149.ラインハルト家の受難:ミラージュは逝き、新たな陰謀が渦巻き始める


「ふはっ!?」


 女王とのやり取りから一晩明けて、ガガンは自宅のベッドで目を覚ました。


 彼は女王との一部始終をほとんど忘れていた。

 覚えているのは女王の前で聖域草のお茶を飲んだことだ。

 一杯をまるまる飲み干したことで、魔力が暴走し、ガガンは卒倒したのだった。


 あの味を思い出しただけで、ガガンは胸がざわざわとしてくる。

 

 あれは不味かった。

 今から思い出しても涙がでてくるような、そんな味だった。



 そんな折、ガガンのもとに女王からの通達が届く。


「なぁああああっ!? 連帯責任だと!? そんなもの契約書のどこに書いてある!?」


 恐る恐る開いてみたところ、彼は大きな体を震わせて悲鳴を上げるのだった。


 そこには聖域草の事業において、万が一のことがあった場合には、アクト商会とラインハルト家は連帯して責任を負うため、返金・賠償に応じるようにと書かれていた。


 アクト商会はその頭目のブルーノが逮捕され、瓦解寸前であることから、共同事業者のラインハルト家にも賠償責任が生じたのだった。



「こんなバカなことがあってよいものか! 我々はただ素材を卸しただけだぞ!?」


 困惑しているガガンの言葉は間違ってはいなかった。

 ラインハルト家はアクト商会がどのように聖域草を扱うかについて口を出してはいなかった。


 まがい物を作ったのはアクト商会の独断であり、この条項はあまりにもアクト商会にとって有利なものだった。


 通常の商売の契約で、こんな一文が入っていることはない。

 おそらくは悪名高いブルーノ・アクトにねじ込まれたのだろう。


 そしてこの一文のおかげで、ラインハルト家はアクト商会の受けている、返金請求をもろにかぶることになったのだ。

 しかも、ザスーラの貴族への慰謝料が加算されている。


 その額は聖域草の儲けの殆どを占める額だった。



「ええい、ミラージュを呼べぇっ!」


 この契約をまとめたのはガガンの三男、ミラージュだったはずだ。

 彼はミラージュに事の次第を問いただすことにした。


 ミラージュめ、目をかけてやっているのに、なんという失態をしてくれた!


 ガガンは火が付いたのように怒り狂うのだった。





「ガガン様、ミラージュ様が参られました。しかし、あの、そのぉ、お会いになるのはまた今度にしたほうが……」


 数日後、ミラージュが自分の領地からやってきたとの知らせを受ける。

 だが、執事の様子がおかしい。

 まるでミラージュに会わないほうが良いとでも言いたげな表情をしている。


「ええい、やつがいくら狼狽しておろうが、泣き喚いておろうが、ここに連れてまいれ!」


 しかし、怒り心頭のガガンは聞く耳を持たない。

 彼はすぐさまミラージュを部屋に連れてくるように言うのだった。


「……お連れしました」


 数分後、執事がミラージュを連れて部屋に戻ってくる。

 彼の顔は青白く、まるで何かにとりつかれているようだった。


 一方で、ミラージュの顔はむしろ健康そうで、目はキラキラと輝いている。

 本来であれば部屋に入るなり土下座するべき事態である。

 なんの悪びれる様子もないことに、ガガンははらわたが煮えかえるのを感じる。



「おい、ミラージュ、この連帯責任とはなんだ!? まさかあのアクト商会のバカにしてやられたというのか!?」


 ガガンは怒りを押し殺して、問答をふっかける。

 一応の弁明を聞いておこうという親心が残っていたからだ。



「おじちゃん、だれ? れんたいせきにん? なにそれ、おいしいの?」


 それに対して、ミラージュの発した言葉はまったく見当違いなものだった。

 彼はまるで子供のような口調でそんなことを言う。

 しかも、ガガンのことなど会ったこともないという表情で。


「何を言っておるか、貴様ぁあああ! 息子といえど、ただではおかんぞぉ!!」


 ガガンの怒りに完全に火がついてしまった。

 彼は魔力を解放させ、窓ガラスを粉々にしてしまう。


「あはは! まどがわれたよぉ! まほおだ、すごぉい!」


 本来であれば土下座でもするはずのミラージュは、またもや子供のように瞳を輝かせる。

 いや、まるで子供のようなのではない。

 まさに、子供そのものなのだ、その反応は。



「な、な、な、なんだこれは!? お前、何をやっておるのだ!? ふざけるのも大概にせよ!」


 ガガンはミラージュの様子がおかしいことにやっと気づく。



「……ミラージュ様はもう数日前からこの調子です。医師が言うにはなんらかのショックによる年齢退行が起きているとのことで」


 そして、執事は恐ろしい事態について教えるのだった。


 一週間ほど前、ミラージュは『出張』から戻ってきたのだが、その時点で様子がおかしかったという。


 診断の結果、ミラージュの知能は三歳児程度にまで低下しているとのことであり、さらにラインハルト家の記憶を一切失っているという。

 理由はわからないが、よほどのショックがない限り、こんなことは起きないという。



「な、なにが起こったというのだぁ!? ミラージュ、おい、目を覚ませぇええ!」


 ガガンはミラージュを揺さぶるが、肝心の彼はふざけていると思って、きゃっきゃと高い声で笑う。


 もはや目の前にいるのは、ガガンの知っているミラージュではない。

 ガガンは愕然とした気持ちで、ミラージュを眺めるのだった。


 怒りをぶつけようにも、こんな『子供』相手にわめいたところで、どうしようもない。

 ガガンは行き場のない怒りに胃を壊し、数日、寝込むことになるのだった。

 

 そして、ミラージュが莫大な金を使い込んでいることを後から知る。

 



◇ガガンが寝込んでいる間の、ラインハルト家の二人の兄の会話



長兄「ミラージュの話、聞いたか?」


次兄「あぁ、気の毒だが、少しすっきりしましたよ。あいつだけが親父殿にかわいがられていましたから」


長兄「そう言うな。あいつは亡き母上にそっくりだったから無理はない」


次兄「しかるに兄上、これをどう思いますか?」


 次兄が長兄に差し出したのは、ミラージュの部下から流れてきた報告書だった。

 そこには彼らの義妹であるユオが魔石の商売を通じて辺境を発展させ、聖域草の群生地を獲得していることなど、事細かに書いてあった。




長兄「あの魔力ゼロの小娘が、それほどの力を蓄えていたとは驚きだな」


次兄「まったくですよ」


長兄「これを見たら、親父殿は激怒するだろう。ユオこそがラインハルト家の没落の遠因を作っているのだから」


次兄「……しかし、敢えて握りつぶして親父殿には伝えない。そうでしょう?」


長兄「もちろんだ。ユオの村は俺たちが頂く。もともと、我々、ラインハルト家のものだからな」


 二人の兄たちはにやりと笑う。


 彼らにとって、三男のミラージュの一件は跡取りレースのライバルが一人消え去っただけにしかすぎなかったのだ。


 ユオの村を巡る新たな陰謀が動き始めていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る