山のうどん屋さん

なみふく

第1話 山の鵜のヤマノウどん

 お遍路さんが行き交う山道から沢に下りていく細道の途中に一軒の小屋があった。大きな看板の右下に、小さく「山の鵜」と書かれている。そこに住む男は、大きくて、やさしい顔立ちをした頼れるあんちゃん(お兄ちゃん)といった風貌で、熊のようでもあり、みんなからヤマノウどんと呼ばれて慕われていた。

 ヤマノウどんは、とても早起きで、段々畑の畑仕事を暗い朝のうちに済ませてしまう。日が昇って辰の刻の頃になると、お遍路さんのためにうどんを打ち、昼前から一日限定30から50食、うどんの麺がなくなり次第、売切れごめんで早々に店じまいをする。そんな毎日を送っている。

小麦は石臼でゴリゴリ、ゴロゴロ引いて粉にし、ふるいに2回かけて丁度中力粉くらいの地粉、うどん粉とも呼ばれる粉にする。それを、海水よりもちょっと濃いくらいの塩水でこねていく。この塩は、瀬戸内からくるお遍路さんが、口コミで差し入れしてくれるようになり、たんまりと納屋にしまってある。ヤマノウどんは、大きな体で体重をかけ、ギュッギュッとまるで音が聞こえてきそうなくらいに力を入れて、うどんの生地をこね続ける。額からポタリと汗が落ちそうになると、手を休めて手ぬぐいでぬぐい、ふーと大きく息をつく。そしてまたゴンゴン、ゴンゴンこねていく。 

 ようやく滑らかな生地になってきたら、ぬれ布巾に包んで半刻程寝かしておく。ここでやっと一息。ヤマノウどんは、朝一番にやかんいっぱいに煮出しておいた野草茶を、茶碗に2杯、ゴクリ、ゴクリと飲み干した。野草茶は、春から夏にかけて摘んで干しておいたスギナ、ヨモキ、イタドリ、ハハコ草、ドクダミ、柿の葉、桑の葉等のブレンドで、そのまま飲んでも香ばしい何ともいえない濃い味がするし、お茶漬けにすると漬物なしでもサラサラとご飯が進む。山でも山茶は採れるが、毎日の食事や水代わりに飲むお茶といえば、こうした自家製の野草茶がここらでは普通である。

「スー、ハー」

今度は、大きく息を吸い込んで、気合を入れて息を吐きだす。

「さあ、だしだ」

 納屋に向かって大股で歩き出したヤマノウどんの後を、平飼いの鶏がついて回る。中には小さな丸っこい鶉もいて、足元にまとわりついて追ってくる鳥たちを、踏みつぶさないように、注意して歩かなければならない。

 ヤマノウどんは、鳥たちに何やら話しかけて、鶏たちもまたクック、コッコォとせわしなく騒ぎたてている。大きな笑い声を時折はさみながら、また話しかけるヤマノウどん。鳥たちと遊んでいるように見える。

 納屋に入ると、アルミの四斗缶が所狭しと置かれて、その中には鮎の焼き干しがぎっしりと詰まっている。獲れたての鮎を内蔵ごと串に刺し、じっくりと炭火で素焼きにした後、カラカラになるまで影干しにしたもの。この上質の焼き干し鮎を、もう一度炭火で軽く炙ってから、コトコトと煮出して濃厚なだしを取る。うっすらと色づいた濃いだし汁には、燻した香りがほんのりと移り、舌だけでなく嗅覚の奥をくすぐるような、やみつきになる香りである。

 うどんの汁(つゆ)には、この焼き干し鮎のだしだけでなく、山で採れたきのこを干した干しきのこを煮出しただしを少し加える。うま味の相乗効果が生まれてぐっと味わいが濃くなるから不思議である。きのこのだしは入れすぎるとせっかくの鮎の風味が台無しになるので、わからない程度に入れるのがコツらしい。この匙加減は、毎日の仕事とするヤマノウどんの舌にかかっている。

 だしがらの鮎は、砂糖と自家製しょうゆで甘辛く甘露煮にする。正確には、しょいのみと砂糖、そして、だしを取った後のきのこを薄切りにしたものとせん切り生姜を加えて、甘じょっぱい加減で煮る。

 しょいのみは、しょうゆの実ともよばれ、しょうゆを搾った後に残るしょうゆ諸味の搾りカスである。カスといっても、しょうゆの旨味がたっぷり残っていて、舌でつぶせるくらいに柔らかく、熟成したツブツブの食感が何ともいえない。熱々のごはんに乗せたら箸が止まらないし、酒の肴にもなる。季節の野菜や乾物と煮れば、淡泊な食材でも味にコクがでていっぱしのご馳走に仕上げてくれる、魔法の調味料みたいなものだ。そのしょいのみに、きのことしょうがが加わって、鮎の甘露煮が煮あがる頃には、風味豊かななめ味噌みたいな佃煮も一緒にできあがる。

 今でこそ、しょうゆは買ってくるのが当たりまえだったが、山の暮らしをする家では、かつては便所に続く外廊下の脇に焼物の甕か蓋つきの木桶が置いてあって、蒸した大豆と炒った小麦をムシロに包んでコウジカビをはやしたしょうゆ麹で仕込んだしょうゆ諸味が入っていた。冬に仕込んだしょうゆ諸味は、夏場になるとプクプク、プクプク、発酵が盛んになって、ほっておくとカビのような膜が張るので時々かき混ぜてやる。便所に行く度、ひしゃくでゆっくりかき混ぜる。それが日課だった。1年経つ前に、しょうゆもろみは木綿の袋に入れて、木箱に敷いて重石をかけて、ゆっくりゆっくり搾っていく。しょうゆは酒の一升瓶に入れてさらに寝かし、搾りカスは小さな甕に移して大事に使う。無駄にするものはひとつもなく、全部ありがたくいただく。ヤマノウどんは、そんな生活を当たりまえにしていた。

 ヤマノウどんが、どんな男か気になるだろう。この男は、昔、飛騨の高い高い山ばっかりの山の奥に生まれ育ち、山暮らしはとても気に入っていたが、15歳の春、ふと山を下りて別の仕事をしてみようという気になった。山の仕事が一段落した梅雨明けの日、一日かけて山を下りたヤマノウどんは、夕暮れ時の川沿いの道を、宿を探して急いでいた。川幅が広がり、道沿いに多くの人出があるので除いてみると、それは鵜匠による鵜飼だった。

 これは面白い。鮎を人間が獲るのではなく、鵜に獲らせればいいなんて、楽でいいや。ヤマノウどんは、その日の内に鵜匠の大将に頼み込んで、住み込みで働かせてもらうことになり、小屋の掃除や船の修繕等、何でもよくやり、鵜の世話も喜んでかってでた。そのうち、船にも乗せてもらえるようになり、あっという間に鵜の操り方を習得し、一人前の鵜匠になるのにひと月もかからなかった。

 鵜と四六時中話している変な奴だと噂になるほど、ヤマノウどんは鵜に話しかけ、また鵜もなついてよく働いた。次第に隣り村の鵜匠の中でも知らない者がいないほどに腕を上げ、たくさん獲れた鮎を焼き干しにして売り始めた。それが評判となり、山からきて鵜飼になった「山の鵜の焼き干し鮎」として、京都辺りの料理屋でも、味のわかる料理人のいる店からも口コミで注文が入るくらい、ちょっとした名物になった。

 鮎だしの縁あって、ヤマノウどんは名の知れた料理屋で料理の仕込みや下働きを手伝いうようになった。夏はもっぱら鵜飼の仕事と焼き干し鮎の製造に精をだし、冬は料理を教えてもらいながら、忙しい師走や行事の賄い作りに勤しんで重宝がられた。どこでも真面目に気持ちよく働くものだから可愛がられ、蕎麦屋では、蕎麦の実を挽き、挽きたての粉で麺を打ち、打ちたての麺を茹でて盛って、配達まで受け持った。器用に仕事をこなすだけでなく、道行く人に挨拶を欠かさず、交わした言葉をよく覚えていて、次また続きの話をしたりするものだから、誰もがヤマノウどんを友達のように思い、誰からも頼りにされるようになった。

 三回目の夏が終わる頃、ヤマノウどんはまた新しいものが見たくなって、人々に惜しまれながらも海を渡ることに決めた。海といっても瀬戸内の島々を点々とたどりながら四国に渡り、今度はうどんを打つ仕事にのめりこんだ。毎日、毎日、100食分くらいのうどんの生地をこねてこねて、踏んで踏んで、伸ばして切って手打ちうどんを作った。こしの強い手打ちうどんは、手だけではこねきれない。足で根気よく踏んで、時間をかけて練り上げていく。

 雨が降った日と日照り続きの日とは、また、台風明けの暑い日と空っ風が続く寒い日とでは、加える水の量も塩加減も違う。毎日、毎日、いい塩梅を考えて、注意深く観察しながら加減してこねていく。毎日同じことを繰り返すことで、ちょっとした違いがわかるようになり、もう少し繰り返していくと、今度はわかるだけでなく、どうすれば同じに仕上げることができるのかコツがつかめてきた。

 「動物と話せる変なやつ」。ここでも、ヤマノウどんの働きぶりと人当たりの良さをやっかんで、蔭口をたたく輩がひとりやふたりはいたものである。実際、ヤマノウどんにも思い当たる節はある。知恵をしぼるときにブツブツと独り言をいうことが時々あって、それが、誰かと話しているように聞こえるのだろう。実際、お店に居ついた野良猫たちには、イリコのだしがらをやりながらよく話しかけたものだった。猫も何だかわかった風な顔をして、ミャーミャー鳴きながらヤマノウどんにすり寄ってくるものだから、言葉の壁を越えたボディランゲージで十分に会話をしていたのは確かである。

 そうして一年余りがたったころ、一日百食、五百日で五万食、そう数えるとすごい数のうどんを客に出したものだとヤマノウどんは自分でも感心し、そろそろ自分で店でもやってみようかという気になった。

 さて、どんな店にしようか。考え始めるとまた止まらない。自分が旨い思うものは、周りの人にも食べて欲しいと思うもの。それにお金をいただいて、「おいしい、ありがとう」とお礼まで言われて、料理の仕事はつくづく幸せなものだと思うようになっていた。自分のうどんをわかった上で、旨いといってくれるお客さんに来て欲しいなあ。そう考えて、ヤマノウどんは、山でうどん屋を始めることにした。


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