148.ラインハルト家の受難:ガガン、女王様にあれを飲まされる
「ガガン・ラインハルト、ただ今、参りました!」
ここはリース王国の謁見の間。
ラインハルト公爵家のガガンは休暇中に呼び出され不機嫌だった。
しかし、感情を表に出すことはできない。
なんせ目の前の相手はリース王国の女王だからだ。
他人を苦しめるのが趣味な悪辣な性格をしている。
ガガンは寸分のすきもなく謁見を済ませなければならなかった。
「ガガン、最近は手広くやっているそうじゃないか」
女王は含み笑いをしながら、そんなことを言う。
その笑みの裏には良からぬ思考が待ち構えている。
ガガンはそれを理解しつつ、慎重に言葉を選ぶ。
「ははっ。恐れ多いことですが、我がラインハルト家は様々なことをやっております。陛下はどちらの事業のことをおっしゃっているのでしょうか」
ラインハルト家は魔石の流通をはじめとして、いくつかの事業を行なっている。
そのため、この受け答えで問題はないはずだ。
ガガンは表情を出さないために、頭を下げたままの姿勢を崩さない。
「ふふふ、しらばっくれるな。ザスーラに卸している聖域草のことだ。アクト商会と組んで色々やっているそうじゃないか」
女王はガガンが最近行なっている、聖域草の商いについて知るに至ったらしい。
耳の早いやつだ。
ガガンは心の中で舌打ちするものの、表情は一切変えない。
「ははっ。私の父が残していた聖域草をザスーラの流行病の解決に使えないかと思いまして……。ザスーラには知り合いの貴族もおりますし、僅かでも貢献できればと」
ガガンの言っていることに間違いはなかった。
彼の聖域草は確かに流行病を機会にアクト商会に卸したものだ。
彼の言葉だけを聞いていると、いかにも流行病に心を痛めて行動したように聞こえる。
もっとも、これは完全に演技であり、ガガンは儲けることしか考えていなかったが。
「ほう、それは殊勝な心掛けだな。私もお前のような臣下を持てて誇らしく思うぞ」
女王は珍しくにこりと笑ってガガンをほめる。
彼女の見た目は純然たる少女であり、その笑顔はいかにも無邪気に思える。
「ははっ。ありがたき幸せに存じます。ザスーラの貴族からも私の聖域草は大好評いただいております」
女王に褒められたのもあり、ガガンは少しだけ口数を増やしてしまう。
彼は口走ってしまったのだ。
自分の『聖域草は大好評である』などと。
もっとも、それは間違いではなかった。
確かにアクト商会が流行病の特効薬を発売した際には、ザスーラの人々は諸手を挙げて喜んだ。
しかし、そのあとの展開を休暇中のガガンは知らされてはいなかったのだ。
「ほう、大好評だと? ふぅむ、わらわが知っているものとはちょっと違うようだ。わらわの聞いた話だと、大不評も大不評と聞いているが」
女王は笑顔を崩さないまま、同じ表情でそんなことを言う。
ただし、目は笑っていなかった。
「なぁっ!? そんなことはありません! うちの聖域草は一級品ですぞ! なんせあの禁断の大地でとれたものなのです」
自分の商売を馬鹿にされたと感じたのか、ガガンはつい熱くなって女王に抗議してしまう。
彼は自分の父親が辺境で手に入れたこの薬草は、「超」のつくほどの希少品であることを伝える。
「しかしだな、先日、ザスーラの小僧から送られてきたのだ。ザスーラで出回っているものをどうにかしてくれと。……あれを持ってきなさい」
女王は侍女の一人にあるものを持ってこさせる。
「そ、それは……」
それはガラスの瓶に入った、聖域草だった。
間違いなくガガンが売りさばいたものであり、相変わらず金色の光を発していて、神々しさすら感じさせるものだった。
「陛下、良いですか、この金色に輝く花こそが聖域草の証でございます! 聖域草とは魔物の発生を封じ、数々の英雄譚を飾る幻の薬草の一つ! いいですか、かぁっ、ごほっ、ごほっ」
ガガンは聖域草の素晴らしさ熱弁するあまり、つい早口になってしまう。
あろうことか喉の奥に痰が絡んでしまい、咳ばらいをしてしまった。
「ほほう、ガガンよ、わらわの前で咳をするとはなんと不躾なやつじゃ」
「も、申し訳ございません!」
「だが、わらわは慈悲深い女王であることで通っておる。ここにおぬしの聖域草があるので、これを飲ませてやろう」
「なぁっ!? それを飲めとおっしゃいますか?」
ガガンは女王の意図が読めず、目を白黒させる。
咳ばらいをしてなじられたと思いきや、今度は聖域草を自分のために使わせるという。
何を言い出すのだ、このバカは。
ガガンはいつもにもまして思慮の読めない女王につくづく嫌気がさす。
「恐れながら、陛下、聖域草は病の治癒に使うものでして、私はこの通り健康体であります。先程の咳はなんでもございません。私には無用でございます」
とはいえ、ガガンは女王の申し出をやんわりと断る。
いつも痛い目を見ていることから、女王が何かを企んでいることは明白だったからだ。
「いかんぞ、ガガン。わらわはお前が心配なのだ。お前の咳は大病のサインかもしれん。遠慮するな、わらわはお前を失いたくないぞ」
女王は慈悲にあふれた笑みをガガンに返す。
心配だ、失いたくない、などと心にもない言葉であることは子供でわかる。
しかし、女王にそこまで言われてはもう後には引けない。
ガガンは「ぐぅっ」と喉を鳴らすと、女王の言う通りに聖域草を飲むことにした。
「ところで、おぬし、これをどう飲むのか知っているのか?」
「ふふ、聖域草とはいえ、所詮は野草です。熱い湯でぐらぐら煮てやれば成分が抽出されることでしょう」
「ふくく、そうかそうか。煮れば良いのだな。……あははははっ。お前は何から何まで正しい奴だ。よし、これを煮出してまいれ」
ガガンの返事に女王はおなかを抱えて、とても嬉しそうに笑う。
あまりに大きな声で笑うのでガガンだけでなく、周囲のものまで怪訝な顔をする。
女王は侍女に聖域草を渡すと、「ガガンの言ったようにやれ」と伝える。
その後、彼女はずっとニヤニヤと笑い、足をバタバタとさせ、とても楽しそうにしている。
突然、機嫌のよくなった女王にガガンは心底呆れ返るのだった。
「お持ちいたしました」
十数分後、侍女はティーセットをワゴンに載せて現れる。
「ふむ、ガガン、飲んでよいぞ」
侍女は手慣れた手つきでポットからカップに金色の液体を注ぎ込む。
ふわぁっと、むせかえるほどの強い香りがあたりに漂う。
良いにおいであることに変わりはないが、バラの花の数十倍の香りだ。
慣れない香りだということもあって、ガガンは思わず顔をしかめてしまう。
「それでは頂きますぞ。ふふ、これです、これこれ。この芳醇な香りこそ、私がいつも飲んでいる聖域草そのものです」
ガガンはこれまで一度たりとも聖域草の茶を飲んだことはなかった。
よって今の言葉は完全な知ったかぶりである。
しかし、一度も自分で試したことのないものを他国に売ったとなれば、女王に責められかねない。
彼はわずかな時間でそう考えたのだった。
「そうだな、全くその通りだ! それじゃあ、その味の感想も聞かせてくれ」
女王は目をらんらんと輝かせ、口角を持ち上がらせている。
まるでこれからとても面白いことが起きるかのような表情だった。
ガガンは女王の意図が相変わらずわからぬまま、ティーカップに口をつける。
強い香りのせいで、喉の奥がぐっと変な音をたてる。
そして、一口だけ茶を飲みこんだ。
「ふぐぎっ」
ガガンは胃袋から妙な音を発して、そのまま固まってしまう。
いや、凍ってしまったといってもいいだろう。
まず目の前が真っ暗になる。
ついで、きぃいいいいいんと激しい耳鳴り。
数秒後、心臓がばくばく言い始め、脳が恐ろしい速度で回転し始める。
どどどっこれまでの記憶が脳裏を駆け巡る。
まるで自分が死に直面しているような、そんな衝撃が彼を襲うのだった。
その理由は、女王がいれてくれた、そのお茶にあった。
そもそも、えぐいのだ、その味が。
口の中がしびれるどころではない。
脳天をえぐられるような味なのだ。
金色の高貴な色合いからは到底想像もつかないような、えぐみのある味なのである。
苦さはもちろんのこと、甘さ、辛さ、かび臭さ、生臭さ、塩辛さまで加わってきる。
まるで腐りかけの動物の皮をたんねんにたんねんに絞って発酵させたものを、下水と合わせたかのような、そんな味だった。
聖域草の芳醇なにおいはむしろ、その味を際立たせるものになっており、これのどこが伝説の霊薬なのか見当もつかないほどだ。
「あ、あのぉ、冗談が過ぎますぞ、女王陛下、こちらは別の何か、どぶ川の」
「差し替えてはおらぬぞ、ポットの中を見てみよ」
ガガンはこのお茶はすり替えられていると主張するが、女王はそれを即座に否定する。
侍女はガガンにポットのふたを取ると、そこには確かに聖域草が入っていた。
「そ、そ、そんなぁ!?」
「さぁ、四の五の言わずに飲んでみせよ。いつも飲んでいる味なのだろう?」
絶体絶命のピンチにじりじりと圧力をかけてくる女王。
ガガンの額には脂汗が浮かび、ついで冷や汗へと変化する。
ガガンにはここで二つの選択肢があった。
一つはどうにか言い訳をしてお茶を飲まずにすませること。
もう一つは、一気にお茶を飲み干すこと。
体のことを考えればこれを飲むのは危険だ。
しかし、自分の聖域草の商売について女王に介入される可能性もある。
せっかくの金づるについて口を出されるのは不快極まりないことだ。
特に、今のラインハルト家の財政はひっ迫している。
こんな時に介入されるのはもってのほかだった。
「ガガンよ、聖域草はぬるいお湯で抽出するのだ。そもそも、お前のものは保存状態が悪すぎる。私も久々に寒気がするぞ」
女王は諭すように聖域草の扱いについて説明する。
彼女は実は何度も禁断の大地に入って、その薬草を扱った経験があったのだった。
「古いものでも問題ありません。なぁにかえって免疫力がつくものです。私の飲みざまをとくと、ごらんあれ!」
しかし、そんな言葉はガガンには届かない。
彼は鼻をつまんで、一気にお茶を流し込む。
「……ぶび」
結果、ガガンは卒倒し、意識を失う。
髪の毛を緑色に輝かせながら。
もっとも、即座に女王が解毒魔法をかけたため、大事には至らなかったが、このことは再び貴族社会をざわつかせることになった。
「魔力を暴走させるとはバカなやつよ。これからが本番だったというのに。ザスーラからの請求書はラインハルト家に届けておけ」
ガガンが意地を見せたことで、女王のしっ責は終わったかのように見える。
だが、ガガンは知らない。
彼のもとへ恐怖の「請求書」が送られてきていることを。
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