第二話


「ちょっと、むらさんとしんさんじゃないか。二人とも寄っていきなよ。なんだい、お寄りと言ってるんだから寄っていってもいいじゃないか。それとも『双葉屋』へ行くから、また素通りでもする気かい? もしそうなら、『双葉屋』へでもどこでも行って、引きずってでも連れてくるから覚悟しなよ。本気だからね」

「おいおい物騒だなあって、お高じゃねえかっ。ひ、久しぶりだな。そんなにしっかりと俺らの顔を覚えててくれたのかい」

 った顔でそう答えるのは、木村という男だったか信と呼ばれた男の方だったか。

 私は覚えていなかったが、店先に出ている女達がコソコソ話しているから、二人ともたかちゃんの馴染みだったのかもしれない。

 ずっと来ていなかったのか、高ちゃんの声掛けは少し必死だ。

 団扇を長椅子に置いて三人を見ると、店に引っ張り込もうとする高ちゃんとは反対に、男達は乗り気ではない。

 二人は高ちゃんを見ると、どうにか作ったという笑顔で「これから風呂なんだよ」と言う。

 けれど高ちゃんは腕を放さず、眉間に皺を寄せるように目を細め、二人の顔を見比べる。

「……本当におぶうならいいけど、そうじゃなかったら、私にだってわかるよ」

「本当だって。なあ」

 腕を掴まれた方がもう一人を頷かせると、彼女もこれ以上は意味がないとわかったのか、ようやく腕を放した。

「……それなら、まあいいや。そうならそれでいいけれど、帰りにきっと寄っておくれよ。二人とも嘘っ吐きだから、これ以上は何を言うかわからないからね」

 諦めたように高ちゃんが言ったところで、男二人はホッと息を吐く。

 安堵した顔を見られているとも知らず、二人は「また今度来るからな」と笑顔で行ってしまい、残された高ちゃんは肩を落としてチッと舌打ちをした。

 離れていきながら「またな。また来るからな」と二人は言うだけで、気持ちが別に向いているのは明らかだ。

 私もホッと息をつくと、見ていた女達からもため息が続く。

 残念ではあるけれど、しがみつく高ちゃんに二人が腹を立てなかったということだけは良かったことだろう。

 私達みたいな職業の女が相手だと、少し引き止めようとしただけで急に怒り出したり、手を上げて大暴れしたりする人がいるから、そうならなかっただけマシだと思うしかない。

 残念そうに二人を見送った高ちゃんは、「何がまた今度だよ。来る気なんてないくせにね。ったく、これだから女房持ちは嫌なんだ」と文句を言いつつも、「でも仕方ない。女房ができたんなら、仕方ないよ」とも言った。

 それを聞いた私は、「高ちゃん、ずいぶん苛立っていたみたいだね」と声をかけると、彼女は私を見た。

「そう見えるかい?」

「見えるよ。何も、そんなに心配しすぎることはないじゃないか。ぼっくいに何とやらとも言うだろう。そのうちまたヨリが戻ることもあるよ。今は心配せずに、まじないでもして待つといいさ」

 慰めるようにそう言うと、高ちゃんは少し考えて唇を尖らせる。

「私はりきちゃんと違って、男相手に通用する技術も何もないし、腕に覚えもないからね。一人でも逃したら残念に思うんだよ。それに私みたいに運の悪い者に、呪いも何も効きはしない。だから大変なんだ」

 首筋を掻きながらそう言い、また肩を落とした彼女は、男二人が去った方を見ながら「今夜もまたばんか」と呟く。

「あーあ、何が悲しくて店の前に居続けなくちゃいけないんだろうね。ただの番人でもあるまいし、客引きすらできないで。ほんと、面白くない」

 苛立つ彼女はかんしゃくまぎらわすためなのか、店先の段差に腰掛けて、こまの後ろでを蹴る。

 いだ下駄であれば無理だけれど、一つの木材からくり抜きで作られる駒下駄であれば、それほど大事にはならないだろう。

 うまく力加減を調節しているのか、むき出しの地面をつま先で掘るように蹴っているため、だんだんとデコボコがわかりやすくなっていく。

 けれど彼女は、掘っては戻しているので、注意するのも難しい。

 下手に注意などして、愚痴を聞かされてはたまらないと、誰もが見て見ぬ振りだ。

 そのうちに落ち着いてきたのか、逃した男達を思い出したのか、大きく息を吐いて俯いてしまった。

 お高というこの女性は、店の中における私の友人だ。

 大っぴらにそうだとは言い合っていないけれど、お互いがそんな関係には当てはまるのだろう。

 二十の上を七つか十か、三十手前の女性だと見えるくらいで、本当の歳は知らない。

 歳を明らかにしないのが普通であり、仕事中は化粧で誤魔化されるから、若かろうが老いていようが、あまり関係ないのだろう。

 今の彼女は、剃った眉の上に描いた引き眉と、襟元に作られた色気を感じさせる生え際が特徴的で、前髪の生え際も綺麗に整えられているから、髷を結った後にしか見られないとても綺麗な仕上がりだ。

 それなのに、顔にも胸元にも襟元にもベッタリと白粉が塗られているから、真っ赤に引かれた唇は、人を食らう犬のように大きくはっきりと見える。

 こうなってしまうと、せっかくの鮮やかな紅も嫌なものに見えてしまうし、あからさまに男を誘っていると強調しているようだ。

 そんなあからさまなものほど男を惹きつけ誘い、そして堕とすことになる。

 そう言ったのは誰だったか。

 団扇を持つ手が止まり、ふと耳元で聞こえた声に顔を上げると、こちらを窺うように見てくる仕事仲間達と目が合い、軽くそらされた。

 何かと思い見つめれば何度か目が合い、その度にそらされるため、いったい何なのだと視線を追うと、落ち込んだまま動かない高ちゃんがいた。

 再び彼女達と視線を合わせると、顎を動かして彼女を指さし「慰めてきなよ」と言ってきたのだ。

 人を指さすのは褒められた行動ではないが、そうまでしたくなる気持ちはわかる。

 人の出入りが始まる時間帯に差し掛かるため、このまま彼女を放っておけば客が来てもあのままだろう。

 もし客が帰ってしまったり入ってこなかったりすれば、何もしなかった私達にも責任があると言われ、みんな仲良く店の主人に怒られるのは明白だからだ。

 私の言葉で落ち込ませてしまったのかもしれないから、ここは私がなんとかしようと長椅子から立ち上がり、薄暗い店先へ敷居を跨いだ。




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