黒曜獅子とエッグサンド

@HAIKEISHI

第1話


 朝焼けの空を、薄雲が漂う。

 その上を、飛竜の群れが飛んでいる。

 一直線の隊列だった。先頭は、一番大きい飛竜。後ろに7頭、小さな飛竜。

 大きい飛竜は、硬い鱗と、力を持った親竜だ。子竜のために風を切り開いてゆく役だ。

「……カルガモの親子って、あんな感じじゃなかったかしら」

 古い記憶を思い出しながら、欠伸を一つ、噛み殺す。

 目の前の赤毛の馬が、その顔を私に寄せてきたので、戯れに顎の下を撫でた。

「今日もよろしくね、シュナイダー」

 シュナイダーは、黙って私に撫でられている。この子がいないと、私たちのお仕事は務まらない。

 街と街を結ぶ、小さな運び屋。それが私たちのお仕事。

 待ち人の声が聞こえてきて、私は顔を上げた。

「じゃあなー、じじい、達者でなー。……おう、私はいつでも元気だぜ。私たち、もう行かなきゃいけねえんだよ、私がユウにしばかれちまう。……はは、じゃあ行ってくるぜー」

 畑の野菜をかき分けるようにして、道端に佇んでいる私の前に現れたのは、1人の少女だ。

 灰色の髪と瞳に、女性としてはがっしりとした体躯。

 そして、身の丈ほどある大太刀を背負っている。

「リーン、ロナウドさんから荷物受け取れた?」

 私が問うと、リーンは私に小包と葉書を渡した。

「干した果物だってさ。あと、息子さんへのいつもの手紙だ」

 リーンは快活に笑った。

「ソレでさあ聞いてよユウ、ロナウドのじじい、めっちゃ面白いんだぜ? 毎年この時期は、土竜猿に散々果物を荒らされるからって、この歳で雷撃魔法を覚えたんだよ。それでさ、昨日ついに……」

「ん、ちょっと待ってリーン、話は馬車に乗ってから」

 私はリーンの話を遮った。

 私たちがこれから向かう都市、リオンガルドには、早朝から出て、日暮れに到着するというくらいの距離はある。

 危険な魔物と出くわす事だってある。それを思えばもう出たい所だ。

 いっけねえ、とリーンは足早に御者台に乗り込んだ。

 私は荷車の方に乗り込んで、御者台の後ろの、毛皮を積み重ねて、精一杯のクッションにした、私の席に、乗り込んだ。もともとは、人が入るものじゃない荷馬車を、改造しているのだ。

 おっけ? と彼女が振り返る。

 大丈夫、と私は言った。

「ハイヨー、シュナイダー!!」

 リーンが掛け声を上げて手綱を振った。

 シュナイダーは、物言わずに歩き始めた。

 彼の種族は赤鉄馬。馬の種族の中でも、一際大きい。鉄をも砕く、頑丈な蹄を誇る。

 大人しく、辛抱強い性格で、好物の野菜や果物を、好きなだけ(呆れるほど)食べさせてあげる限り、どこまでも、歩いて行ってくれる種族だ。

 そして、リーン。私と同い年の幼馴染。歳は16。彼女は、書類仕事なんかは苦手だが、人当たりが良い。また、街の外の脅威である魔物から積み荷を守る、護衛役も努めてくれる。

 この3人ーー2人と1匹ーーが、辺境の街の小さな運び屋『夕日の木漏れ日』の、総メンバーである。


◇◇◇◇◇


 がたり、がたり。

 広大な畑の沿道をしばらく歩けば、この街の外壁にたどり着く。

 我が麗しの、農業都市ヴィンヘルム。その内門。

「いよう、お二人さん。今日は暑いくらいだな」

「アレックス、カブリ豆の収穫はまだ良いのか!?」

 門の内側に立っていた青年が、歩み寄って声をかけてきた。栗色でくせっ毛の髪の、背の低い青年だ。

 リーンが、彼の言葉を無視して、道の横に広がる畑の様子を気にかけた。

「いーや、まだだな。でも、明日ってとこだろ」

 彼は、この街の人の出入りを管理する仕事についている。

 しかし、こんな田舎街を訪れる人も出る人も少なく、どちらかといえば、畑の手入れをしながら、門の管理もしている、といった風情である。仕事柄、私たちと彼はよく話す仲だ。

 アレックスは、荷車の中の私に、出入り管理の書類を手渡した。

 私は、慣れた手つきで必要事項を記入していく。

「あのさユウ、あの話なんだけど……」

 アレックスが、リーンに気遣ってか、声を潜めて話しかける。

 不意に、心臓が高鳴った。

 努めて冷静に振る舞いながら、アレックスを見た。

 彼は、ばつの悪そうな表情をしていた。

「悪い、もうちょと待っててくんね?」

 アレックスは、軽く片手を立てて謝った。

「……うん、分かった」

 文字を間違えないよう、丹念に時間をかけて書類を書き上げた。

 それをアレックスに手渡した。なんでもない振りが、できていれば良いのだけど。

「はい、確認よろしく、アレックス」

 いらねーだろ、とアレックスは、笑った。「ユウが書類の記入漏れなんてした日にゃ、嵐がくるだろ。そしたらカブリ豆もお陀仏だ」

「待て! それは困る!」

 リーンが、目を丸くして叫んだ。

 アレックスは、喉を鳴らして笑う。

「あり得ないってこと。まあ2人が帰ってきたら分けてやるから、楽しみにしてなって」


◇◇◇◇◇


 リオンガルドまでの道程は、途中までは獣道のようなところも通って行かなければならないが、商業都市リオンガルド近郊はよく整備されており安全だ。お尻も痛くなりにくい。

 とはいえ魔物の脅威は、依然、街から街を行き来する商人のような人間にとって、無視することはできない。

 それは私たちのような、田舎町ののどかな郵便屋さんーー手紙や小包のみを扱う、小さな運び屋ーーにとっては、なおさらである。

 ところで、私の人生に興味がある人などいないだろうけれど、少し説明しておこうと思う。

 私は、転生者だ。

 日本で、印刷会社に勤めていた。

 死因はまあ、語るべきようなものじゃない……それは今説明するような事じゃなくて。

 そんな話よりも、重要なことがある。ーーいや、重要ではないことが、ある。

 私が前世で好きだったweb小説の物語なんかでは、違う世界に生まれ変わったら、誰にも負けない能力を手に入れたり、その世界で起こる事を事細かに知っていたり、そういうの、良くあったのだけれど。

 私の場合。

 私の場合は、何もなかった。

 何もーー無かった。

 ただ、20余年、違う世界で生きた記憶があるだけだった。

 言葉も、常識も、文化も、何もかもが違う世界の記憶である。

 ここでは私は、せいぜい、少し物覚えが早くて、子供っぽくない、かわいくない、子供であった。

 ……ただ、それだけの事である。


◇◇◇◇◇


「なあユウ、なんかおかしい」

 御者台のリーンが鋭く呟いた。

 ……何か?

 私は訝しみながら、リーンの背中越しに外を伺った。

 道はちょうど曲がりくねった林道の中で、見通しはよくない。

 それは逆に言えば、異常も見つけにくいという事……いや!

 はっきりと私の耳に、大型の獣の咆哮が聞こえた。

「交易路!」

 私が叫ぶが早いか、リーンはシュナイダーを駆けさせていた。

 ヴィンヘルムから伸びる細い林道ーー即ち田舎道ーーを抜ければ、そこは交通の盛んな商業路に合流する。

 咆哮はそちらから聞こえた。

 がたがた揺れる馬車の中から、林の向こうに目を凝らした。

「……黒曜獅子!?」

「え、何だソレ!?」

 リーンにも同じものが見えているのだろう、林の向こうには、黒い四つ足の魔物。

 それが明らかに、戦闘をしていた。恐らく、人間と!

「毛皮の代わりに、固い鎧を纏った獅子の事!」

「それは見て分かった!……どうやったら倒せる!?」

 それに答えるより先に、馬車は林道を抜けた。

 馬車2つが余裕ですれ違えそうな、良く均された道。左右には、切り株が沢山並んでいる……ここは、人によって伐採され尽くした森林だ。

 そこを貫く道上で、真っ黒な光沢のある体皮の獅子に対して、4人ほどの人間が、立ち往生している馬車を守りながら戦っていた。

 シュナイダーと同じ赤鉄馬が2頭立ての、立派な馬車だ。さらに向こうを見れば、同じような大型の馬車が、3台、4台……列をなしていた。

 その先頭に黒曜獅子が襲いかかったものだから、後続が動けないでいるのだ。

 輸送ギルドの車列。私は当たりをつけた。ならば戦っているのは、護衛として雇われた、魔物討伐ギルドのパーティといったところ。

 鎧を着た前衛が2人に、魔法使いの後衛が2人。魔法使いの片方が、盛んに光撃を放っている。でも……あまり効果は上がっていないようだ。前衛2人の剣戟も同様。

 私は護衛のパーティから、黒曜獅子に目を移した。

 全身を覆う黒い石のような体皮は、あちこちが割れ、鋭い断面を全身に晒している。その断面の大半がくすんでいるのは、その傷が、付いて日が経っていることを示している。

 黒曜獅子は群れる。けれど仲間の姿は無し。たてがみ。全身の傷。

 群れを追われたオスの個体か。

「ユウ」

 リーンが私を呼んだ。

 彼女は鋭い目で大太刀に手をかけて、今にも飛んでいきたそうにしている。

 待って、と私は口だけ動かした。

 石を纏う種族は、その体皮によって様々な効果を持つーー即ち対処法も。

 黒曜石に例えられる、黒色の体皮。私は本で読んだ魔物の知識を引っ張り出した。

「衝撃でぶん殴る!」

 それが答えだ。

 聞くが早いか、リーンは飛び出した。

 黒曜獅子は、前衛の剣士の1人を前足で押さえ込み、牙を立てようとしている所だった。

 電光石火の勢いで突っ込んだリーンが、その後ろから、鞘から抜いていない大太刀の剣先を、黒曜獅子の鼻面に叩き込んだ。

 黒曜獅子の顔面の体皮が粉々に砕け散る。

 黒曜獅子は怒りとも驚きともつかない息を漏らして、仰け反った。

「下がれ!」

 リーンが叫ぶ。黒曜獅子に襲われていた剣士が、這いながら後方に下がった。

 黒曜獅子の警戒の対象はリーンに移り、黒曜獅子はその全身を使ってリーンに飛びかかった。

 やられる、と、誰かの悲鳴が聞こえた。護衛パーティの、誰かだった。

 リーンの剣先が最下段から黒曜獅子の顎を打ち上げた。完全に呼吸を読んだカウンター。アッパーカットで黒い巨体を吹っ飛ばした。

 護衛パーティがリーンを、信じられないものを見る目で、見ていた。

 うちのリーンは、これくらい、やる。

 ふらついた着地をした黒曜獅子の飛びかかれないほど内側の間合いにリーンは滑り込むように距離を詰め、後ろに下がりながら放たれる左右からの前足の爪撃は、全て大太刀で払い落としていった。

 意図は明白。馬車の列から十分に距離を離した。

「戒めろ、ドライアド!」

 リーンが叫んだ。

 足元に並ぶ切り株、その間の背の低い草木が、ほのかに光を帯び、ざわめいた。

 草花に包まれて、眠っている、女の子のような姿が、リーンの横に形をつくり、そして、消えた。

 同時に、草木から鞭のように伸びた蔦が、黒曜獅子の後ろ脚に巻き付いた。

「投げろ、タイタン!」

 岩石でできた大柄で屈強な男のような姿がリーンの背後に現れ、消えた。

 切り株の間を割って、地面が隆起し、さらに、裂けた。

 そこから空中に浮かんだのは……リーンの背丈を超える大岩だった。

「どおおおおっっっ…………せええええええい!!!」

 その岩を、リーンが、横に構えた大太刀で叩いた。……さながら、四番打者のごときフォームで。

 隕石を思わせる速度を与えられた大岩が、逃げ場を奪われた黒曜獅子に激突した。

 その衝撃により、黒曜獅子の全身の体皮は破砕した。

 黒曜獅子が苦鳴をあげた。

 リーンが中段に大太刀を構えて睨む。黒曜獅子は脇目も降らずに逃げ出した。

 ……ふう。

 私は、一息をついた。リーンがこちらに、手をぶんぶん大きく振っている。

 ちょっと恥ずかしく思いながら、軽く手を振り返す。

 ……何とかなった。

 ふと見ると、馬車の車列から、1人の男がこちらに歩み寄ってきていた。

 身なりの良い、ハットを被った、金髪の男。

 この車列のリーダーだろうか。


◇◇◇◇◇

 

 御者台のリーンは、ほくほく顔だった。

「いやー、儲けた、儲けた!」

 歌なんて口ずさみながら、リーンは手綱を振る。

 あの後私たちは、あの車列の面々から熱烈な感謝を受けた。

 ハットを被った金髪の男は、商会ギルドの幹部だという。

 大都市ミランキヘイム、商会ギルド『明星の天秤』。

 彼はエルンハルトと名乗った。

「危ないところを助けて頂いた。誠に感謝する」

 脱いだハットを胸に当て、エルンハルトは一礼した。

 細やかな金髪が陽の光を受けて輝く。私たちほどではないせよ、若そうな風貌だった。

 芝居がかった動きだけれど、やけに自然な所作。都会的、と言えば良いのだろうか。

「いいえ、当然の事をしたまでです」

 私は毅然として微笑んだ。

 エルンハルトは、大げさに肩をすくめながら首を横に振った。

「いやいや、誰にでもできることではないさ。……聞きたいのだが、この辺りには、こんなにも強力な魔物が出るのか? 恥ずかしながら、彼らも、それなりに名のある者達だったのだが……」

 エルンハルトは少し声を潜めながら、後ろを振り返った。護衛パーティたちが傷の手当てをしている。随分と疲弊しているようだ。深い傷には回復魔法をかけつつ、軽い出血などには洗浄と止血で対応している。……後衛の片方は回復魔法の使い手だったか。

「いいえ、彼らは単に、知らなかったのだと思います」

「知らなかった? 何をだね?」

 エルンハルトが身を乗り出した。私はそこで逡巡した。あまり、自慢のようになるのも避けたい。

 私は、軽く身を引いた。

「大したことではありません。……あの魔物の黒曜石のような体皮を、ご覧になったでしょうか?」

「ああ。初めて見たな。それが何か?」

「あの体皮は、魔法を退ける力を持っているんです。だから魔法による攻撃は有効ではありません。加えて、あの体皮は何重にも重なっている上に、脆く、すぐに割れます。ですから、刃物を当てても、斬撃が深くまで届かないのです」

 それが、彼らが苦戦していた理由だろう。それを知ってさえいれば、わざわざ相性の悪い攻撃など選ぶまい。

「なるほど、つまり……」

「打撃が有効です」

「それは、先ほど、彼女がやったようにかね?」

 エルンハルトが、興味を惹かれたように笑った。

 ええ、と私は頷いた。

 ゆっくりと、こちらも芝居がかった口調で、勿体付けるように言った。

「とは言っても、もちろん、一人で黒曜獅子を相手にできる者というのも、そうはおりません」

「そうだろうとも。中々、他では見ない才能のように思える。名は何と言う?」

 私は、誇らしげに笑ってみせた。

「リーン、と言います」

 ふむ、とエルンハルトが顎に手を当てて、考える素振りを見せた。

「なあ、おい。ユウ」

 リーンが、割って入ってきた。

 とてつもなく不機嫌な表情だった。両手には、一杯の、黒曜獅子が落としていった体皮の欠片を抱えている。拾い集めたのだろうか。

「さ、もう行こうぜ。リオンガルドに着けなくなっちまうぞ」

「え、ちょ、ちょっと待ってよリーン」

「なんだよ。日が暮れるまでに着けなくっても良いのかよ」

 リーンは凄むように言った。

 流石に気圧されてしまう。

「それは、困るけれど……」

 ふん、とリーンは鼻息を鳴らした。

「少し待ちたまえ。君、それをどうするつもりだね」

「ああん?」

 ーーちょ。

 リーンはあからさまに喧嘩腰の態度で、エルンハルトを睨みつけた。

「これは、私が追い返した獲物の端くれだ。私がどうしようと勝手だろ」

 い、言い方……!

 私は慌てた。普段はこんな事ないのに、リーンは突然どうしたのだろう。

 エルンハルトはリーンを、面白そうに眺めた。

「もちろん、それは君たちの物だとも。好きにすると良い。リオンガルドに行くのだろう。そこには、魔物の素材屋も宝石屋も、揃っているだろうね……売ればそれなりに金になろう。しかし、伝手はあるのかね?」

「…………」

 リーンは黙った。

 それは、正直、あるとは言えない……。荷を運ぶ道中で戦った魔物の一部を、売る事自体は初めてではないのだけれど、私たちには、魔物の素材の相場など、分かりはしないのだ。

 田舎者と舐められている雰囲気は、幾度も味わってきた。

「では、買い叩かれてしまうだろうね……惜しいことだ。モノの価値が分からない者の手に渡してしまうなど」

「……何を仰りたいのです?」

 私が問うと、エルンハルトはそれを待っていたかのように両手を広げた。

「私に売れと言っているのだよ! 金貨20枚、出そうじゃないか」

「にっ……!?」

 私は耳を疑った。それは、慎ましい生活をしていれば、私たちが一年は暮らせるくらいの額だ!

「しかし君たち、これは貸しだと思ってもらいたいね……。ああ、もっとも、君たちが、私に、貸しているのだよ?」

「は、はい?」

 エルンハルトの、余りにもうますぎる話に、思考がついていかず、呆けた聞き返し方をしてしまう。

「この借りを返して欲しくば、君たちは私に会いに来なくてはいけないと言う事さ……ミランキヘイムを訪れる事があれば、必ず、私を尋ねてくれたまえよ。必ず、だ」

 その時には、仕事の話をさせてもらいたいね。

 そう言うとエルンハルトは踵を返して馬車の車列に向かっていった。

 ……金貨を取りに行くのだろうか? 私たちが呆然としていると、ああ、そうそう、と言って、エルンハルトは振り返った。

「ユウ君、と言ったかね? 君は一つ、勘違いをしているよ」

 ーーえ?

 私は、俄に慌てた。対応に何か、失礼な点があったろうか? リーンにではなく……いや、リーンの監督不行き届きと言われると、それは私の責任かもしれない。

 あるいは、先ほどの魔物の説明に、問題があったか?

「私は、君の名前を、聞いたのだがね?」

 エルンハルトは苦笑した。


◇◇◇◇◇


 飯にしようぜユウ、体動かしたから、腹減った。 

 しばらく馬車を走らせて、太陽がてっぺんを少し超えた頃、リーンはそう言って馬車を止めた。

 それなら、さっき彼らと一緒に、話しながら食べればよかったじゃない……その言葉は、喉まで出かかった。

「よーしよし、お前も腹減ったかー」

 リーンがシュナイダーの前に、雑多な野菜と果物をごろごろ置いた。シュナイダーの為に持ってきていたご飯だ。

 間髪入れずに、シュナイダーがむしゃむしゃと咀嚼を始めた。

 私は、荷車の、御者台と逆側の扉を開けて、腰掛けて座れるようにした。

 リーンは流れるように私の隣に来て座った。

「さーさ、私らの今日のお昼は何です、シェフ?」

「シェフじゃない……」

 リーンの機嫌があんまり良いので、私も少し笑う。お弁当を作るのは、私の担当だ。

 手元に抱えた、籠の蓋を、開けた。

「よっしゃー! ユウ特製、『2色のエッグサンド』だ!」

 リーンがガッツポーズをする。

 籠の中には、2種類のサンドイッチが詰められている。

 片方は、茹でた卵を粗く潰した、あまい味付けの、エッグサンド。

 もう片方は、溶いた卵を焼いた、しょっぱい味付けの、エッグサンド。

「いただきます!」

 リーンが、しょっぱい卵焼きの方のエッグサンドを手に取り、頬張った。

「んー!」

 リーンが足をバタバタさせた。

 作った側からすれば、悪い気はしない反応だ。私は、あまい方のエッグサンドを手に取り、かじった。

 ーーん。

 最初に感じるのは、パンの塩気。それが舌の上で湿り、香りが強まると同時、パンに歯を食い込ませた。

 中の柔らかい具で力が逃げるが、その中身の弾力を追いかけるように、前歯を噛み合わせ、断ち切った。唇がサンドイッチの片割れの肌触りを追いかけるその瞬間。

 口の中で、具があふれた。

 粗く潰した卵の黄身と白身が、口の中の上下を転がる。甘くてコクのある味付けが、食感のムラとともに、私の唾液をぎゅっと分泌させる。

 噛むほどに、それらの、黄身と、白身と、分離したパンが、また一つになって新しい味となる。ゆで卵のぷりぷりとした食感と、パンのしっとりと柔らかい食感が濡れながら解けて混じり合い、十分に私の食欲を刺激した後、喉の奥へと滑り落ちていった。

 ーーうん、おいしい。

 自分の料理の出来栄えを褒めつつ、次はもっと卵の火加減をゆるくしてみても面白いだろうかと考える。

「なあユウ、こっちも食ってみろって! うまいから!」

 リーンが、しょっぱい味付けの方のエッグサンドを差し出してきた。

 ……いや、まだ籠の中にたくさんあるし、そもそも私が作ったんだけど……?

 けれど勢いに押されてというか、一口目の後味に引っ張られてというか、私は眼前に差し出されたエッグサンドに歯を立てた。

 ーーん。

 パンは同じものを使っていても、やはり食感が違う。中身が卵焼きだから、しっかりと前歯を押し返してくる。

 ーーいただきます。

 噛み切って一口分を口の中に収めると、パンの塩気と、具の塩気が合わさって弾けた。

 案外、汗をかいていたのだとも思う。塩気を呼び水に、一気にお腹が空いてくる。

 パンに塗ったソースも、塩気だけではない複雑な旨味に一役を買っている。黄身と白身が混ざり合い焼き固められた塊に少しがっついてしまいそうなところへ、パンと卵焼きの間に挟んだ生野菜が瑞々しい刺激をくれて、舌を爽やかにさせる。

 パンと具は歯と舌によって捏ねられた後も、重厚な存在感を保ち、そのまま私はごくりと飲み込んだ。

 ーーうん。おいしい。

「やっぱユウは、良い反応するなあ……」

 リーンが、ほえー、という顔をして言った。

 え、私? リーンじゃなくて?

 というか、いやだから、私が作ったんだけど。

 

◇◇◇◇◇


「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 サンドイッチを食べ終わり、籠をしまいながら、私は、リーンに言わなければいけない事を口にしていた。

「ねえリーン、さっきの人のことなんだけどさ」

「んあ?」

 リーンは眠そうな顔をして振り返った。

「リーンはきっと、すごい人になる。こんなところにいて良い人じゃない。……さっきの、エルンハルトさんを頼って、ちゃんとした人の下で才能を磨いて、それで……」

「やーっぱり、そんな事考えていやがった」

 リーンは手足を投げ出して、荷台に仰向けに寝転がった。

「勝手に決めんじゃねーよ。私は、ユウと2人で運び屋やってる、今の生活に、十分満足してる。これ以上望んでないよ」

 私は、自分の、組んだ指を見つめながら、言葉を紡いだ。

「リーンは、精霊術、使えるでしょ」

「……今更どうした」

 リーンは、半分呆れたような顔で聞き返す。

 精霊術。

 環境中に漂い、自然と一体化している精霊に、形と、名前を与え、使役する術。

 それは一握りの、天部の才を持つものにしか使えない。ーー魔法と違って、1から学んで習得することはできないのだ。

 リーンはそれを、子供の頃から、誰に教わる事もなく使えた。

「しかも、リーンはいろんな属性が使えるでしょ?」

「あー今日も木と土? 使ったな」

「それ、普通じゃないんだよ」

 リーンが、身を起こしてあぐらを組んだ。

「普通、精霊術には、得意、不得意があって、仲の良い精霊しか使えないんだよ」

 それに。

「それにリーンは、剣を持って、自分も魔物と戦いながら、精霊を呼ぶ」

 私は、自分の手を強く握った。

「そんな人、聞いた事ない。どんな本にも載ってないもの」

 リーンは黙って、私の話を聞いている。

 私は、リーンの、灰色の瞳を見た。

「きっとリーンは、英雄になるために生まれてきたんだよ」

 私とリーンの間に、しばらくの沈黙が流れた。

 リーンもまた、私の瞳を見返している……そこにある、私の心の奥までをも、見透かすように。

「じゃあユウは何になるんだよ」

 リーンが聞いた。

 私は狼狽えた。

 今、私の話なんて、してないのに……今は、リーンの話をしているのに。

 この世界で特別なリーン。

 必ず、この世界に名を刻むことになるであろう、奇跡の女の子。

 ……私とは違う。

 私は、何も持ってない。違う世界から転生してきたっていうのに、特別な力も何も、私にはない。

 私は、何になるって。

 私は……。

「魔物学者だろ?」

 リーンが、急に言葉を放ってきた。

 私は一瞬、何を言われたのか分からず、呆けた。

「……え?」

 リーンは、なんて事のない当たり前みたいな表情で、こちらを見ていた。

 私は依然として、何を言っていいのか分からない。

 なんで。

 リーンが、それを。

「……どうして」

「ぷっ」

 真面目な顔をしていたリーンが出し抜けに吹き出した。

「あ、あはははは! あはははははははは!」

「え? え?」

 リーンが大笑いを始めた。その場に寝転がり、お腹を抱えて笑っている。

 私は大いに戸惑った。

「ば、バレてないって思ってたんだ! あ、あはははは! バレてないって思ってた!」

「……な」

 私は、言葉を失った。

「あんなにたくさん、魔物の本買って、夜中に読んで、アレックスにも、街に入る人に、魔物に詳しい人との伝手がないか、聞いてもらったりして……それで、ば、ばれ……あはははは!」

 私は、自分の顔が、一気に赤くなったのが分かった。

 横で笑うリーンを、ばしばしと、叩いた。

「っ……。笑っ、いっ、すぎっ!」

「あははは、いてっ、いてっ」

 私の手を避けるように、リーンが身を捩る。

「よしっ!」

 リーンは荷台から飛び降りて、地面に立った。

「決めた。私は決めたぞ、ユウ」

「え、何をよ」

 リーンは振り返った。

「その金、結構、あるよな」

 リーンは荷台の中の金貨袋を見据えている。

「その金でさ、ちゃんと準備して、ミランキヘイム? だっけ。あいつのとこ行こう」

「……何をしに?」

 そんなん1つしかねーだろ、とリーンは言った。

「運び屋、『夕日の木漏れ日』として、だよ」

 私は呆れた。

「そんな、小さな運び屋が、行って何をするのよ」

「何って、手紙を届けられるだろ」

 何も変わんねー、とリーンは言った。

「私は今のままが良い。でもユウは魔物学者になる。その為にあのエルンハルトってのを利用してやりゃあ良い。私は英雄なんかごめんだが、ま、ユウが隣にいてくれるなら、ちょっとはやる気も出るってもんだ」

 な? とリーンは歯を見せて笑った。

「天才だな。私。はははっ」

 ああ、まったく。

 リーンは、こうと決めたら、もう止まらない。

 飛竜のように、風を切り裂いて、真っ直ぐに飛んでゆく。

「……そろそろ出ないとね」

 私は荷台から降りて、御者台へ向かった。

「リーンは疲れてるでしょ。交代よ」

「ユウがー? 大丈夫か?」

 リーンがからかい半分、心配半分といった調子で言った。

 ……リーンの後ろをついていくだけだなんて嫌だもの。

「この話の続きは、また今度ね」

「んん?」

「手紙を届けに行きましょう。私たちは……運び屋、『夕日の木漏れ日』だものね」

 




 

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