が入っている。

 それはひらぐけの帯によく入れられる模様の一つで、地味になりやすい黒地に緋色が映えて、途端に色っぽく見えるので、芯の入らない平ぐけだからこそできる魅せ方であり、それが悔しいくらい似合うのだ。

 ここら辺でよく見る同年代のような感じで違和感はなく、けれど他の女達より綺麗に見えるのだから、りきちゃんは本当にすごい。

 一方で私はというと、銀色に見える安いようぎんかんざしくらいしか褒めるところがない。

 着物だって周りと似たり寄ったりの地味なもので、つぎはぎがないだけマシなのだろうけれど、それでも人目につくには足りないのだ。

 せめて着物くらいは良いものを身につけたいのに、今の稼ぎでは古着すら買えない。

 店に借りを作るほど稼げていないわけではないけれど、そろそろ通ってくれる人を増やさないと、自由に出来る金すら手に入らなくなってしまうくらいには危うい程度だ。

 焦れば焦るほど上手くいかないのに、それでも気持ちは落ち着いてくれない。

 少し気持ちを変えようと、結ったばかりのまげに手を伸ばすと、てんじんまげに挿した簪が指に触れた。

 最近当たり前になってきたこの結い方は、後ろから見ると半分に分けられたように見えるもので、結った部分を真上から貫くように簪を挿すのがオシャレらしい。

 周りの人達を真似して始めた髪型だけれど、ちょうど良いところに簪があるおかげで頭がかきやすくなり、客が来る前にひとかきしようと洋銀の簪を指でつまんだ。

 そのまま動かして頭をかいていると、煙管を吸い終えた力ちゃんが私の隣に座り、団扇で自分を扇ぎ出したのだ。

 いったい何だと横顔を見ると、彼女は一、二度口を開け閉めして、気まずそうに私を見る。

 そして、団扇を大きくひと扇ぎ。

「……あのさ高ちゃん、そんなに落ち込まないで、また声をかけてみるといいよ。男なんてこれから山ほど来るんだからさ。どうせなら、田舎から出てきたような野暮ったい男でも誘ってみるのはどうだろう」

「急に何さ。田舎から出てきたばかりの男は説明が面倒だよ。前に私が苦労したの見てただろうに。意地悪ばかりしていると、その団扇返してもらうからね」

 私がそう言うと、力ちゃんは笑って団扇をひと扇ぎ。

 私にも風が来るように大きく動かして、二回三回と手首を動かす。

 慰めに来たというよりも、落ち込んでいる私を励ましに来たようで、私が笑うとそれ以上は何も言わなかった。

 日が沈み出すこの時間は、私達にとって唯一の自由な時間だ。

 橙色に変わり出す太陽が冷めるように輝く外を見ながら髷の下をかいていると、ふとあることを思い出した。

「力ちゃん。さっきの手紙はもう出したのかい?」

 一拍置いて、「はあ」と気のない返事がある。

「はあ、じゃなくて、さっき書いてた手紙、もう出したんだろ」

 そう言うと、彼女はうっすらと唇を開けて笑う。

「見てたのかい。まあ、どうせ返事なんて来ないだろうけど、あれもおあいってものさ。挨拶がてらってやつだよ」

 笑いながらそう言うけれど、私は納得できなかった。

「そんな強がりはほどほどにしときなよ。両腕を二回も伸ばすほど長い手紙を書いて、切手を二枚も貼らなくちゃいけないようなおおふうじが、お愛想の一言で片付けられてたまるものか。その程度のことであんなことができるもんかい」

「古い付き合いだからね。それくらいのことはしないと、互いに割が合わないのさ」

「割とかで片付けられるものじゃないよ。それにあの人は、前の店からずっとあんたの馴染みだった人なんだろう。ちょっとやそっとの喧嘩くらいでこれきりになんてさせやしない。あんたのやり方一つでどうにでもなるだろうに、そんな誤魔化しかたなんてしてないで、少しは精を出して、あの人を引き止められるよう心がけたらいいのにさ」

「何を言ってるのか、私にはさっぱりだね」

「ねえ力ちゃん、こんなところで意地張ってたって何にもならないだろう。あんただって私と同じで、神仏に祈るようなタマじゃないはずだ。いつまでもそんな態度じゃ、本当に会えなくなってしまうよ」

 返事をしない彼女がこうやって話をそらすのはいつものことで、「あの人」と呼ぶ力ちゃんの馴染みは、私もよく知る店の常連だ。

 元々は別の店にいたという力ちゃんは、何かがあってここに流れてきたらしいのだけれど、そうなった原因はいまだに聞けていなかった。

 綺麗で接客がうまい彼女が、自分の意志でここに流れてきたとは言っていたけれど、そうなった原因としてあの男が関わっていたと私は睨んでいる。

 こんな仕事をしていれば語りたくない過去の一つや二つは出来てしまうもので、すねに傷を持つこともあるし、心に傷を持つこともある。

 けれど、人の噂に戸は立てられない。

 いずれ彼女の過去が他人の口から暴かれるかもしれないし、昔の客が物珍しさに現れるかもしれない。

 それで居場所を失う女を知っているからこそ、私は心配で堪らなくなる。

 私は応援する気持ち半分、本音を聞きたいという野次馬根性半分で話をするけれど、彼女に何かあって欲しいとは思えない。

 思い合える人がいる彼女を羨ましいと思うことはあるけれど、彼女のように身を引くことはできないから、他人事とはいえ、悲しくて淋しい恋など私は堪えきれなかった。

 力ちゃんを見れば、気持ちここにあらずといった様子だ。

 余計なお世話だろうけれど、これだけは言っておきたい。

「恋は一瞬じゃない。一生続くんだ。だからね、力ちゃん。今だけだなんて思わないでおくれよ」

 力ちゃんはこちらを見ずに団扇で扇ぎながら、落ち着いた様子で「ご親切にどうもありがとう」と言う。

 そして私を見ると、にこりと笑って口元に笑みを作ったのだ。




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