第2話

え、風船って言った?


…どーいう、こと…?


その人の言葉を理解できずに何も喋れないでいると、私の考えている事が分かったのか、女の人は、ああ!と何かを思い出したような顔をした。


「そうですよね、見えないと何のことだか分からないですよね。もう少し部屋の中に入ってください。そうすれば見えます」


見える…?


一体、何が見えるのだろう?


訳が分からないけど、その人に手招きされるがままに店の奥に二、三歩足を踏み出すと、店の入り口近くにあった太い柱の向こうが見えた。


「えっ…!」


思わず、大きな声を出してしまった。


でも、だって、こんなの見たら誰だって驚く。


だって…だって…!


なんと、店の真ん中に何十個もの風船が、床から天井に向かって大輪の花が咲くように括り付けられていたのだ。


赤や黄色、緑、青、白、オレンジ、紫の色とりどりの風船たちが落ち着いた雰囲気の店の真ん中にいる。


絶対に異様な光景なはずなのに、驚きはしたけど、違和感を感じないのが、また不思議に思えた。


絶句をしている私を見て、ふわりとした女の人が緩やかに話し始める。


「この風船の中に料理が入っているんです。ですから、風船を選んで頂いた時点で、食べていただくお料理も決まります」


へー、風船の中に料理がねー、



…うん?


え、え?風船の…中に!?


「えっ、あの、風船の中に料理って、本当ですか?」


「はい、本当ですよ」


冗談か、聞き間違えかと思ってもう一度尋ねてみたけど、その人の若葉が出てきたような笑みを見て、嘘や冗談を言ったのではないということが分かった。


え、本当だったらすごいんだけど。


風船の中に料理が入っているのに、天井まで浮いているって事は、すごい軽い料理が入っているってこと?


え?そんな事あるの?


混乱して立ち尽くしていると、


「あの、急がなくても良いんですけど、そろそろ選んでいただけると…」


と、女の人の控えめの声が聞こえて、はっとする。


「あ、すみません。えっと…」


よく分からないけど、とりあえず、風船を選ぶしかない。


本当によく分からないけど。

風船の中に料理があると言うよく分からない言葉を理解できないまま、とりあえず、選ぶ風船を考える。


「えっとー…、あ、じゃあこれにします」


なんとなく目に止まった風船を指さした。


「山吹色の風船ですね。かしこまりました」


女の人は、私の指さした山吹色の風船を丁寧に風船たちの束から外して、私の手にそっと渡してくれた。


「ではお好きな席でその風船を割ってください」


もう、色々と訳が分からないけど、とりあえず言うことに従うことにした。


よく分からなくても多分大丈夫。

そう思えるだけの説得力が何故かこの女の人にはあった。

どこか懐かしいような、いつも一緒にいるような、そんな雰囲気がしているのだ。


言われた通りに、好きな席を選ぶ。


窓際の1番日の光が当たって、キラキラと輝いている席に座る。


「机に置いてあるそのビー玉を風船に近づけてください。そうすれば割れます」


机に置いてある透明な丸に少し青が入っているビー玉を手に取る。


こんなことで風船が割れるのかな。


普通だったら割れないよね。


半信半疑で風船にビー玉を近づけると、


パンッ


と、軽い小さい音を立てて、山吹色の風船が割れる。

本当に割れた事と、あまり大きい音を立てずに割れたことに驚く。


風船が割れた瞬間、


「懐かしい匂い…」


と、思わず呟いた。


なんでそう呟いたのだろう、と自分で不思議に思ったけど、風船の中を見て、何故懐かしいと思ったのかが分かった。


風船の中から出てきたのは「カレー」だったのだ。


お皿の半分には真っ白な艶やかなお米。

もう半分にはじゃがいもやにんじん、玉ねぎ、お肉が入っている茶色いカレールーが乗せられている。


お皿にしっかりと乗っているカレーを見て、これが本当に風船の中に入っていた事が信じられないなと思う。


ちゃんと食べられるんだよね…?


机に元から置いてあったスプーンで恐る恐る風船から出てきたカレーをすくう。


ちゃんとすくえたことで、幻ではないんだな、と確認する。


ゆっくりと口に近づけ、


パクッ


思い切って口の中に放り込む。



…モグ、モグ、


…モグ、モグ、


うん、ちゃんと食べれる…!


そしてすごい美味しい!


柔らかいお米と、甘すぎず、辛すぎないカレールーがとてもいいバランスで口の中で混ざる。


ジャガイモや、にんじん、玉ねぎ、お肉もちゃんと煮込まれていて柔らかい。


「めっちゃ美味しい…」


思わず口から溢れる。


何かを食べてこんなにおいしいと思ったのは久しぶりだった。


こんなに美味しい食べ物が世の中にあったんだ、と思う。


「お口に合って良かったです」


いつの間にか近くに居た女の人が、春が来た事を喜ぶ草花のように嬉しそうな笑みを浮かべて、そう言った。


また近くにいた事に気がつかなかったけど、今は独り言を聞かれた恥ずかしさの方が先に来て、さっきよりも驚きはしなかった。


恥ずかしさを紛らわすために、喋る言葉を探す。


「あ、あの、すごいですね、これ。風船から料理が出てくるなんて…」


「ふふ、皆さんびっくりされます。私はそんなに変わってるとは思わないんですけどね」


女の人は若芽色のワンピースを少し揺らしてそう言った。


これ、変わってないって思うんだ。だいぶ変わっていると思うけどな…。


と、心の中でひっそりとそんなことを思う。


でも、カレーが美味しすぎるから、どこから出てきたかなんてどうでも良いや。


半分くらいをあっという間に食べ終わった。


その間、女の人は近すぎず、遠すぎずの距離に立っていた。

でも、私を見てはいなくて、ただ外の景色を眺めているようだった。


近くに居るけど、私の事を見ていない。


でも私が居る事はちゃんと分かってくれている。

そんな距離が心地よかった。


女の人が徐に口を開く。


「どうしてこのお店に来てくれたんですか?」

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