第3話 天空山茶の新茶うどん

 山の鵜のうどんは、近所のひとたちの評判をきいたお遍路さんの口伝えで、昼過ぎには売り切れる人気ぶりとなっている。その評判に耐えるだけの味とボリュームは、旨いうどんを食べて欲しいと願うヤマノウどんの誇りでもあった。

 うどんはシンプルに、こしの強い麺と焼き干し鮎をベースにした澄んだ汁。そこに、油揚げの短冊切りが入り青ネギを少し散らしている。うどんのだしはあっさりすっきりで、うどん一食に小さな鮎の甘露煮が半尾つく。うどん2杯分のだしを取るのに鮎一尾を使うという、なんとも贅沢なだしの取り方である。鮎の横には、しょいのみとしょうがと干しきのこが入った練り味噌が添えられる。パンチの効いた味のコントラストが何とも嬉しい。

 大体の客はダブルを注文する。ダブルは、うどん二玉、汁たっぷり、鮎一尾がついたもので、汁少なめ、鮎大きめ、しょい味噌(客がいつしかそう呼ぶようになった)ダブルなど、細かな注文にも親切にヤマノウどんは応える。トリプルともなると、うどん三玉、鮎は特大一尾か、小ぶりな二尾がついてくる。秋口になると、特別に落ち鮎で焼き干しを作り、出来立てでだしを取ることがあり、甘露煮にも腹いっぱいに卵を蓄えたメスを出すことがある。お遍路さんたちの間では「当たり」と呼ばれて、縁起がよいと、それを狙ってやってくる者たちもいた。

 食べ方を心得た客たちは、まず、シンプルなだしのうま味と鼻にふわっと抜ける品の良い鮎だしの香りを楽しむ。うどんをすすり、しっかりとしたコシのある食感を確かめ、鮎はがぶりと骨ごとで、うま味と甘辛の味わいをゆっくり噛みしめる。

 普段は白いうどんであるが、皐月の終わりから水無月にかけての一時、うどんが緑に染まることがある。天空に近い段々畑で育てられる山茶の摘み取りは、里に比べて少し遅く、田植えが終わってすぐくらいから1週間ほどで終わらせる。すぐに蒸気で蒸し、手作業で揉み上げて釜炒りして乾燥させるときも火入れ温度には最新の注意を払う。香ばしく色鮮やかに仕上げられた煎茶は、苦味と渋みが少なく、馴染みの茶師だけに卸す特別なお茶としてひっぱりだことなっている。天空山茶として知られるこのお茶を、抹茶用の石臼で丁寧に挽き、それを練り込んだうどんを作るわけである。

緑茶の香りとほんのりと感じる苦味、渋味の風味を生かすために、いつもの汁もしょうゆ控え目ではあるものの、さらにぎりぎりのしょうゆ使いにして塩をベースに汁の味を決める。この新茶うどんこそ、ヤマノウどんがこの山に来て出会った山茶があってこそ生まれたもので、15歳で生まれ故郷を出て、はや10年がたとうとしていた。

 ヤマノウどんの横では、すらりとした細面の女性が赤子をあやしている。いつしか、キツネの姿も見なくなった。山の鵜では、今日も石臼がゴリゴリ、ゴロゴロと音を立てている。

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山のうどん屋さん なみふく @namifukutome

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