祐奈の日記

福守りん

祐奈の日記

 西東さいとうさんと祐奈ゆうなの部屋に来てる。大学が終わってから、そのまま来た。

 夕ごはんを作るのを手伝ってから、一緒にいただいた。


 食後のデザートの時間に、たあいもない話を祐奈としていた。

 祐奈が、新宿の画材屋で買ったという手帳を見せてくれた。かわいかった。そこから、自分の日記の話を祐奈がしてきた。

「今使ってる日記帳がね。あと三分の一くらいで、終わっちゃうの。

 同じものは、売ってたんだけど。どうかなあって、悩んでるところ」

「まだ、日記書いてるんだ」

「うん」

「まだ? 高校生になる前にも、書いてたってこと?」

 西東さんは、驚いたような顔をしていた。

「はい。小学生の時からです。毎日じゃないです」

「どんなことを書いてたの?」

「今と変わらないです。その日の天気とか、わたしの気分とか。ポエムとか」

「ポエム」

 あたしがくり返すと、西東さんが我慢してるような顔をやめて、ふっと笑った。

「いいの。正直な気持ちを書いていくと、だんだん、言葉がループしていくの。

 自分で読み返しても、ポエムとしか思えない」

「それ、消したくなったりしないの?」

「ならない。わたしの日記だから。わたししか読まないんだから、いいの」

 祐奈にはめずらしく、ちょっとつんとしたような様子だった。西東さんの気配が、じゃっかんあやしかった。この人、まさか祐奈の日記を……。こわいから、深く考えるのはやめた。

歌穂かほは、書かないの?」

「書かないし、書きたいとも思わない。いやなことがあった時に、それを書き残しておいたら、あとでうっかり目に入った時に、その時のいやな気分を、はんすうすることにならない?」

「なるけど……。日記に書くことで、わたしから切り離せたような気持ちになるの」

「へえー。そういう効果があるんだ」

「うん。歌穂も、書いてみたらいいのに」

「いい……。暗い話ばっかになりそう。あと、自分が書いたポエムは読みたくない」

「ポエムを書くとは、限らないんじゃないかな」

 西東さんが言った。

「そうですかね。西東さんは、書かないんですか?」

「あるけど。書いてたこと。捨てた」

「えっ。なんでですか?」

「自分の感情を赤裸々に書いたものが手元にあることが、恐ろしくなって。

 俺が死んだ時に、誰かにそれを読ませたいとは思えなかった」

「わたし、それ、読んでみたかったです……」

 祐奈が残念そうに言った。すごく残念そうだった。

「やめておいた方がいいよ」

 西東さんは苦い顔をしていた。

「意外と、紘一こういちが書いていそうだよな。書いてる?」

「どうして、あたしに聞くんですか。知らないです。そんなの」

「どうしてって、歌穂さんが紘一の彼女だから」

「そうなんですかね。彼女らしいことなんか、ひとつもしてないですけど」

 あたしが言うと、祐奈と西東さんが顔を見合わせた。反抗期の娘にとまどう夫婦みたいだった。

「や、ちょっと、うそをつきました。料理とかは、してます」

「毎日、歌穂さんが作りおきしてくれたものを食べてるって。紘一が。

 歌穂さんも祐奈も、自己評価が異常に低すぎると思う」

「ないですって……。あたしたちなんか、ぜんぜんです」

「うん。それは、ほんとにそう」

「だよね」

 祐奈とうなずきあってたら、西東さんが慌てた感じになった。

「そんなことないって」

「西東さんの方こそ、ご自分のことをわかってないですよ。

 西東さんは、祐奈の分のお皿も洗うらしいじゃないですか」

「洗うけど。えっ? 当たり前のことだよな」

「それが自然にできる男性は、そう多くはいないと思いますよ……」

 あたしは父親と一緒に暮らしたことはないから、一般論でしか語れないけど、それでも、西東さんがかなり上等な男性だということは、いやというほどわかっていた。

「うん。わたしも、いつもすごいなーって思ってる。

 ねえ、歌穂。沢野さんが日記を書いてるとしたら、どんな日記かなあ?」

「だから、知らないって……。書いてるかどうかも」

「案外、『歌穂ちゃん、かわいい』とかで埋まってる気もするな」

「ありそうですよね」

「えぇええー。それは、あんまりうれしくないです。

 っていうか、ご本人に聞いたらいいじゃないですか。この後、来るんだから」

「そうするか。話題を変えよう」

 西東さんが言って、ようやく、苦行のような時間が終わったなと思った。

 沢野さんの話を二人にするのは、苦手だった。二人は、どこからどう見ても、結婚寸前のカップルだし……。引け目みたいなものを、勝手に感じていた。

 複雑なことに、あたしは、西東さんに対抗意識を持っていた。

 西東さんに祐奈をとられたっていう気持ちが、いつになったらなくなるのか、あたしにはわからない。もしかしたら、ずっと、抱えて生きていかなきゃいけないのかもしれない。

 あたしと沢野さんは、世間の人がいうようないわゆるカップルでは、たぶんない。

 もっとへんな……へんって言ったら、言葉が悪いけど。不思議な関係だと思っている。

 師匠と弟子。ともだち。兄と妹。たまに、姉と弟。これは、言いすぎか……。


 それから一時間ちょっとくらいで、沢野さんが来た。

「お邪魔しまーす」

「いらっしゃい。なあ、紘一。

 日記書いてる?」

「はあ?」

「書いてる?」


 沢野さんの答えは、「黙秘します」だった。わけがわからない。

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祐奈の日記 福守りん @fuku_rin

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