第2話 油揚げと恋バナ

 山の鵜のうどんは、ご近所なら配達もしてくれる。近所といっても山の中のこと。うどんが少しばかり冷めてしまう距離ではあるが、どうしても食べたいという近所のお年寄りに出前を届けたらめっぽう喜んでもらえたこともあって、そのくらいならいいよと請け負うようになったという。

 配達はもっぱら田沼吉之助、通称たぬ吉と呼ばれる近所に住む小男が担当していた。たぬ吉はおしゃべりな男で、配達に行くと座敷まで上がり込んで、茶の一杯もだしてもらった日には、夕暮れ時まで噂話に花を咲かせて帰ってこないこともあった。ヤマノウどんのうどんに入っている油揚げの秘密の噂話が、ここいらでは有名な話になったのは、全部たぬ吉のせいである。

「旨いね、ヤマノウどんのうどんは。あっさりしているのに、この汁にもコクがあって。特に最近旨いと思うのは、何だい、この油揚げのせいかい?」

「だんな、よく分かりましたね。そう、油揚げは去年までは入れてなかったんですけどね。こんな悲恋の物語があったりするわけですよ」

 

 たぬ吉は得意げに話し始めた。

ある日、ヤマノウどんは里に近い山のふもとで、猟師が仕掛けた罠にかかってケーンケーンと鳴いているキツネを見つけた。猟師も生活があるだろう。邪魔をしてはいけないと思ったが、罠は猪用の大きな檻で、その中でキツネがうろうろと歩きまわって、時折山を見上げて鳴いている。この辺りでキツネを仕留めてもそう売れるものでもない。毛皮をとるにも、丁度毛が抜け代わる前で何とも貧相な見た目である。

「よしよし、逃がしてあげるよ」

ヤマノウどんが柵を上げると、キツネは一目散に走り去り、姿が見えなくなるほんの寸前に立ち止まって振り向いた。ジーッとこちらを見ている。それに気づいたヤマノウどんは、ケーンケーンとキツネの鳴き声を真似て、元気でいろよという気持ちでもう一度ケーンと叫んでみた。キツネが見えなくなると、ヤマノウどんはまた山道を歩き始めた。

 その夜、ヤマノウどんの家の入口を、トントン、トントントン、と小さく叩く音がした。ガラリと引き戸を開けると、木の葉に包まれた豆が20粒ほど、置かれていた。家に入って明かりに照らしてみると、どうも大豆のようである。

 さてはキツネの恩返しかな。ヤマノウどんは、嬉しくなって、入口まで出て行って闇に向かって挨拶した。

「ハハハハ、手土産ありがとな。ケーン」

応えるように、遠くでケーンと鳴き声がしたような気がした。

ヤマノウどんは、翌朝、早速その豆を畑にまいた。

 夏がきて、秋になり、大きく育ったサヤにぎっしりと大豆が実り、たった20粒の大豆からたくさんの収穫ができた。しっかり乾燥させた新豆は、ツヤツヤしてコロコロとまん丸になって何ともかわいく、美しい。囲炉裏端で温かく、気持ちよく豆を眺めているうちに、ヤマノウどんはストンと眠りに落ちてしまった。

家の入口には、すらりとした女性が一人。

「こんばんは」

ヤマノウどんも、

「こんばんは、ささ、どうぞ遠慮せず入ってください」

と、昔から知っている女性のような気がして、家にすんなり迎え入れた。

「あの、昔はお世話になりました。私、豆腐づくりが得意なんです。ぜひ、その大豆で豆腐づくりのお手伝いをさせてください」

「豆腐か。俺も作るけど、どんな風に作るとおいしくできるのか、おまえさんに一丁教えてもらうことにするか」

それを聞いて女はホッとしたのか、にっこり笑って頷いた。

 乾燥大豆は、まずたっぷりの水に浸してふっくらともどし、すりつぶして豆乳とおからに分ける。力仕事はヤマノウどんがして、繊細な水切りの具合など、勘所がある作業はおよねがした。そう、おの女の名前がおよねであることも、昔から知っていたかのように、二人はいつしか和気あいあいと、夫婦のようにも見える距離感で豆腐づくりをしていた。

 海の塩を細い竹ひごで編んザルに盛って置いておくと、ぽたりぽたりと垂れてくる液体がある。それがにがりで、温めた豆乳に入れるとすぐさまホロホロと固まりができて、木綿を敷いた箱に入れて重石をかけてゆっくり水を抜いていくと豆腐になる。およねが作る豆腐は、確かにうまかった。豆腐としてそのまま食べるもよし、囲炉裏端で炙って田楽にするもよし、しょいのみとしょうがの練り味噌を添えて食べるのもよし。また、薄く切った豆腐を更に水切りして、高温の菜種油で一気に揚げる。揚げたての油揚げはまた格別で、香ばしい表面はカリッとサクサク、中はしっとり。豆腐の層が白くしっかり見えるくらいの薄切りだけど、ちょっと厚めに切る加減がおよねの油揚げの特徴だった。

「旨いなぁ、およねの油揚げは」

女はにっこりわらって嬉しそうにほほ笑む。

「あーん、忘れないでね」

およねは、油揚げをヤマノウどんの口元に持っていきながら小さくつぶやいた。


 ふと目を覚ましたヤマノウどんは、いったいどのくらい寝ていたのだろうか。囲炉裏の火は灰となり、そろそろ畑仕事に出る寅の刻になっていた。

ヤマノウどんは、その日、夢の記憶を頼りに豆腐を作り、油揚げを揚げてみた。

「およね、旨いよ。どうだい、食べてみておくれ」

小皿に一口、短冊切りにした油揚げをのせて入口脇に置いた。

「およね、また来ておくれ」

ヤマノウどんはそう心でつぶやいた。

 およねはその後、二度と夢に現れることはなかったが、キツネはというと、油揚げに味をしめたのか、時々やってきて、遠巻きにヤマノウどんが仕事をしているのを見るようになった。キツネはいつも、寂し気にケーンケーンと鳴きながら、山に消えていく。もう一度、ヒトになって会いに行きたい。キツネは願うが、一度だけの願いならという山の神様の計らいに二度はなかった。キツネはケーンケーンと鳴くしかなかった。

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