Utage-宴-
尾岡れき@猫部
Utage-宴-
「あ、あの……お願いがあるんです」
ズズズとアタイは、割れた茶碗で酒をすする。最近のお神酒は、水が悪い。胡坐をかき、その唇から漏れる言葉を待つ。流石に悩める子を放置するほど、アタイは悪趣味じゃなかった。
「す、好きなんです……」
ようやく彼女は絞り出すように言う。知っている。この子が初恋を拗らせて、13年間。ずっと思い続けてきた。
ご神木に目を向ける。彼女は、手を合わせて願う。その恋が成就するように。
ニンゲンっていうのは巫山戯たもので、信じてもいないクセに、こういう時だけ神頼みをしてくる。
――くだらないね。
どうせ散る時は散るのだ。
「そりゃちょっと捻くれ過ぎじゃないか?」
チロチロと、酒飲み友達の白猫が盃を舐めた。
「そうかい? 今まで、たくさんの人間の恋模様を見てきたけど、たいがい無様に散っていくじゃないか。アタイに祈っても祈らなくても、そこは変わらないよ? 結局、全部中途半端じゃないか」
見ている分には面白い。不確実な感情に惑わされ、思い悩んで。時に疑心暗鬼になる。これを滑稽と言わずして、何と言えばいいのか。だって、どんな甘い約束も淡い想いも、いつか消えてしまうのだ。
それに、彼女達が必死に拝んでいる、そのご神木がカラッポであることを知らないのだ。
「ふーん」
「何さ?」
「そう言いながら、祝福をかけるんだなぁ、って思っただけだ」
ちろちろ、白猫は酒を舐める。
思わず、言葉につまってしまう。今さらだ。
彼女は手を合わせる。
彼女が願っている、ご神木として祀られている桜の木。それが私の本体だ。
🍶
好きな人がいるんです。
彼女は、そう呟く。その胸内から溢れ出してしまいそうな想いを、かろうじて抑え込むように。
私の好きな人は、親友のことが好きで。
彼女とは、仲違いしてしまって。
でも、仲直りしたくて。
彼への想いを、諦めることもできなくて。
親友なのに。あの子が大変な想いをしているのに。私は、彼との幸せを願ってしまう。
彼が、あの子と上手くいかないと知るだけで、喜んでしまう私がいるんです。
そんな浅ましい自分が嫌いです。
こんな自分が嫌なのに――それでも、この気持ちを抑えられないのです。
やっぱり、彼のことを探している自分がいて。
いつか、この気持ちは醒めるんでしょうか。
冷めてくれたら良いのに。
こんなにも、ずっと苦しくなるんだったら。
それなのに、それなのに――。
彼の前で、何とも無いフリをして。何でもない振りを装って。笑顔を浮かべている私が。
本当に嫌いなんです。
🍶
「彩音、探したよ」
ハァハァ息を切らせて、少年は駆け寄る。
彼女が身を固くするのが見えた。
私は盃を、掲げる。
白猫はチロチロと、盃を舐める。
新月のように。
月光は淡く。
恋心は嫉妬に沈みそうで。
彼女の光は、自己嫌悪で消えそうで。
鼓動が余計に苦しくなる。
でも――安堵した、彼の表情に絆されて。きつくしまった紐。隠した感情なら紐で厳重に縛り付けて。理性の糸は、嫉妬で朱く濡れているのに。
彼の安堵した笑顔を見たら、一気に解れてしまう。
でも、声にならない。
理由を話せるはずがない。
焦がれた感情のワケを話せるはずがない。ぐっと拳を固める。
と――。
風が吹き抜ける。
彼女は、慌てて自分のスカートをおさえた。それがいけなかったのか。さらに吹いた風で、彼女はバランスを崩す。
彼は、無意識に彼女を抱きしめていた。
「あ、ごめ――」
「私こそ、ごめん――」
二人の言葉は止まる。
桜が咲くには、まだ少し早い。
肌が汗ばむようになってきたとはいえ。まだ夜は肌寒い。
それなのに。
舞って。
咲いて。
散って。
盃に、花弁が浮かぶ。
お互いが、抱きしめあっていることにも、気付かず。呆然と、桃色の雨に二人は見惚れていた。
🍶
「月見酒、花見酒とするには、いささか職権乱用じゃないか?」
悪友に呆れられるが、知ったことか。先輩の――桃の精は、ご神木であることを辞めると言うのだ。何でも、1000年目にして初めて恋をしてしまったらしい。
かくして、まだ88年しか生きてない、未熟な桜の精がご神木に祀り上げられた。
若輩者のアタイには、心の機敏も恋心もよく分からない。ただ、女の子が感情を焦げ付かせたまま。焦げ付いたカラメルを咀嚼し続けるのは、なんだか違うと思ってしまった。
「あの子の願いに耳を傾けただけだ。アタイらは、月見酒、花見酒を堪能できる。何の問題もないと思うけど?」
「確かに。他の精が面食らっているにしても、実に愉快だ。こんな酒はなかなか飲めないからな」
「若輩者だから、そこは許してもらおうじゃないか」
「八十八歳を若輩者と言ったら、ニンゲンは死ぬまで若造だな? お前、米寿だぞ?」
「女性の年齢を指摘するとは、本当に失礼な猫だよ」
くいっと盃を呷る。思わず笑みが溢れた。
どうせ散る時は散る。
初恋なんか、かなわないのが関の山。
でも、どうせなら。
焦がした恋心に、少しでも花を咲かせてやりたいじゃないか。
でも、口から漏れる言葉はまるで正反対で。
「くだらない――」
「……お前、本当に素直じゃないよな」
悪友が呆れるのを尻目に。
アタイは酒を呷る。
祝福を贈りながら。
花弁を舞わせて。
この時間を堪能しながら。
開き直る。
悪友と飲み交わすこの酒が。この時間が何より愛おしい。
心の底からそう思った。
だって。
どう足掻いたって、この恋は醒めてくれないから――。
Utage-宴- 尾岡れき@猫部 @okazakireo
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